第一章 闇の夜を彷徨う(4)救世主は女子高生
あの日、ノナは来日したばかりで、日本での生活に不慣れだった。「日本では、夜でも危なげなく出歩ける」という情報をそのまま真に受けて、深夜のコンビニに出掛けたのだった。
買ったものは、プリン。こんなぷるぷるした食感の食べ物はオーリア帝国では珍しい。だからプリンはノナの日本でのお気に入りだった。
仕事のあとのご褒美プリン。そんなことができるなんて、日本に来て正解だったと彼女は思う。
アパートに帰ってプリンを食べることを楽しみにしながら、道を曲がって暗い路地に入ったときに、ノナはすぐさま異変に気がついた。
目の前に、不細工な三人の男が立ち塞がっていたのだ。彼らからただならぬ悪意を読み取るのは、そう難しいことではなかった。
「おおー、ほんとに外国人じゃん。オネーサン、どこから来たの? やっぱオーリア帝国?」
「ほー、やっぱオーリア人はスタイルいいなー」
「な、俺らと遊ぼうよ。いいところに行こうぜ」
急に腕を掴まれて、ノナは驚いた。どこよりも安全といわれた日本でこんなことになるなんて、予想もしなかったからだ。
けれど、ノナが美しいオーリア帝国人であるという事実は、外国人と触れることのない一部の日本人にとって、下種な興味の対象になりうるのだ。
この二〇〇二年の日本は、一九九五年以前の日本とは異なり、外国との人の行き来が著しく規制されている。だからこそ、街のどこかに外国人が住んでいるとなれば、その噂はあっという間に公衆に知れ渡ることになる。
「や、やめてください!」
「へー、日本語通じるんじゃん。おもしれ」
ノナは掴まれた腕を振りほどこうと、腕を引っ張ったが、びくともしない。それに、下種な男たちは、やめてと言って聞くような相手ではなかった。
「放して!」
「こっち来いよ!」
「いやっ!」
ノナが大声をあげようとしたその瞬間、平手が飛び、彼女の頬を打った。
プリンの入ったビニール袋が地面に転がった。
頭への衝撃、頬の痛みが、一瞬なにが起こったのか、彼女が状況を理解するのを遅らせた。
「大声とか出してんじゃねーよ。ついて来いって言ったらついて来るんだよ。わかる?」
男の強い語気に、ノナはただただ首を縦に振り続けた。怖かったのだ。いったい何をされるのかと思うと。ここで首を縦に振ったところで、酷いことをされることに変わりがなかったとしても。
ノナは不細工な男三人に囲まれて、路地裏を暗いほうへと進まされた。明らかに人気のある場所からは遠ざかっていく。
うち捨てられた廃墟の、壊れて閉じなくなった入口から入ったところで、男たちはランタンに火を灯した。完全に、日本の表の社会とは切り離された場所だった。
もう誰の助けも呼べない。たとえ、大声をあげることに成功したって、もう誰の耳にも届かないだろう。
「まあ、座れよ」
男たちのひとりがそう言い、廃墟の中に放置された、積み上げられた木材を指さした。
外界と隔絶した暗闇の廃墟のなか、座らされたノナは、三人の下種な男に囲まれている。
「つ、ついに……」
「テレビでしか見たことなかった、アーケモス大陸人、いや、オーリア帝国人の女がここに……」
「もう、俺らの好きにしてもいいんだよなあ……」
このままでは、危ない。このあと何をされるか、そして、命があるかどうかさえわからない。
一か八か……。ノナは星芒具——籠手のはめてある左手を男たちに向けると、できる限り、自信のありそうな表情をするのに努めた。
「な、なんだお前」
「わ、わたしは、空冥術――日本人の言うところの魔法が使えます。ここで丸焼きにされたくなければ、わたしを無事に帰すことですね」
これには、さすがに男たちは動揺した。アーケモス大陸人が魔法を使えるというのは、テレビでよく取り上げられていた内容だからだ。
だから、本当にノナが空冥術が使えた場合、男三人がかりでも返り討ちにされてしまうことだって考えられる。
「ど、どうする……」
「さすがに魔法を使われたら……」
「いや、本当に魔法が使えるなら、最初に使っていたはずだ。殴られて大人しくついて来る女が、魔法なんか使えるかよ」
話がまずいほうに流れてきたと、ノナは思った。
「はやく解放しないと……、ひどいですからね!」
「うるせえこいつ。その手袋、奪い取っちまえ!」
「や、やめて!」
抵抗むなしく、ノナは左手の籠手——星芒具を奪い取られてしまう。三人の下種な男たちにしても賭けだったのかもしれないが、結果的に空冥術が何も使えないのは明らかだった。
「……!!」
ノナは叫ぶ。けれど、男たちはそれを意に介さなくなった。言葉だとすら認識しなくなった。星芒具を奪われてしまい、意思疎通能力が奪われてしまったのだから。
「……!」
「……!」
男たちがにじり寄ってくる。もはや容赦はない。男たちが何か言っているが、何を言っているのか、ノナにはわからなくなってしまった。
服を掴まれ、埃っぽい床に引き倒される。抵抗すれば平手打ちが飛んできた。ノナが動かなくなると、男たちは笑い声をあげる。意味はわからないが、なにか冗談を言い合っているようだ。
もうダメなの……? さっきまで幸せな気持ちだったのに。夜中にプリンが食べたくなって、それを買いに出ただけなのに。現に、日本人のほとんどが、その程度のことをして危険に巻き込まれることなんてないのに……。
ノナの頬を涙が伝ったとき、三人の下種な男たちは、何ごとかを叫び始めた。彼女に向かってではない。三人は入口に向かって、何かを叫んでいる。
「……!!」
「……!!」
あいかわらず、意味はわからない。だが――。
廃墟の入口には、ランタンの明かりに照らされた人影があった。
コートにマフラー。口元がマフラーで隠されているが、ふわふわの長い髪が、その人物が女性であることを示唆していた。そして、左手の袖から覗くのは、きらりと光る宝石の付いた手袋。
あれは、星芒具……?
「こんなところで外国人に乱暴とはね。見下げ果てたものだ」
マフラーの少女はそう言った。そう言ったのが聞き取れたのだ。間違いない。彼女が着けているのは、星芒具だ。
「……!!」
「……!!」
男たちはなおも何ごとかを叫んでいる。急な来客に動揺しているものの、語気の強さからは、男たちが退く気がないことが伝わってくる。
「ふうん。わたしも力づくで、ねえ。そういうのは好みじゃないけど、やってみたら? やれるものならね」
瞬間、彼女の手に、光の槍が出現する。それを器用に右手で一回転、左手で一回転させると、男たちに向かって構えたのだ。
「すごい」と、ノナは思った。オーリア帝国では、空冥術の
彼女は――マフラーの少女は、あらゆる意味で、特別だ。
「……!!!」
「……!!!」
男たちは驚きのあまり叫び、そして、逃げていった。
あっけなかった。
ノナがあれほど怖いと思った男たち三人が、あっけなくも、少女が光の槍を見せただけで蜘蛛の子を散らすように立ち去ったのだ。
「あーやだやだ。ホント、つまんないやつら」
マフラーの少女はそう言いながら、汚れた床に落ちていたノナの星芒具――籠手を拾い上げる。そして、ノナのほうへと歩く。
「これ、お姉さんのでしょ。大丈夫? ケガとかしてない?」
少女はマフラーを引き下げ、口元が見えるようにすると、ノナに向かって、落ち着かせるように、優しく微笑んだのだった。
以来、ノナ・ジルバは、この少女――リサを命の恩人だと思うようになったのだった。
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