第八章 回帰不能点(5)自分のことには鈍い
フィズナーはまた紅茶を一口のみ、うなずく。
「まあ、俺だって必死に戦ってたけどな。だけど、大事なところは全部、あの侍女が持っていった。あいつがいたおかげで、俺も死なずに済んだし、公女様も殺されずに済んだ」
「そんなことって……」
「でも、日本へ来て、また似たようなものを見るとは思わなかった。……なに変な顔してるんだ。お前だって一介の学生だったんだろう?」
言われてみればそうだ。公女様付きの侍女が魔族と戦ったのが驚くべき話なら、高校生にすぎないリサが伝説の古代魔獣を討ち取ったり、反社勢力を制圧したりするのも驚くべきだろう。
「まあ、そうか」
「そうだ。だから、俺は、女だから戦場に出るなとか、そういうことを言ってる自分がおかしいと思った」
「……フィズ、反省とかするんだ」
「反省の数だけは多いのさ。だけど、反省から学ぶのは下手なんだ、俺。何度も同じ失敗をやらかしてる。戦場で感情的になったりな。そこは、俺はお前から半分は学びたい」
「半分ってなに?」
「お前は戦場でも感情でぶらされることがほとんどない。どんな状況でも落ち着いてる。さっき安喜少尉が言ってたろ。戦う機械だって。そういうものになりつつあるんだよ」
「――複雑。それ褒めてないよね」
「守りたい人を守るための殺戮機械――上等じゃないか。だが、コトはそう簡単じゃない。騎士の家で育ち、士官学校を出て騎士になった俺でも、たくさん敵を殺した俺でも、魔族四大魔侯爵のひとりには勝てなかった」
「それで、街も失った……と」
「それに、公女様の――ラルディリース様の美しい顔に、投げつけられる刃を、俺は防げなかった。あの方の美しい右目を永遠に失ったのは、俺のせいだ……」
フィズナーの肩が震える。リサはそんな彼の肩を撫でる。戦う力は敵を倒すことは出来る。でも、悲しみを癒やす力は、まだ、ない。
「で、もう半分はなんなの」
「ああ、お前の落ち着きは見習いたい。だが、おまえ、戦闘中に周りのことしか見てないだろう」
「どうも、自分のこととなると……」
「鈍くなるよな」
「なっ!」
「人の痛みには敏感なくせに、自分の痛みには無頓着だ。人の危険は心配するくせに、自分の危険となるととことん鈍い」
「だってしょうがないじゃない。わからないんだから」
「わからない?」
「自分の痛みとか、危険とか、そういうのが想像つかないんだ。もちろん、痛いものは痛いよ。でも、我慢できない痛みは想像したことない」
「……そのあたりだな」
「なに?」
「自覚症状がないってこと」
「だから、それなに?」
「本人が痛くなくても、医者がやめろと言ったらやめとくもんだろう。いま、そういう状況だってことだ」
「ドクターストップってやつね」
「安喜少尉が言ったのはそういうこと。あの人は医者の立場で、指揮官の立場で、これ以上は危ないと言ったんだ。命令という形をとらなかったあたり、あの人らしくもあるが……」
リサは単に安喜少尉は不安に駆られてあんなことを口走ったのだと思っていた。だが、もし、事態が思っていたよりも深刻だとしたら……。
もし、自分が自覚症状がないまま末期的な病に冒されていたとしたら。
「命令は無理だよ。きっと、安喜少尉の命令は、妙見中佐に却下される」
「それもそうか。あのおっさん、お前のことをどうしても飼っておきたいみたいだしな」
「飼……ッ!?」
「最強の殺戮機械。それを目指すのも悪くはない。だが、それはたくさんの敵を殺し、たくさんの人間を護るのと同時に、たくさんの人間を護り損ねるんだ。わかるか?」
「……うん」
そうだ。戦士になるべくして生まれ、戦士になるべく教育を受けてきたフィズナーでさえ、主人たる姫君を守り切れなかった。主君の――しかも女性の、片眼を失わさせる失態というのは、いったいどれほどのことだろう。
出会った当初のフィズナーが、女が戦場に出るなと意固地になっていた理由が、いまのリサならわかる。
「お前が、これからたくさんのものを失う人生を生きるなら、それもいいだろう。騎士の立場を捨てた俺は、この先、どこでどうしているかわからないが、運命が交差する限り、お前の力になってやる」
「ありがとう」
「だが、そんな生き方をやめたくなったら、それも俺に言え。手伝ってやるから」
「ありがとう、本当に」
リサはうつむいた。
ポタポタと、目から流れ出た水分が、屋上の床を塗らす。
++++++++++
それから半月のうちに、『総合治安部隊』に対する秋津洲財閥の資金援助が増した。さらに、『総合治安部隊』を経由して、空冥術研究所の研究予算も軽く十倍にはなったという話も聞こえてきた。
状況がめまぐるしく変わっていく。
『宇宙革命運動社』を改組し、『秋津洲政治塾』という組織が新たに出来た。ここでは、秋津洲財閥の資金を使って、政治を学び、次世代の政治家を排出することを狙っているとのことだ。
元々『宇宙革命運動社』の会長であった笹山鉄太郎は、政治塾のいち講師という立場に収まることとなった。ていよく、『宇宙革命運動社』も無力化したというわけだ。それも、戦闘ではなく、政治力で。
制服姿のリサの目の前を、星芒具を付けた男たちが二十人ばかり走っていく。彼らは『総合治安部隊』隊舎裏手のグラウンドで訓練を受けているのだ。全員、左手には星芒具を装備している。つまり、この男たちは全員、空冥術士見習いというわけだ。
わたしの入隊のときには、訓練なんて要求されなかったのにな。などとリサは思う。
訓練後、頭を短く刈り上げた男が笑顔でやって来る。黄龍寺の住職・山里天庵だ。
「おお、逢川殿、お久しく」
「お久しぶりです、天庵さん。『総合治安部隊』に入ったんですね」
「はい。なんでも拡大期だとかで。多くの者は『星ひとつ』だそうですが、『星三つ』という称号を戴きましたよ。なんでも、先んじて入隊しておられた淡路氏、岸辺氏と同じだとか」
そんな制度が作られたこと自体、リサは知らない。
「そうなんですね。じゃあ、わたしも『星三つ』なのかな」
しかし、天庵は首を横に振る。
「いえいえ。逢川殿は『星五つ』と聞きました。しかし、他にどんな方が『星五つ』なのか、まだ聞いておりませんな。そのうちお会いできるとよいのですが」
「そうですね」
リサはそう答えておいた。淡路や岸辺までもが『星三つ』で、リサが『星五つ』なのなら、純粋な日本人空冥術士に『星五つ』はリサだけだということだろう。
天庵は明るく笑う。
「いやあ、これで、この神通力が公的に認められたということで、ホッといたしましたよ。訓練はあるものの、寺の仕事も続けてよいとのことで」
「それは、よかったですね」
よかったのだろうか。リサは思う。
ここにいる空冥術士たちは、訓練を積み、やがて兵士になっていく。それも、妙見中佐と澄河御影だけが知っている、伏せられた未来のための兵士になるのだ。
それを手放しで喜んでいいのだろうか。
そして、初めて、その気持ちが、あのとき、安喜少尉がリサに対して抱いていた懸念と同じものなのだと。ようやく実感できたのだ。
「ああ、本当に、わたしは――」
自分のこととなると、極端に、鈍い。
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