第一章 闇の夜を彷徨う

第一章 闇の夜を彷徨う(1)「剣と魔法」と日本

 日本の暦でいう二〇〇二年の九月、関東地方、青京せいきょう


 雪が降っている。


 七年前、日本は地球を去り、アーケモスという惑星上の国となった。以来、日本は常冬の国だ。


 この新しい惑星上では、日本は元の地球でいう北緯四〇度あたりにあるわけではない。日本はいまや南半球の極にほど近い国。一年間のうち、八月から十月は比較的雪の日が多い。


 惑星アーケモスは剣と魔法――『空冥術くうめいじゅつ』の世界だ。そう、思いもかけず、剣と魔法の世界が日本の隣国として到来したのだ。……いや、正確には、日本国のほうが剣と魔法の世界にお邪魔しているのだが。


 一九九五年に国ごと転移してからの七年間、日本政府は周辺諸国に構わず軍備を拡張し、企業は大陸の国々へと乗り出した。


 日本人は、アーケモスに元々から存在していた国々に水道を布設し、発電所を建設し、電気製品を売って回った。アーケモスに元々存在していた国々は大陸にあるので、よく『大陸世界』とか『大陸諸国』などと呼称される。



 逢川あいかわリサは青京都立四ツ葉高校の女子制服を着て、学校からの帰宅の途中、ひとり歩道を歩いている。


 彼女の掛けている眼鏡は赤色のプラスチックリムフレーム。制服の上からダッフルコートを着て、マフラーをアスコットタイ風に巻いていた。ウェービーな明るい栗色の髪が歩くたびに揺れる。


 リサは十八歳。都立四ツ葉高校の最高学年だ。年明けには大学受験が控えている。本来、忙しい身なのだ。


 一瞬、強い風が吹いてあおられるマフラーを、リサは左手で抑える。


 ……そうだ。昨夜はその左手に籠手――星芒具せいぼうぐを装着していたのだ。色とりどりの宝石がちりばめられたその籠手は、超常の力を喚び出すための鍵だ。


 ある種の術者たちは「星のきらめき」という名の道具――『星芒具』を用いて、「大空のてだて、虚空のわざ」という意味の名で呼ばれる奇跡である『空冥術』を起こすというわけだ。


 こういった術者たちは『空冥術士』と呼ばれる。


 大方の日本人は、海の向こう側の大陸に、空冥術――日本で言うところの『魔法』があるということは知っている。連日テレビがアーケモス大陸の映像を流しているからだ。


 そのおかげで、いまの日本には、魔法が使えると称する怪しいカルト宗教が乱立し、怪しい詐欺商品が横行している。魔法の力で病気を治せる教祖や、魔法の杖で触れたものすべてが黄金に変わるなどという与太話もあった。



『魔法! 魔法! 魔法の力で生活をより良くしましょう! 悩みから解き放たれましょう! 平和な社会を築きましょう! 人類救世魔法教!』


 そんな音声を大音量で流しながら、カルト宗教の街宣車が通りを走っていった。車の上には、魔法使いの広いつばの黒い帽子をかぶった人が三人立っており、両手を挙げて立ち上がったり座ったりと、不思議な踊りを踊っている。


 実は、アーケモスの魔法は、そういった類いのものではない。


 リサはそんな街宣車が横を通り過ぎていくのを見て、肩をすくめた。彼女は舞い落ちる雪に左手を差し出して、そっとすくう。その左手には、訳あって、いまは星芒具はない。


 それはそうと、いつまでもこんなことをしている時間はない。リサは目的地に向かって歩き始めることにした。


 行き先は、青京都四ツ葉市大泉の自宅の近くにある友人宅だ。タイミングが合うのなら会えるはずだ。『外国』から来た友人たちに――。


++++++++++


 リサは一般的な一戸建ての家屋にたどり着くと、正面玄関のチャイムを鳴らさずに、ガレージのほうへと回った。


「ザン、いるー?」


「いるよー」


 ガレージの中から返事をしたのは腰まで届く金色の長髪をして、赤にすら見える明るい茶色の目をした女性だった。


 ザネリヤ・エデシナ・ゾニ——通称、ザン。彼女は先進的な空冥術を持つファゾス共和国から来ている学者だ。


 ファゾス共和国は、惑星アーケモスに国ごと転移してしまった哀れな国家だ。その空冥術の発展度合いはアーケモス大陸の国々をはるかに凌駕していて、空冥術で日本と同等以上のレベルに発展した驚異的な国家といえる。


 公にはあまり知られていないが、日本はファゾス共和国と研究協定を結んでおり、空冥術研究所を設立してファゾスの学者を数人招聘しょうへいしていた。ザネリヤはそのうちのひとりだ。ゾニは家族名で、エデシナは空冥術士として一人前の者にだけ与えられるだ。


 ガレージの中には作業台がいくつも並べられ、工具があちらこちらに転がっていた。作業台の前には、もうひとりの人物がいた。


「リサさん、やっぱり来たんですね」


 そう言ったのは、ザネリヤの家に来ていた先客、ノナだった。髪型はあごの下までのショートヘア。箱形の帽子を被り、しっかりと厚手のコートを着込んでいる。ということは、彼女もまた、ここへ来たばかりだということだ。


「あいかわらず、日本は寒いですね」


 ノナ・ジルバは、アーケモス大陸のオーリア帝国、ジル・デュール出身の都市民だった。それが、ふとしたことから日本の秋津洲物産の「現地採用社員」となり、いまは期間未定で、日本国青京都の本社勤務に配置換えになっている。


 オーリア帝国は常に温暖な国で、雨季と乾季という季節が存在する。「日本は寒いですね」と彼女がそう言ったのは、寒さに慣れていないからだ。


 彼女は二十二歳。元々、秋津洲物産の日本人社員たちが現地で行動する際に支援するための役割を負っていた。日本と現地――オーリア帝国とでは文化や商習慣が異なるので、そのギャップを埋めるのが彼女のような「現地採用社員ローカル」の仕事というわけだ。


 いまや、食料のほとんどはアーケモスから輸入されている。日本はもともと食料自給率の低い国だったというが、気候がまるで変わってしまってからというもの、従来通りの農業はほぼ壊滅した。そのかわりに、大陸各地で日本に輸出するための作物がつくられている。


 そういった交易や、現地事業の開発を行うのが秋津洲物産のような総合商社の仕事だ。ノナはこれまで、オーリア帝国の地で、そういった日本人駐在員たちの貪欲な活動を見てきたという。


 ノナの名前はノナ・ジルバと短かい。個人名のノナと家族名のジルバだけだ。術士名を持たず、空冥術士ではないことは明らかだ。ザネリヤの名前が長いのとは対照的だ。


 ノナは空冥術士ではないから、ほとんどまったく空冥術を行使することはできない。『魔法の国』として知られるアーケモス大陸には、こんな人も数多くいるのだ。


 けれど彼女がここ日本で星芒具を常に身につけているのは、星芒具に備わる意思疎通の機能を利用しているためだ。これがなければ、日本人との会話は成立しない。会話ができなければ困る。


 リサは身長が一六五センチメートル弱と、日本人女性としてはやや高身長だ。けれど、アーケモス人女性としては標準的な範囲であり、リサとノナは同じくらいの体格だった。


 対するザネリヤは、リサよりも頭ひとつ分ほど背が低く、ファゾス人としてはかなり小柄だ。


 リサは笑顔を向ける。


「ノナも、やっぱりここにいたんだね」


「時間が空いてましたから。様子を見に来ました」


 リサは日本人で、ザネリヤはファゾス共和国人、ノナはオーリア帝国人と、三人とも背景が異なっている。


 けれど、お互いに言葉が通じているのは、ノナとザネリヤが装着している星芒具の意思疎通機能のおかげだ。これがなければ、彼女らはめいめいに意味のわからない言葉を発し続けているだけだっただろう。



 ザネリヤの傍の作業台の上には、彼女とノナが装着しているような星芒具が、もうひとつ置かれていた。


 ザネリヤは煙草をふかす。


「中古品だったから、一応、オーバーチャージ使用後の点検はしたけどね。問題なさそうだよ」


「よかった。もともと、わたしが拾ってきたこの星芒具を修理してくれたのは、ザンだからね。まあ、問題ないとは思ってたよ」


 リサは星芒具を作業台から拾い上げて、鞄の中に仕舞い込んだ。


「きょうも行くのかい?」


「うん?」


「夜の散歩だよ」


「うん」


「危ないからやめときなっていっても、聞かないんだろうねぇ」


「うん、そうだね。ちょっとほっとけないかな」


 リサが苦笑すると、ノナもまた笑った。


「そういうリサさんの正義感の強いところ、ありがたいと思います。おかげで、わたしを暴漢から守ってくれたわけですし」


 そうなのだ。リサと空冥術の巡り合わせこそが、ノナとリサの巡り合わせを支えている大事な鍵なのだ。ノナはリサと最初に出会ったときのこと、リサがあざやかに空冥術を行使していたことを折に触れて語るのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る