第四章 都心の摩天楼(7)天弓、神に選ばれし者
市ヶ谷の『総合治安部隊』隊舎では、安喜少尉たちが山手ダイヤモンドタワービル屋上での戦いをブラウン管画面越しに見守っていた。
唯一頼れるのは、『総合治安部隊』の隊員が向かいのビルから撮影しているビデオカメラだけ。
荒い映像からも、淡路が倒れ、岸辺が武器を喪失したのは見て取れた。『総合治安部隊』の正規の空冥術士は全滅だ。
安喜少尉は手で額を押さえた。冷や汗が背中を濡らす。なんということだろう。残っているのは、「仮入隊」のリサと、オーリア軍から借りている神官騎士ベルディグロウのみだとは。
途中から突然加入した、もうひとりのオーリア人らしき空冥術士は、まだ敵か味方かわからない。リサを魔獣から守ってくれたくらいだから、味方となってくれると心強いのだが……。
安喜少尉の右と左に、パイプ椅子をもってきて、ノナと鏡華が座って少尉と同じようにモニターを覗き込んでいる。
彼女たちにとって、友人であるリサの無事は何よりも優先事項だった。敵に押されてはいるが、不幸中の幸いにも、リサ本人は無傷のように見える。
鏡華が祈るように呟く。
「リサ……。無事で帰ってきて……」
言葉には出さなかったが、ノナも同じ気持ちでモニターを見守っている。
++++++++++
ベルディグロウが大剣を振りかぶって駆け出す。それを援護するように、リサが光の槍から光弾を打ち出す。光弾はさしてハルゴジェにダメージを与えないが、少しだけひるませることができる。
ハルゴジェの注意が、駆けて来るベルディグロウとリサから撃ち込まれる光弾に偏ったとき、フィズナーの連続突きが横合から襲いかかる。ハルゴジェは悲鳴を上げて、一瞬のけぞる。
その一瞬を捉えて、ベルディグロウが大剣を振り下ろす。これで魔界の竜とて、大きな損害を被るはず――だった。
ベルディグロウの大剣は、空冥術によってつくり出された障壁によって阻まれていた。障壁をつくり出したのはやはり、ユラバだった。
「そう簡単には、させない」
「貴様!」
遊撃手たるフィズナーが攻撃目標をユラバに切り替え、猛然と斬りかかる。しかし、ユラバの放った光の刃を防ぐために防御姿勢を取らざるをえず、進むことができない。
「いま手伝うから――!」
リサがそう叫び、光の槍を持ってフィズナーの方へと走る。リサが突然動いたことに、フィズナーもベルディグロウも一瞬、気づくのが遅れた。
彼らよりも先に気づいたのは――ユラバとハルゴジェだった。
ハルゴジェは大きく口を開けて横合いからリサに襲いかかり、リサはそれに気がついて回避しようとした。しかし、一瞬遅かった。リサの体はハルゴジェの巨体に跳ね飛ばされて、何メートルもの高さに打ち上げられ、そしてビルの屋上の床へと落下した。
ベルディグロウが声をあげ、リサの落下した地点へと走る。
「リサ!」
「お、お前、お前っ! ちくしょう! これだから、戦場に女がいるのは嫌なんだ!」
フィズナーもユラバへの攻撃を中止し、リサの方へと駆け寄った。彼は剣を床に置いてリサの肩を抱き上げたが、リサは気を失っており反応がない。幸いなことに、死んではいないようだ。
そんな状況でも、ベルディグロウは比較的冷静だった。ユラバが操っているハルゴジェは容赦なく三人に襲いかかる。それを追い払うのが彼の役目だ。
リサが気を失い、フィズナーが彼女にかかりきりになっている。それでは完全に無防備だ。ベルディグロウが落ち着いていなければ、とっくに全滅していただろう。
「フィズナー、早く戻れ、フィズナー!」
ベルディグロウは単独で魔界の竜と戦いながら、フィズナーに呼びかける。しかし、その声は届かない。フィズナーはリサが戦闘で倒れたことに、深く傷ついてしまったのだから。
教祖・赤麦の高笑い。
「ヒョヒョヒョ! わが魔法の力を前に、国防軍も為す術がないと見える! わが教えが日本の国教になる日も近いな!」
だが実際は、ユラバ・ザルバリアールがハルゴジェを操り、ベルディグロウに何度も攻撃させていた。魔獣大臣の異名をとる雨村は何もしていない。
つまるところ、この魔界の竜ハルゴジェは、『人類救世魔法教』が扱うには荷が勝ちすぎるような代物なのだ。
もはや防戦一方だ。強力な空冥術士であるベルディグロウでさえ、戦闘不能のリサ、そしてそれを庇っているフィズナーを背にしては、攻撃に転じることができない。
そのさなか、リサは目を覚ました。彼女の肩を抱えるフィズナーの向こうに、ひときわ輝くものが見える。
「つき、だ――」
++++++++++
もはやここまでか、と安喜少尉は思った。モニターの向こうでは、総合治安部隊サイドの空冥術士たちは敗北寸前だった。押し切られるのも時間の問題だろう。
正規軍を突入させ、制圧する。それしかなさそうだ。
ただ、問題は、銃火器のたぐいは、空冥術士や魔獣にあまり効果を発揮しないということだ。うまくいって半分、討ち取れるかどうか。
その前に、あの巨大なヘビの犠牲となる者もたくさん出るだろう。それを許容できるだろうか。
妙見中佐は、事ここに至っても、安喜少尉に何ら指示を出さなかった。彼はあくまでも、辛抱強く、部下の判断を邪魔せず見守っている。
一方、澄河御影が見ているのは、空冥術士とそれを運用する総合治安部隊の全体だった。彼は、この組織が全体として機能しうるのかどうかを見定めようとしている。
リサの友人たるノナと鏡華は、半ば狂乱状態だった。ノナに至っては溢れ出る涙を止めることができない。なにせ、大事な友達であるリサが倒れ、敵には攻め込まれているところだ。
だが、リサがおもむろに立ち上がったのを見て、ふたりは驚く。
「え――?」
「リサ?」
そこから先は急な展開だった。
リサの武器――光の槍は形を変え、大きな弓矢になった。光り輝く矢をつがえ、彼女はそれをハルゴジェに向かって解き放った。
その一撃で——たった一撃で、ハルゴジェの巨体の上半分が消しとんだ。
頭を失った魔界の竜は、ずしんと地響きをたててビルの屋上へと崩れ落ちる。
++++++++++
「お、おい、お前」
フィズナーはあまりのことに動揺し、そして、自分が剣を地面に置いていたことを思い出し、それをさっと拾い上げる。
リサの目は『人類救世魔法教』の三人でも、ユラバでもなく、天上を見ていた。
少しだけ欠けた月。
「あそこに、ヴェイルーガ、が、」
ベルディグロウは敵四人に注意を向けながらも、その言葉をはっきりと聞いた。ヴェイルーガ。神域聖帝教会における最高位の神・ディンスロヴァの隠された
だから、彼は『人類救世魔法教』の三人とユラバ・ザルバリアールが逃げていくのを追うことはしなかった。
彼の探していたものは、ここにいたのだから。
「い、る……」
リサは再び気を失い、前のめりになって倒れる。それを、フィズナーは受け止めた。
光の弓矢は消え去った。リサの星芒具は宝石部分が焼け焦げている。リサの引き出した力に、星芒具が持たなかったというような格好だ。
「お、おい、こいつは一体――?」
あまりのことの状況が飲み込めないフィズナーに対して、ベルディグロウは落ち着いていた。いや、歓喜の中で落ち着き払おうと努めていたというのが正しい。
フィズナーの腕の中で、リサはすうすうと寝息を立てている。
++++++++++
翌日の昼になって、デブリーフィングがもたれた。
さすがに三日間も同じ服を着ているのはこたえると判断してくれた『統合治安部隊』は、リサにジャージを貸与してくれていた。
安喜少尉が状況を総括する。淡路は負傷でしばらく戦闘参加不能。岸辺には新しい日本刀が必要。
淡路は会議室には来ていない。来られないほど、負傷がひどいのだ。一方の岸辺は、暇があればリサの能力を称賛している。「あれほど強い空冥術を見たのは初めてですよ!」
しかし、安喜少尉は彼のように手放しで称えるようなことはしなかった。
「……リサさんの力については不明な部分が多いため、使用は控えてください。実態の解明には、空冥術研究所の協力を仰ぎます」
リサの発現した能力については、強力であるものの不明な点が多く、調査が必要で、今後も可能な限り無茶な行動は避けること、と釘を刺された。
あの力については、リサ本人もよくわかっていない。だいいち、記憶にないのだ。あの力の操りようなんてわからない。彼女自身、あとになって録画を観て驚いたくらいだ。
ところで、フィズナーはといえば、入国手続きこそ正規の手順ではあったものの、紛失した星芒具について大使館に届け出なかったこと、日本の当局の許しなく勝手にイルオール人地下組織『黒鳥の檻』との戦闘を繰り返していた点などが問題に挙げられた。
しかしながら、戦力不足にあえぐ『総合治安部隊』に協力するのであればという条件付きで、それらの事項に関しては不問となった。
会議室内のロの字型の机の配置上、ベルディグロウはリサから見て向かい合うように座っていた。
心なしか、いつもの気怠そうな雰囲気ではなく、清々しい心持ちをしているようにみえる。……ほとんどリサのほうを見て来ることが、彼女は気になった。
ベルディグロウの隣には、別の政府機関の視察から戻ってきたラミザノーラと、シデルーン総司令が座っていた。
ラミザノーラは小声で、嬉しそうに、ベルディグロウに言う。
「神域聖帝教会からのご命令の、探し物が見つかったようですね」
「……ええ。まさか本当に、アーケモスの大陸の外にいるのだとは……」
+++++++++++
リサは『総合治安部隊』の五階建ての隊舎の屋上に出た。冷たいが清々しい空気を吸いこむ。
空の濃い青。ちぎれ雲の白。
フェンスに指を絡めて街の風景を眺めていると、背後の扉が開く音がした。
フィズナーだ。彼は長旅で汚れていた服を着替え、神妙な顔をしてリサの前へとやって来た。日本人のような洋服とジャケットを着ているのが少し可笑しい。
「よくわからないが、お前、日本の国防軍の組織に入ったらしいな」
「『総合治安部隊』、だよ。仮入隊だけど」
「やめとけ」
「えっ」
「戦場働きは男の仕事だ。女が出て来て、大怪我をしたらどうする。場合によっては、命を落とすよりも悪い」
リサはここで、フィズナーは女を馬鹿にしているわけではないことを理解した。考え方に偏りはあるものの、彼は彼なりに、戦うリサのことを心配していたのだ。
「ありがとう、心配してくれて。でも大丈夫。わたしなんて、特段きれいでもないし……。怪我をしても困らないよ。それよりも、わたしには、目の前の悪を討つことのほうが大事なんだ」
「馬鹿を言うんじゃない。お前は女だ。自分で何を言おうと、そこは変わらないし、曲げるべきじゃない」
「それでも――、えっと、フィ……? 名前をちゃんと名乗ってなかったね。わたしはリサ。逢川リサ」
「リサか。俺は、フィズナー・ベルキアル・オンだ」
聞いたばかりの名を、リサはいきなり省略する。
「フィズ。今後よろしくね。しばらく、この『総合治安部隊』に残るって聞いたよ」
フィズナーはリサの頑固さに、一瞬口をつぐんだが、ため息を吐きながら答える。
「俺は日本の軍人になる気はない。ただ、総合ナントカ部隊が『黒鳥の檻』も追うらしいという話だからだ。だが、リサ、お前はなんの関係もない小娘だろう」
「いや、違う。彼女はただの小娘などではない」
そう言いながらやって来たのは、ベルディグロウだった。
「神官騎士」
「グロウ」
フィズナーは彼を職業で呼び、リサは略して呼んだのだった。ベルディグロウはそのどちらも気に掛けなかった。
「きのうも言った通り、リサのことが心配ならお前が守ってやれ、フィズナー。彼女はただの小娘などではない。間違いない。彼女は私が教会の命を受けて探していたお方――」
「間違いないって、なにがだ」
「え、ちょっと、グロウ」
ベルディグロウはおもむろに、リサの前までやって来てひざまづき、こうべを垂れた。これにはリサもフィズナーも驚いた。
ベルディグロウは言う。
「リサ、あなたこそオーリア神域聖帝教会・大神官猊下が探していたお方。神に選ばれし者だ」
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