第一章 闇の夜を彷徨う(5)文化祭準備談義

 翌日、夕方。学校の終業のチャイムが鳴る。


 日はもう西の空に沈み掛かっている。

 

 持ってきたすべての教科書やノートをカバンに詰めると、リサは夕日に朱く染まる廊下へと出た。クラスメートたちも次々に教室を出て、部活動へ向かったり、家へ帰って行ったりしている。


 廊下には、ノナがリサの準備が終わるのを待っていた。


 ノナは二十二歳だから、高校にいるのには本来は違和感がある。けれども、訳あって、ノナが勤める秋津洲あきつしま物産による社員教育の一環として、この四ツ葉高校に出入りしている。


 まず、なんと言っても、リサはこの四ツ葉高校の生徒会の役員だ。そして、ノナは彼女の生徒会の仕事を手伝う約束でここへ来ている。


 リサは、バイトがない日は、終業後は生徒会室にいることが多い。だから、ノナは生徒会室へ行くために、リサの教室の外で待っていたのだ。


「ありがと、ノナ」


「いいんです。わたし、日本ではあまり仕事なくて暇ですし」


 総合商社の外国人社員として、いかがなものかというような内容を、ノナは悪びれることなく口にした。



 生徒会室は、教室と同じ校舎新館の北館四階だ。校舎には新校舎と旧校舎とがあり、新校舎には北館と西館があった。教室のある新校舎の西館は三階建て、北館は四階建てで、いうなれば生徒会室は全校で最も高い場所にある。


 西館から北館へと抜けて、リサとノナは螺旋階段を上った。


 最上階の窓は、他の階の窓と違って丸い形になっている。夕日の光を丸窓が切り取って、差し込んだ光の先に、生徒会室の扉がある。


+++++++++++


 四ツ葉高校の生徒会会長・澄河すみかわ鏡華きょうかは他のふたりの生徒会役員たちとともに、雑談に興じていた。


 鏡華は日本有数の財閥、秋津洲あきつしま財閥の総裁・澄河厳一郎げんいちろうの令嬢だ。学年こそリサと同じ三年生だが、お嬢様であるゆえに世間から浮いた発言が多い。


 リサが扉を開けて生徒会室に入ってくると、鏡華はセミロングの髪を掻きあげ、リサとノナに話しかける。


「ごきげんよう、リサ、ノナさん。きょうは文化祭について話し合うわよ」


「うん、鏡華。文化祭実行委員会に対する規制事項の検討だったよね」


 リサはそう答える。彼女はとても真面目だ。風紀委員長であることもあって、文化祭の内容よりも、その実施にあたってのルールやコンプライアンスのほうにどうしても意識が行ってしまう。


「それもあるけれど。わたしたち生徒会でも何か出し物をするって話をしたいのよ。わたし、このメンバーで何かやってみたいの。もちろん、ノナさんも含めてね」


 「ノナも含めて」という部分で、ノナは嬉しそうにはにかむ。この生徒会のメンバーとして、四、五歳も年上なのに受け入れられていること、高校という馴染みのない組織に受け入れられていることが嬉しいのだ。


 リサは文化祭のルールの話ではなく、内容の話だと理解し、鏡華に質問をする。


「ふーん、楽しそう。何やるの? 飲食系? 演劇系? ……どっちをやるにしても、わたしたち五人しかいないから、うまくやらないとね」


「わたしたち、今年が最後なのだし、どっちもやってみたくない? 飲食系で演劇系なの。素敵だと思わない?」


「え、いや、だから人数が……」


「ふむ……。そうすると、生徒会として助っ人を募集しておかないといけないな」


 そう言ったのは、生徒会副会長の寺沢豊継とよつぐだ。寺沢もリサや鏡華と同じく三年生で、黒縁眼鏡の似合う、全体的にシャープな印象の男子だった。


 それは名案! とばかりに、鏡華は両手をパンと打ち合わせる。


「それだったら、秋津洲うちの人間をお父様に借りるか、いっそ劇団員を借りてしまえばよさそうだわ! ほら、最近広告をしているじゃない。劇団換毛期かんもうきって」


「なるべくなら人員は学校内で調達しておいたほうが無難だとは思うが……。確かに、本校の文化祭規則には、学外から人を借りてはいけないとは書かれていない」


「じゃあ、出し物の幅はうんと拡がりそうね」


 鏡華はぐいぐいと行く。彼女はビジョナリーだ。次々にアイデアを出していくのが彼女の役柄だ。


 対する寺沢は、会長による毎度の無茶ぶりにも動じずに物事を進めていける機転の持ち主だ。彼のおかげで、この生徒会が回っていると言っても過言ではない。


 リサはウェーブの髪でこんもりとした頭を掻く。


「いや、それでも、さすがに劇団換毛期さんみたいな大御所から人を借りてくるってのは……」


「そこは逢川の言うとおりだな。いくら秋津洲でも、こんな理由で大劇団の公演に穴を開けたらまずい」


 寺沢に同意されて、リサの表情に自然と笑みがこみ上げてくる。寺沢と話すときのリサは、いつもにこやかで、そしてきめ細かい。


 リサは寺沢に――たとえわずかでも――好意を抱いていることを自覚していた。けれどもその一方で、彼が鏡華に同じような想いを抱いていることもわかっている。そして、鏡華のほうも彼に対して憎からず思っていることも理解している。


 鏡華は色々なことを思いつく半トラブルメーカーだが、そのことごとくを実現可能なところに軟着陸させて進行させていくのは、寺沢の手腕だった。


 鏡華はリサの懸念に対し、新たなアイデアを出す。


「じゃあ、宝船歌劇団で手を打ちましょう」


「会長、打てませんよ」


 鏡華の剛速球を、リサが素早く打ち返した。


 残る生徒会メンバーは、二年生の黒田虎鉄こてつだ。彼は生徒会を剣道部と掛け持ちしていて、文化系の香りのする生徒会に、体育会系の風を送り込んでいる。


「じゃあ、先輩たちのクラスでは何やってます? 俺のクラスは劇やりますよ。アリババと四十人の盗賊とタコ怪人」


 生徒会は鏡華、寺沢、黒田の三人と、風紀委員長であるリサを合わせて四人で構成されている。選挙で選ばれたのは会長の鏡華だけで、残りのメンバーは会長が任意に任命するというのがこの学校でのルールだ。


「タコ怪人ってなんです?」


 ノナはリサに問うた。だが、リサは小声で短く答える。


「適当言ってるだけだから気にしないで」


「そう言う逢川先輩のところは何っすか?」


「……うちはお化け屋敷だよ。まあ普通だね。鏡華と寺沢君のクラスは?」


 リサがそう答えながら、ふたりに質問した。鏡華と寺沢は同じクラスだからだ。その質問には寺沢が答える。


「うちのクラスは非常に文化的な出し物でな。中世日本の衣服を伝統的な方法で作って展示しようという流れになっている。……一部、お祭り勢がそれを着て劇をしたいと言い始めて、やや混乱が生じている」


「あー……。鏡華?」


「なんでわたしだって判ったの? リサってエスパー?」


「なんとなくそう思ったんだけど……、マジか」


 リサは自分が言ったことが実際に当たってしまって、頭を左右に振った。学校用の赤縁眼鏡を押さえながら。



 鏡華はまたも、両手をパチンと打ち鳴らして、残りの三人に連絡事項を伝達する。


「じゃあ、このあと旧館裏の四ツ葉会館に行ってこようと思うんだけど、残れる人はいる?」


「俺はこのあと予備校に行くから無理だな」


「俺は剣道部に顔出しっす。すいません」


 鏡華の提案について、寺沢と黒田は各々の用事で参加できないと回答した。鏡華は少しだけ残念そうな顔をした。だが、一方、リサとノナは特に用事はなかったので、残ることができる。


「わたしたちは大丈夫。でも、なんで四ツ葉会館に? 旧生徒会室に行くってこと?」


 鏡華はうなずく。


「そうそう。四ツ葉会館の旧生徒会室には、昔の資料がたくさん残っているから、先輩たちのアイデアを借りれないかなと思って。きっと面白いアイデアが眠っているわ」


 鏡華は楽観的にそう言ったけれども、リサは腕を組んで「うーん」とうなる。


「……鏡華の望んでいるレベルのものがあるかどうかは怪しいけど、行くだけ行ってみようかな」


「じゃあ悪いな。あとのことはチーム河川とノナさんに頼みます」


「お願いするっす」


 寺沢と黒田はそう言って、荷物を持って出ていった。チーム河川というのは、生徒会の女子メンバー、澄河鏡華と逢川リサをまとめて呼ぶ、あだ名のようなものだ。


 窓の外はすっかり薄暗くなっている。


++++++++++

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