第一章 闇の夜を彷徨う(3)夜の散歩

 日頃、ノナはよく、リサの家を訪問していた。彼女の家とリサの家は同じ市内だが、それなりに離れている。だが、リサが彼女の危機を救ってからというもの、彼女はリサの家によく入り浸っている。


 夕食をつくるのはリサだ。リサの母は、いつもどこかに出掛けている。よく言えば社交的で、悪く言えば流されやすく、あまり家にいない。


 リサがキッチンから夕食を運んできて、居間のこたつの上に並べてる。四角形のこたつでは、リサの向かいにノナが座る。



 リサの家――逢川家には、いまやリサと母親しかいない。父親は十年前に職務上の理由で殉死していたし、姉のミクラは大学進学のために家を出たのだ。


 逢川家は父親の遺族年金で生活をしている。生活に困ったことはなく、幸い、リサの大学進学費用も賄える予定だ。


 夕食中、リサはよく喋る。しかし、それはもっぱらノナに対すること、学校出のことが中心で、逢川家に関することはほとんど全く話さないのだった。


+++++++++++


 リサは、ノナが帰ったあとは、普通の高校生のように学校の宿題やテスト対策をして、夜のテレビ番組を見る。そして風呂に入ってパジャマに着替える。


 だが、その先は普通とは異なる。夜更けに帰ってきた母親に、部屋に戻って寝ると宣言したあと、実際にはまた着替え始める。あったか下着を着込んでジャージの上下を着て、コートを着てマフラーを首に巻く。


 母親が寝たと思ったら鞄を持って、こっそりと家から忍び出る。そして夜の街を影のように歩く。


 ときどき野良犬としかすれ違わない夜の街を、リサはこうして巡回している。


 巡回する場所は、テレビのニュースで事件の場所として報道されたところや、日中の通学で気がついたところが多い。また、本来、空冥力の流れがまったくないはずのこの日本で、空冥術を行使した残滓ざんしがある場合、その場所を起点に探索を開始する。


 夜に出歩くとき、リサは眼鏡を掛けていない。彼女はもともと遠視気味の視力で、眼鏡は本を読むためのものだ。学校に通う平日はほとんどの場合眼鏡を掛けているが、掛けなくても概ね問題ない。「いまから学校に行くぞ」という気持ちの切り替えのために掛けている意味合いが強いからだ。


 これはだ。


 ザネリヤには度々「危ないからやめておいた方がいい」と言われてきたが、リサは夜の巡回をやめることができない――この力を手に入れてからは。


 ——力を持つ者には、それに応じた義務があるべきだ。


 リサにとって、小さな頃から門限を守ってお利口にしてきた自分が、高校生になって夜に出歩いているなんて、考えただけでも不思議な気持ちがした。


 けれども、自分の中のを求める声が、こうすることを求めていた。


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 ノナは近くの公園で時間を潰したあと、暗闇の中を歩いて行くコート姿のリサの姿を見つけ、そのあとを追った。


 リサはきょうも、「夜の散歩」を行っている。


 リサが駅に行き、電車に乗り込むのを見ると、ノナは一両空けて同じ電車に乗り込んだ。


 ノナはリサの深夜の巡回に助けられた人間だ。だから、彼女のこの行為は否定できない。けれども、彼女の行為は常識的には危険が伴うのだ。彼女の母親だって、知れば心配するだろう。


 リサが数駅先で電車を降りると、ノナは、バレないようにあとをつける。


+++++++++++


 リサの姉・ミクラは、リサのひとつ歳上で、今年の四月から大学生になった。しかし、連絡が取れなくなり、気がついたときには、行方不明になっていた。捜索願は出されているが、まだ手掛かりさえ掴めてない状態だ。


 しっかり者で家族との関係も良好だったので、何も言わずに行方をくらますような人物ではないと判断された。いまでは、何らかの事件に巻き込まれたのではないかと考えられている。


 ——もし、お姉ちゃんなら、同じことをしたかもしれない。


 リサは心の内でそう思う。姉のミクラであれば、もし空冥術を手に入れたとしたら、同じように正義を行使して回っただろう。


 逢川ミクラは桁外れの正義感の持ち主で、小さい頃から弱い者いじめを見逃さなかった。喧嘩の場にはよく割って入っていたし、どこであれ、禁止行為をしている不良には自分から注意をしに行っていた。


 そのようなことを繰り返していたので、ミクラは暴力にさらされることが多かった。喧嘩は頻繁にしていた。それでも、彼女は一向にりなかったし、危険に飛び込むことを決して恐れなかった。


 いや、「恐れという感情を喪失していた」という表現のほうが正しい可能性すらある。



 進行方向の先、鉄道線路の高架下の歩道の暗がりで、男たちが複数人、女性を囲むように立っているのが見える。友達同士の会話というわけではなさそうだ。……囲まれている女性がおびえている。ちょうど付近の外灯の電球が切れている。見通しが悪くなっているところに潜んでいたのだろう。


 リサは持ち出してきた鞄を下ろし、鞄の中から籠手型の星芒具を取り出した。それを左手首に装着すると、三カ所のベルトを締めて固定する。


 そして、巻いているマフラーは通学時のお洒落なスタイルから、顔が半分隠れる形に巻き直した。


 リサは、以前、ミクラが語っていたことを反芻する。


『いいかい、リサ。賢い人には、賢い人がしなければならない使命がある。強い人には、強い人がしなければならない使命がある。だから、賢くなりなさい。強くなりなさい。そして、自分に賢さと強さが与えられたことについて、その意味を考えなさい』


 リサは暗闇の中で深呼吸する。街灯に照らされて、呼気が白く色づく。

 

 ——わたしは、お姉ちゃんの代わりに、これを行っているのかもしれない。


 強風でウェーブの掛かった髪とマフラーの裾が大きく棚引いた。


 ——よし、行ける。


 リサは女性を囲んでいる男たちのほうへ、闇の中を駆け出した。彼女は鉄道線路の高架下へと跳び込んでいく。


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 リサが暗闇の中へと駆け出したのを見たノナは、慌てて物陰から飛び出し、彼女の姿が見える場所へと移動した。


 リサは闇の中、不審な男たちの集団の真ん中に飛び込んでいた。そして、男たちの騒ぐ声の中、左腕を振るう。


 その指先に、火花が走った。そして現れるのは、彼女の身長よりも長い光の槍。

 鮮やかに、踊るように回転する槍に、なぎ倒されていく男たち。ノナはやはり、それを見て圧倒される他はなかった。


 ノナは、舞うようなリサの戦いに胸を打たれていた。闇の中で光の槍を振り回す彼女の戦いは、いつ見ても美しい。そんな彼女に救ってもらえたことが光栄とさえ思える。


 けれど同時に、この日本での「普通の暮らし」から彼女を引き剥がした原因に――少なくとも、原因のひとつに――自分がなってしまったのではないかと、心がひりつくように感じるのだった。


 ノナは、リサと最初に出会った、あの日のことを思い出す。


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