第32話 「宇宙人の関係者なんじゃない?」Bパート
「そうそう! 私の部屋、ようやく引越しの荷物が片付いたんですよ」
彼女は唐突に話題を変えた。女性とはそういうものだと、以前に職場の先輩から聞いた覚えがある。
「良かったですね。大変でしたか?」
「そりゃもう!」
彼女は大袈裟に天を仰ぎ、「身を削る思いでしたけど、ようやく終了です! やればできるもんですね。ネット環境も整ったし、新しいプリンターも買ったんでひと安心って感じです」
そこで彼女は先日の一件を思い出し、恐縮したように坂口に向けて感謝の言葉を述べながら小さく会釈をした。
「いえいえ。困った時はお互い様ですから」
坂口は彼女の発言から、今朝のゴミ捨て場で目撃した光景を思い返していた。適当に折り曲げ、無造作に捨てられた大量のダンボールたち。それらを漁っていた背の高いお隣さんのことも。
話の流れから、坂口は張本人である足立に今朝のことを話して聞かせた。すると彼女の顔はみるみる青ざめていき、「えっ、こわいこわい!」と声を張り上げた後、何かを思い出したようにハッとした表情を浮かべた。
「そういえば昨日の夕方、私も帰り道にその人見たんですよ! 何か、黒ずくめの怪しい男と話してました」
「黒ずくめ?」
それを聞いた坂口は、足立の想像とはまるで違う人物像を脳裏に思い描いていた。
「私が近づくと逃げるようにいなくなっちゃったんですけど、今度はその黒ずくめの男が私のところに寄って来て、変なことを言ったんです」
「何て言ったんですか?」
「未知の電波がどうとか……」
足立はその光景を思い出しながら身震いをしたが、やがて笑顔を見せ、「でもでも! その時男の人が偶然通りかかって助けてくれたんですよ」
「お隣さんですか?」
「違いますよ!」足立はさも不快な顔つきで反論し、「もっとイケメンでぇ、優しくてぇ、イケメンでぇ……」と、どこか遠くを見つめ始めた。
坂口はすでに増え始めている空き缶を一旦流し場へと持って行きつつ、「その黒ずくめの人は、一体何をしていたんでしょうか?」と尋ねた。
「きっとあれは痴漢ですよ」足立は赤らめた顔で怒鳴ると、「コートの中は上半身裸だったのかも……」と呟いた。「あっ、でも他にも変なこと言ってたなぁ」
「何です?」
「宇宙人を見たことはあるのかって」
「宇宙人?」
坂口は、宇宙人の定義について頭を巡らし始めた。
地球外生命のうち、知性を持つモノの総称。多数の目撃証言はあるものの、この星でその存在についての正式な証明は依然としてされていない。
どこかの記事で、読んだ記憶があった。
物理学者のエンリコ・フェルミは、地球外生命の可能性の高さを考察しつつ、そのような文明との接点が未だ皆無であることについて矛盾を語ったことがある。
『存在が公にならない限り、その矛盾を完全に拭い去ることはできない』
また、彼はこうも述べている。
『現時点のこの惑星で観測しうる範囲において、地球外の知的生命体は存在しない。それが、この時代において表現できる最もシンプルで偽りのない事実である』
「私、思うんですけど――」
と、足立の言葉が耳に届いたが、それから次の台詞までには幾分か間が空いていた。それはコンビニのレジの前で弁当の温め待ちをするお客様のような、何気ない時間に似ていた。
「あの人って、宇宙人の関係者なんじゃない?」
「あの人とは、黒ずくめの人ですか?」
「いや、お隣さんですよ!」と足立は声を上げた。「もう! そのくらい文脈から察してください」
その拍子に、彼女が箸でつまんだ笹かまぼこから醤油が一滴垂れ落ちた。坂口は濡れた布巾でテーブルを拭きながら、「どうしてお隣さんが宇宙人の関係者なんでしょうか?」
「そりゃ、アレですよ」
彼女は多少身体をふらつかせながら、「私の捨てたダンボールを漁ってたり、黒ずくめの男と密会していたところがその証拠です! マンションで密かに何かを探ってるんですよ! あ、想像したらなんかこわっ!」
「密会だったんですか?」
「もちろんです。怪しさが滲み出てました」
「それじゃあ、黒ずくめの人もまた、宇宙人の関係者ということでしょうか?」
「そりゃそうですよ。さも宇宙人に会ったことあるような言い方してましたもん」
足立はさらに思いついたように、「あ、分かった! このマンションにも宇宙人がいることが分かったから、探しに来てるんです! え、そうなると私、あの人に疑われてる……?」
「関係者なら、わざわざ捜索する必要があるんでしょうか?」
「え? えっと、それは……」足立は悩ましげに頭を抱えながら、「きっとアレです、宇宙人の間にも派閥とか色々とあって……」
「そもそも、黒ずくめの人が宇宙人の関係者であるという証拠はなんでしょうか?」
「…………」
しばらくの間、彼女は無言で酒を煽った。そして、「おほほほ。まぁ……いいじゃないですか、そんな細かいことは!」と唐突に笑いだした。
「その方が面白そうだから、それで良いんです!」
「なるほど」と、坂口は納得したように何度か肯いた。
卓上のアルコールが余さず彼女の体内に入り尽くしたところで、賑やかな晩酌はお開きとなった。足立は玄関でふらつきながら靴を履き、気分良く鼻歌を歌っている。
どこかで聴いたことのあるメロディだった。はて、何だったか……。
「坂口さんもよーく注意しておいてくださいよっ! このマンションには、宇宙人が住んでるかもしれないんですからね!」
大声で話す彼女が隣室に入るまで、坂口は扉の横から顔を出して見送っていた。アルコールには、人を幼児化させる薬物でも入っているのだろうか。
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