第四章 都心の摩天楼(6)——そして遊撃手

 こくり、とユラバはうなずく。


「持ち合わせの中で一番高いのを選びました。もちろん、一番強力。所有権を雨村大臣に引き渡します」


「ヒ、ヒイ……」


 しかし、当の魔獣大臣・雨村は、腰を抜かして尻餅をついていた。彼が見上げる魔獣はあまりにも巨大で強力そうだ。そんなものの所有権を引き渡されて、彼は震え上がった。


 だが、強力な武器を得たことにご満悦なのか、教祖・赤麦の声は明るい。


「よかったじゃないか。魔獣大臣・雨村くん。これでキミの教団内の格も上がるというものだ」


 これで、リサの中で、はっきりしたことがある。あの肌の浅黒い女――ユラバと『人類救世魔法教』が取引をしていたのは、魔獣だ。それも、日本の治安を擾乱じょうらんするための兵器としての魔獣。


 あのユラバという女は何者だろう? 魔獣を扱うことができる空冥術士、そして、日本人とは異なる風貌――。



 太陽はとっくに沈んでいる。


 全長十メートル近い胴体をすべて現したハルゴジェは、羽もないのに薄暗い山手ダイヤモンドタワービルの周囲を飛び回った。


 こんなものは野放しにできない。リサは光の槍に力を込める。


 雨村は、腰が砕けてふらつきながらも、貯水塔の壁に手をついて立ち上がる。そして、叫ぶ。半ば自暴自棄だ。


「行け、魔界の竜、ハルゴジェ! そいつら四人を!」


 ここでまた、リサは違和感を覚える。「殺せ」とか「屠れ」とかではなく「叩き落とせ」とは。この言葉の選択は――?


 ハルゴジェはまず、先頭に立つベルディグロウに突撃する。彼はこの機にハルゴジェを真っ二つにしようとしたが、相手のほうが速いことを悟り、防御姿勢をとった。


 重い、そして鈍い音がしてベルディグロウが弾き飛ばされる。だが、大剣を床に突き刺してブレーキを掛けた。このおかげで、彼はビルから叩き落とされずに済んだ。


 それにしても、すごい筋肉だ、とリサは思った。


 リサの理解では、空冥術は素体の身体能力とは無関係に使用者を強化する術だ。けれど、ベルディグロウのように、恵まれた身体能力と掛け合わせて利用するという方法もあるのだと学んだ。


 感心しながら、リサはハルゴジェへの攻撃を繰り出していた。光の槍から放たれる光弾での攻撃だ。しかし、何発繰り出しても、ハルゴジェの固いうろこを抜くことができない。


 これは――、接近戦しかないみたいだ。


 リサがそう思ったとき、ハルゴジェは淡路を襲撃した。哀れ淡路はハルゴジェの突進に弾き飛ばされ、猛烈な勢いで階段室の壁に激突して気を失った。


 相当に酷い骨折を負ったように見えるが、階段室に衝突したのは幸いだった。そうでもなければ、この高層ビルから落下していたはずだ。


 淡路が一撃で戦闘不能になったのを見て、岸辺はより注意深くなった。ハルゴジェは次に岸辺を狙ったが、岸辺はそれをすんでの所で回避した。


 だが、肝心の日本刀をへし折られてしまった。これでは岸辺も戦闘を継続することができない。


 ハルゴジェとしても次は誰に攻撃しようか見定めていたのだろう。これまで襲わなかったリサに向かって、口を開け、牙をむき出しにして飛びかかってくる。


 これはリサにとって好機だった。遠隔攻撃が通らなければ、接近戦で仕留めるしかないからだ。彼女は腰を深く落とし、巨大なヘビの襲撃を待ち受ける。


 だが――。


「何をやっている、バカかっ!」


 どこからともなくそんな声がすると、ハルゴジェは悲鳴を上げ、跳び上がった。


 何者かが、ハルゴジェがリサに接触する直前で、ハルゴジェを側面から攻撃したのだ。


 複数の傷穴から紫色の血を吹き出しながら、跳びすさる魔界の竜、ハルゴジェ。攻撃者は一瞬で、この大蛇に複数の攻撃を浴びせたのだ。


 いったい誰が――。


 リサの目の前には、長髪を後ろで束ねた、やや長身の男が立っていた。筋肉質な身体をしているが、ベルディグロウのような重量級というわけではなく、素早く動く能力を兼ね備えた身体作りをしていることはひと目でわかる。


 男の左手には宝石つきの籠手――星芒具が装着されており、その先には中型剣が握られている。近接クラスの空冥術士なのは一目瞭然だ。


 まっすぐに立った広い背、自信のある立ち姿。質の良さそうな布で作られた衣服は紫色の返り血でいっぱいだったが、彫りの深い端正な顔立ちは、彼の生まれの良さを表しているかのようだ。


 赤茶色の髪は風にたなびき、同じ色の目が薄暗闇の中で光を放っているように、リサの目には見えた。


 男は振りかえってリサを見ると、鼻で笑う。


「なんだ、日本軍の空冥術士か? それにしては、女子供まで混じっているようだが」


 リサは女子供呼ばわりされて頭にくる。


「なっ――! これでもわたしは国防軍『総合治安部隊』所属、しょぞく……、かりにゅうたい、の……」


 最後のあたりは自信なさげになってしまう。


「それにその星芒具、俺が前の戦闘中に失くしたヤツじゃないか。なぜ、お前がそれを持っている?」


「……これはわたしが拾ったんだ。それで、あんたは一体何者!?」


 男は一瞬どう答えようか考えたようだが、しかし答えは無回答だった。


「答える義理などない。そうだろう? お前こそなんだ。俺の星芒具を拾って、日本人の女だてらに戦士のまねごとを――」


「そこまでにしておけ」


 そう言ったのはベルディグロウだった。彼は大剣を肩に担いで、リサと男のところへとやって来る。むろん、これはリサを守るために距離を詰める意味合いもある。


「お前、フィズナーだな。フィズナー・ベルキアル・オン。オーリア帝国黒雷師団所属、ヴィ・レー・シュト方面騎士隊長――、だったと思うが、間違いはないか」


「……ずいぶん古い肩書を知っているものだな。だが、ヴィ・レーシュトにいたのは何年も前だ。ここに来る前はジル・デュールにいた。……あんたこそ何者だ?」


「あの都市にいただと……? 私はベルディグロウ・シハルト・エジエルミド。神域聖帝教会の神官騎士だ。特命あってこの日本に来ている」


 リサは男ふたりのやりとりを聞きながら、以前、ノナが言っていたことを思いだしていた。


 アーケモス人には、名前がふたつある場合と三つある場合があるということだ。ふたつの場合は、個人の名前と家族の名前を名乗っていることが多い。一方、三つの場合、個人の名前と家族の名前の間にが挟まることが多い。


 つまり、目の前にいるふたりはともに、空冥術士として、ある一定の能力を認められた存在であるということだ。


 フィズナーと名乗った、細いながらに筋肉質な男は、この場にオーリア人がいることに驚いたらしく、一瞬だけたじろぐ。


「ま、まさか神官騎士がこんな辺境くんだりまで来ているとはね。いったい何の目的で――」


「勘違いするな。問いただすのは私だ。私は公務で来ている。お前はなぜここに来た? ここに来るまでに無数の魔獣の死骸を見た。アレをやったのはお前だな、フィズナー?」


 ベルディグロウの問いかけに、フィズナーは一瞬にらみつけるような目をしたが、結局首を縦に振った。


「ああ、俺だ。俺にはここでやらなきゃならならないことがある。倒さなきゃならない敵がいる」


「そ、それって『人類救世魔法教』……?」


 そう、リサが口を挟んだが、それは正解ではなかったようだ。フィズナーは露骨に面倒くさそうな顔をする。


「俺がそんな日本のカルトなんかのためにここまで来るものか。俺が追っているのは、イルオール連邦地下組織『黒鳥の檻』のひとり、ユラバ・ザルバリアール!」


 夜闇に響くフィズナーの声。


 それを聞いて、褐色の肌の女――ユラバは動じなかったが、口元だけが笑ったようにも見えた。


「俺はやつら『黒鳥の檻』にずいぶん世話になった。それこそ、やつら全員葬り去っても釣り合わないほどにな。やっと尻尾を掴んだんだ」


 リサは理解した。リサたちが『人類救世魔法教』というカルトを無力化するためにここに来たように、フィズナーは海外テロ組織の『黒鳥の檻』を追ってここに来た。


 山手ダイヤモンドタワービルの屋上は、『人類救世魔法教』と『黒鳥の檻』の取引現場だったのだ。だから、リサたちとフィズナーは別々の目的で、同じ場所にたどり着いたわけだ。


 気になるのはフィズナーと『黒鳥の檻』との間にある因縁だ。フィズナーは、ユラバやその背後にいる『黒鳥の檻』を酷く憎んでいる。そうまでなる理由とは一体――。


 優勢であることを確信した教祖・赤麦が独特の声で高笑いをする。


「ヒョヒョヒョ、面白い。ビルからはずの空冥術士がもう一度登ってくるとはな」


「叩き落とすなんて中途半端な真似をするからだ。剣を使って壁にぶら下がるなんて、造作もない。次は殺す気で来ることだな!」


 間違いない。リサは確信した。わたしたちより先にこの山手ダイヤモンドタワービルに入り、大量の魔獣を蹴散らし、二頭のドラゴンと戦っていたのは、このフィズナーだ。


 しかもたったひとりで、だ。


 だがおそらく、リリュティスやシューティスといったドラゴンと戦ったときに、あえなくビルから突き落とされたのだろう。だが、彼は剣を壁に刺して落下を防ぎ、もう一度ここまで登ってきたのだ。


「ハルゴジェ」


 ユラバはよく響く、しかし落ち着いた声で巨大な魔獣を呼ぶ。すると、魔界の竜ハルゴジェは、その巨体を床に横たえて、彼女のそばに控えた。


 ハルゴジェの所有権は魔獣大臣・雨村に移ったはずだ。けれどもまだ竜がユラバの命令を聞き入れるのは、譲渡が完全でないからか、ユラバの力がそれだけ強いからか、そのどちらかだ。


 リサはあたりをさっと見渡す。淡路は負傷し、気を失っている。岸辺は武器を失い何もできない。


 この状況で魔界の竜ハルゴジェと戦えるのは、ベルディグロウ、フィズナー、そしてリサしかいないというわけだ。


 リサは渋い顔をする。


「悔しいけれど、フィズナーにも協力してもらわなきゃ。前衛ヴァンガードはグロウ、後衛リアガードはわたし。そこにフィズナーには遊撃手レンジャーとして入ってもらうしかない」


 リサはベルディグロウの長い名前を、グロウと三文字で略したのだが、当の本人はとくに問題がなかったのか、彼女の方針にうなずいた。


 けれど、リサの提案に、フィズナーは肩を竦める。


「はあ? 何を言ってるんだ。女は引っ込んでいろ。なにが後衛だって? お前は邪魔なんだよ。それで――」


「まあ、待て」


 割って入ったのはベルディグロウだった。こんなところで割り込まれるとは思わなかったのか、フィズナーは軽く息を詰まらせる。


「――っ、なんだよ」


「リサは今のわれわれの中で、戦力として充分だ。それに、ことによると――」


「ことによると、何だ?」


「――ともかく、気になるなら、お前が守ってやれ、フィズナー。彼女は必ずこの戦いの鍵になる」


 神官騎士にそこまで強く断言されてしまえば、フィズナーには反論が難しい。彼はただ溜息をつくばかりだった。


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