第42話 「偽名なんですよね?」Bパート

「あっちのお隣さん、新たな動きは見せましたか?」


 ちょうど本を開き始めた坂口に対し、足立は話しかけた。自分の部屋とは反対側の隣室に向かって指差したので、彼にもきちんと伝わったようだ。


「何度か外で見かけましたよ」と答えた坂口は、開きかけた本を閉じる。


「また何か怪しいことしてたんでしょ!」


「怪しいこと?」坂口は例のごとくとぼけた表情を浮かべ、「特にはないですねぇ」と答えた。


「この間、突然私の部屋に来たんですよ……」


 足立は怪談話でも始めるような、おどろおどろしい口調でそう言った。


「怪しいことをされたんですか?」


「へっ? いや、まぁ……。怪しいっていうか、間違って届いた郵便物を届けに来てくれただけなんですけど」


「いい人じゃないですか。わざわざ届けてくれるなんて」


「でもでも、すっごい怖かったんですよ!」


 足立は身震いをしながら、「まず顔が怖いし、声も低かったし、何か良く分からないこと言ってたし……」


「何て言ったんですか?」


「それがですね!」


 前のめりになった足立は、彼の方に顔を近づけた。坂口は目を逸らすことなく、彼女の瞳を見つめ返している。


 自ら近づいておきながら、妙に気まずい。


 足立は後ろにさっと身を引いて小さく咳払いをしたのち、「あの人、『宇宙うちゅうが好きなんです』って言ったんですよ……。何か怪しくないですか?」と隣人の壁をちらちら見ながら言った。


「……宇宙」


 坂口はその言葉について、考えを巡らしていた。彼は疑問に思う時や考え事をする際、必ず首を傾げる。それが足立にはだんだんとチャーミングに思えていた。


「宇宙なら僕も好きですよ?」


 時間をかけて彼が出した結論は、そんな台詞だった。「お隣さんもSF小説が好きなんですよ。それを言いたかったんじゃないですか?」


「えっ!? そうなの?」


「先日、語り合いました!」と坂口は笑顔を浮かべている。


「そんな仲なの!?」


 足立は目を大きく見開き、「じゃあ、あの人は違うのかなぁ」と呟いた後、テーブルの周りをぐるりと回って坂口のもとへ詰め寄りながら、「でもでも、それ何だか面白そうな話じゃないですか! お隣さんと語り合った時の話、エピソード交じりにもう少し教えてくださいよ!」と言った。


 坂口は足立の姿を静かに見上げながら、「いいですよ」と落ち着いた様子で答えると、「とりあえず、お茶にしますか」と言って立ち上がった。


「あっ! そうだ、忘れてた」


 足立は自分の頭をコツンと叩き、「私、結構いいやつ買ってきたんですよ」と言って近くに置いてあったおみやげの袋を引き寄せると、上品なデザインをした金色の缶を取り出した。


「綺麗な色ですね」


 坂口は楽しげな表情で缶を眺めている。


「今日は私が淹れますよ。坂口さんは先にお菓子でも食べといてください。お茶が入ったらゆっくりと続きを話しましょ!」と足立は紙袋を坂口に渡した。


 キッチンに去っていく足立を目で追った坂口は、次いで渡された袋の中を眺めた。和菓子や饅頭に混じって、食べかけのスナック菓子なども入っている。


「あぁ、これは綺麗ですね」


 坂口が手に取ったのは、半紙のように薄い和紙で包装された透明感のある和菓子だった。一つずつ彩りの異なるスティック状のゼリーは、どうやら寒天を固めたものらしい。味もそれぞれに違うようだ。


「それ可愛いですよね!」


 キッチンの前に立ってお湯が沸くのを待つ足立は、ペットショップの店員がケージの中の動物を紹介するような面持ちで答えている。「――おすすめですよ」


 やがて湯が沸くと、足立は急須に湯を注ぎ始めた。


 日本茶には最適な温度というものがあるらしいが、彼女は細かいことにこだわらない。適当な量の茶葉(分量が記載されているが、そんなものを読むつもりもない)を入れた急須に湯を注ぎ、しばし時間を置く。何となく、その方がお茶の味が出てきそうだ。


「出来ましたぁ」


 意気揚々と振り返った足立だったが、家主の坂口は天井を見上げたまま、身体をふらふらと左右に揺らしていた。


「どうかしました?」


 お茶を運んできた足立がテーブルの上を見ると、和菓子の包装が一つ解かれていた。どうやら彼が食べたようだ。


「何だか、……酔っ払ったみたいにふらふらします」


「えっ?」


 よく見ると彼は頬が赤く染まっており、顔色も悪い。


「まさか……」


 足立はテーブルの上に置かれた和菓子の箱を裏返した。すると成分表のところに、『少量のアルコールが含まれています』という注意書きが小さく記載されていた。


「それ、言葉通り酔っ払ってますよ!」足立は彼の身体を支え、「こんなちょっとでもダメなんですか?」


「……そうみたいです。あはは、あははは」


 微量のアルコールを摂取してから数分もしないうちに坂口は酩酊状態となり、床にごろんと寝転んでしまった。


「あぁ、どうしよ……。せめてベッドで寝ましょうよ」と足立は彼の肩を揺する。


「うっ。気持ち悪い……」


「えっ、えっ、どうしよ! 何か――」


 酔いに効きそうな薬はないかと、足立はタンスの引き出しを適当に開けまくった。テレビ付近のタンスにそれらしきものは見当たらない。


 今度はクローゼットを開けてみた。すると、中には白いポリプロピレンケースが三段重ねになって収まっている。


 服かな? 念のため、覗いてみましょう。


「えっ。何これ」


 引き出しの中には何種類ものパスポートや、あらゆる名前の名刺。それにはすべて、坂口の写真が貼られている。


「うそ……」


 パスポートの束を退かすと、下にはじゃらじゃらと音が鳴るほどの鍵の束、その隣には、拳銃のようなものが並べられていた。

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