第26話 「まずいな、こりゃ」Bパート
帰宅した前野は、デパートの地下で購入した惣菜を温めながら、きんきんに冷えたビールを冷蔵庫から取り出した。専用に冷やしたくびれ型のグラスに二度に分けてビールを注ぎ入れ、泡のバランスを整えるが、一口で半分ほど飲み干してしまった。
一瞬の幸せのために、努力というものは存在する。そんな格言めいたくだらない台詞を頭の中に思い描きながら、彼は瞬間を噛み締める。
「――ぷはあぁ」
大きく息を吐き出し、残りを飲もうとしたところで携帯電話が鳴り始めた。何とも場の空気の読めない迷惑な音だ。電話をかけた人間も、悪意の集合体を具現化したような奴に違いない!
前野はあからさまに不愉快な表情を浮かべたが、それでも電話には出た。
「あ、もしもし。私ですけれどもっ」と声の主は言った。
耳障りな甲高い声。すぐに誰なのか検討がついた。「はい」とだけ答え、前野は続きを待つ。どうせ言うことは決まっている。
「お頼みしている例の仕事の件ですけれどもっ、調子はいかがかと。もちろん順調だとは思っておりますが、私としても一応管理責任というものがございますのでね、こうして定期的にお電話差し上げている次第なんです。決してあなたを信用していないという訳ではございませんのでっ」
相変わらず、遠まわしで言い訳がましい。
「順調です。そう遠くないうちに始末できそうです」
「…………」
彼の言葉の信憑性を探るように、しばらく無言が続いた。
「いやぁぁっ、そう言っていただけると思っておりました! あなたはいつも約束をきちんと守ってくださる」
相手を一度持ち上げる言い方をしたが、「ですがね、私としては、この仕事をあまり長引かせない方が良いと考えているんです」と、唐突に真剣な調子になった。
「期限を早めると?」前野は冷たく平板に尋ねた。
「いえいえいえ! そのようなことは全くございません。私が個人的に、あくまでも個人的に! そう望んでいるだけのことですのでっ」
結局言っていることは同じ内容に思えるが……。と前野は思いながら、「なるべく早く片を付けますよ」と答えた。
それを聞いた相手はまたも少し間を開けてから、「……えぇ、えぇ。ありがとうございます! ではまた、後日ご連絡させていただきます。それでは!」
一方的に接続を遮断された携帯電話は、規則的なリズムで機械音を刻んでいる。奴の声を聞いているよりは、悪くない響きだ。
前野は改めてグラスに残ったビールを飲もうかと思ったが、気分が削がれてしまい、代わりにどうしても煙草が吸いたくなった。
ベランダに出ると、小雨が降り続いていた。煙草を口に咥えた前野は、正面の駐車場を見るともなしに眺めながら先ほどの会話を反芻していた。まだしかるべき準備が整ってはいない。期限を早めるのは、正直言って厳しい……。
すると、目の前で不意に激しい閃光が起こった。
何事かと思い、前野が咄嗟に光源の方へ意識を向けると、指の隙間から煙草がゆっくりと地面に落下していった。
視線の先には見たこともない飛行物体が突如として現れ、ゆるりと浮遊していた。まさに今、エントランスの正面に着陸を行うところである。
縦に細長い流線形のフォルム、その下にはクレーンゲームのアームのようなものが数本ついていた。それらが蜘蛛の足のように緩やかなカーブを描き、胴体を支えている。先刻ほど激しいものではないが、物体の周りは今も微かに光で覆われており、呼吸をするようにゆっくりと点滅を繰り返していた。
やがて点滅が収まると、卵形の物体は一部の面が花弁のように開き始めた。そこから、人型のシルエットをした生き物がゆらゆら揺れながら降りてくる。暗くて何者なのかは判別ができなかった。
さらに、これも一瞬の出来事だった。
着陸した飛行物体は、前野が瞬きをする間に姿を消した。辺りは再び静寂と完全なる闇に包まれる。生き物はおそらく、エントランスの中に入ったはずだった。
一部始終をベランダから見ていた前野は、地面に落ちた煙草を拾うと震える手で火をつけ、煙を吐き出しながら小さく呟いた。
「……まずいな、こりゃ」
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