第44話 「偽名なんですよね?」Dパート

「北村さんの話はしましたよね」


「バイト先の先輩でしょ?」


「そうです」坂口はしっかりと肯き、「足立さんにはまだお話していませんでしたが、北村さんは自主制作で映画を撮影しているんです」


「それがどういう……」


「だから、あれはすべて僕が作った小道具なんです」


 パスポートを拾い上げた坂口は、それを広げて見せ、「以前にディスプレイ制作の会社に勤めていたことがあったので、その話をしたら小道具を作るようにお願いをされたんです」と言った。


「で、でも! 引き出しには拳銃も!」


「もちろん、本物じゃないですよ」


 立ち上がった坂口は例の引き出しの中から拳銃を取り出すと、「はい」と言って彼女にそれを手渡した。「持ってみてください」


 言われるまま拳銃を手にした足立は、すぐさま目を見開き、「え、軽っ!」と声を上げた。


「パスポートの住所や国籍は、全てでたらめです。顔写真だけはサンプルとして僕の写真をはめ込んでいますけど」


「ほ、ほへぇ……」


 ため息のような言葉にならない音を発しながら、足立は徐々に頬を高揚させ始めた。


「どうしても信用できないようであれば、今から北村さんに連絡を取って――」


「いえっ!」と両手を勢いよく前に出した足立は、そのまま顔を覆い隠し、「お恥ずかしいです……」と声を漏らしながらその場に伏してしまった。


「誤解をさせてしまったようで、すみません」と、坂口は頭を下げる。


「いやいやいやっ! 私の方こそ宇宙人だなんて。あぁ、何言ってんだろ私……」


 足立は体を伏したまま、土下座の態勢へと移行している。


 しばしの間、二人は互いに頭を下げた状態で向き合っていたが、坂口は映画のことで北村に頼まれていたことをふと思い出した。


「そういえば、映画の件で足立さんにお願いしたいことがあるんです」


「へっ?」


 間抜けな声を発すると、足立は低い姿勢のまま坂口を見上げた。


「次回作に出演してほしいそうです」


「えっと、次回作って、……映画の?」と尋ねた足立は、未だ同じ体勢で彼を見つめている。


「はい」


「わ、わたしが!?」


「そうです」坂口は何度も同じテンポで頷いている。「足立さんは、『立ち姿がシュッとしてしっくりくる』らしいです」


「そ、そんなっ!」足立は上体を起こして座り直すと、「そんなことないです……」と左右に手を振りながら頬を赤らめている。


「北村さんからは、『是非に』と言われています」


「でも……」


 俯いた足立はじっと考え込んだ後、「ごほんっ」とわざとらしい咳払いをすると、「とりあえず、現状は保留ってことでお伝えしてもらえますか」と小声で言った。


「保留ですか?」


「知り合いでもない人の映画に出るのは、ちょっと……」と気まずそうに答えた足立は、恥じらうように指で髪をいじりながら、「でも、その北村さんとは、……話してみたいかもです」と言った。


「本当ですか?」


「……はい!」


 足立はどこか、決心をするような面持ちで頷いていた。


 誤解も解け、映画のオファーに少しばかり浮足立った様子を見せる足立は、鼻歌交じりに玄関で靴を履き替えている。


「ごちそうさまでした。とっても美味しかった!」


「良かったです。また作りますね」


 足立が扉を開こうとしたところで、靴箱の上に置いたバインダーに気づいた坂口は、「あ、そうだ」と言ってそれを彼女に手渡した。


「なんです、これ?」足立は受け取ったバインダーを眺め、「あぁ、回覧板ですか」


「はい。読んだら次はあちら側のお隣さんに回してください」


 坂口は、足立の部屋のさらに向こう側をイメージしながら指差している。


「私、回覧板なんて初めて見ましたよ! 実在したんですね」


 バインダーに挟まれた用紙の見出しには、【新入居者歓迎パーティーのお知らせ】という文字が印刷されていた。


「これって、もしかして私のこと?」


「ここ最近で、他に入居者が入った様子はなさそうですね」


「四月三十日……」足立は内容をざっと眺め、「ゴールデンウィークの真っ最中じゃないですか。出席する人いるんですかね?」と呆れたように言った。


「以前に僕が参加した際は、結構来ていましたよ。最近はあまり参加できていないですけど」


「そうですか」足立は回覧板を眺めたまま、複雑な表情を浮かべている。


「ちなみに参加・不参加の事前申告は不要なので、当日出席できるようなら行くという形で良いらしいです」


「あ、そうなんですか」


 それなら、妙なプレッシャーもないか。


「それじゃあ、また」足立は回覧板を脇に挟み、「もうあのお菓子は食べないでくださいよ!」と捨て台詞を吐き、隣室に戻っていった。


「ふぅ。もっと気をつけないとなぁ……」


 足立の姿が見えなくなると、自室の扉を閉めた坂口は未だ微かに痛む頭を押さえながら、大きなため息を漏らしていた。

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