第4章

宇宙人現る!

第25話 「まずいな、こりゃ」Aパート

 せっかくの日曜日だが、あいにくの雨模様である。


 朝から小雨がしとしと降り続き、風に吹かれると開け放った窓から部屋の中へと侵入してくる。しばらく堪えてみたが、仕方ない。窓を閉めることにした。


「何だか、落ち着かないな」


 前野は珍しく、部屋から解放されたい気分になった。こんな時は、雨天中止とはいかない。休日と言っても雨が降っているのだ。都心も空いているに違いない。


 普段着用のテーラージャケットを羽織った前野は、パイル地のハットを深く被ると玄関の扉を開き、意気揚々と外に出かけ始めた。


 考えなしに外出したものの、特に行く当てはない。とにかく駅に向かおう。電車に乗って数駅行ったところにでかい本屋がある。確か近くにはデパートもあったか。帰りに地下で惣菜でも買って帰ろうじゃないか。


 算段を整えると、お気に入りの傘(ネイビーとベージュの三本ストライプ柄である)を差した彼は、歩き慣れた住宅地を抜ける。


 雨だというのに、駅に向かう商店街はいつもより多くの人で賑わっていた。これが日曜日の魔術か。家族連れが多いものの、どこぞの迷いこんだ若いカップル(ここは目的があって訪れるような街ではない)などもうろついている。


 電気屋のオヤジは、例の将棋仲間たちと向かい合っていた。よほど盛り上がる対局なのか、見物客が囲んでいやがる。


「すっかりジジイどもの社交場になりつつあるな」と、前野は心の中でボヤきつつ、商店街を後にした。


 電車の乗って数駅行き、改札前に複数のバスロータリーが並ぶ駅に前野は辿り着いた。この辺りでは最も大きな駅である。


 駅直結のショッピングモールには若者向けのファッションブランドが並び、構内はいつ来ても混雑しているが、今日は雨の影響で余計にごった返していた。もっと動線を考慮した構造にすれば、いい駅になったろうに。


 人混みをかき分けて外に出ると、喫煙所の付近ではギターを持った小汚い若者が弾き語りをしていた。歌はそれほどでもないが、ギターの早弾きはなかなかのものである。足踏みしてリズムを刻む女や、腕組みしながら食い入るように見つめる男など、聴衆が半円を描くようにして男の周りを囲んでいた。


 この上なく暇な連中だ。ギター男も、屋根のないところで演奏をした方がよっぽどドラマチックだろうな。


 街道の桜並木は半分ほど散り落ち、お世辞にも美しいとは言えそうにない。生え変わり途中の猫の毛のようにみすぼらしい佇まいである。


 地面に落ちた花びらは街道を行き交う人々に踏み荒らされ、乱暴に引き剥がした鱗のように醜いものだった。それはスキャンダルをおかしたアイドルが、記者どもにもみくちゃにされている様子を連想させた。


 <桜>というアイドルもまた、ちやほやされるのは一年のうちごくわずかで、残りは退役した軍人のようにひっそりと暮らすほかないのだから。


「毎年注目してもらえるだけ、マシなもんだな」


 とボヤき、似たような境遇であるのにも関わらず、迷惑としか扱われないセミの存在について考えながら、彼はのんびりと街道を進んでいく。


 ようやく本屋に辿り着いた前野は、あてもなく店内を徘徊していた。


 この近辺でこれほど大きな書店は他にないだろう。巨大なビルを丸ごと本棚にしたような建物で、地下を含めると計10フロアもある。週刊誌から聞いたことのない島のガイドブックまで、大抵の書籍は何でも手に入る。ひょっとしたら、未知の惑星の旅行本も、ここでなら見つかるかもしれない。


 前野が宇宙関連の本を眺めていると、向こうから見慣れた顔つきの男が歩いてきた。愛用の(きっとそうに違いない!)青いマウンテンパーカーを着用し、つい今しがた生まれたような人柄の良い顔つきで歩く男は、こちらに気づくといつものように挨拶を寄越した。


「こんにちは」目を細め、明るく、相変わらず人懐っこい声である。


「よう」


 ぶっきらぼうに応えた前野は書籍に視線を戻したが、男はその場を立ち去ろうとしない。彼が手に持った「ブラックホールでこんにちは」というタイトルをじっと眺めていた。


「やっぱり、本を探すならここですよね」


「まぁな」前野は少し間を置いてから、「探してる本でもあるのか?」


「はい! 好きな作家さんがいるんです」と、男は活発な口調で答えた。「その人の最新刊が出ていないかと思って来てみたんですけど」


 と、直後に男の表情は陰った。どうやら見つからなかったようだ。


「ほう」前野は少しばかり興味を惹かれ、「好きな作家というと、名前は?」


「えっと、榎本えすっていう人です」


「……ふむ」


 前野は読んでいた本を棚に戻すと、腕組みして男の方に向き直った。


「え、知ってますか?」


 男は嬉しそうな顔つきで勢いよく言い寄った。「あぁ」と答えた前野は、付け加えるように、「どんな感じだ?」


「SF作家の中でも、この人だけは特別だと思いますね」と、男は神妙な顔で語った。「異星人の描写が本当に素晴らしいんです」


「ほうほう」前野は小さく頷きながら、続きを促す。


「クリストファー・ノイルという作家がいるのはご存知ですか? 1920年代に英国で活躍した作家です。宇宙や科学を題材にした作品を数多く手がけました。他のSF作家が派手なアクションシーンや異星人との戦争などを描く中、彼の描く世界観は他の惑星との共存や、地球にやってきた異星人がカルチャーショックを受けるなどといった、身近な生活に潜む笑いやコミュニティの恐ろしさを表現しています。


 シニカルな文体の中にもユーモアあふれる表現が多く、優れた技量の持ち主だったのですが、当時のSFブームの波には乗れず、埋もれてきた作家でもあります。それが今の時代になって、何度読んでも飽きが来ない名作として評価が見直されているんですよ。おそらく日本で活躍する有名な作家が翻訳を手がけたことも影響しているのでしょうが――」


「その作家に似ていると?」


「そうです!」男は興奮した様子で、「世界観は、限りなく近いと思います」


「ふむ」


 前野は、目の前で熱心に話す男の姿を観察していた。SFにひどく心酔しているようだ。いわゆる、オタクってやつだな。


「異星人を単なる侵略者として語るのではなく、彼らを一個人として捉え、どちらの立場も公平に描写している。これは先入観を持たずに書かなくてはならない分、表現が難しいので他の作家が容易に真似できることではありません。どの作品も、僕にとってはSFのバイブルのようなものばかりです」


「ふん。相当好きらしいな」


「はいっ!」


 男は日暮れ時にも遊び足りないとごねる少年のように、まだまだ語り足りないと表情で訴えている。


 それを感じ取ったせいか、前野は思わず「飯でも行くか?」と誘っていた。素直でいい奴じゃないか。


 けれど男は、ふと気づいたように腕時計を睨むと、「あ、僕これから友人と約束があるんです」とさっぱりとした調子で言った。


「そ、そうか」何でもないような風を装いつつ、目を逸らした前野はひどく残念そうな表情を浮かべていた。


「また今度、語り合いましょう!」と言い放つと、男は足早に(されど静かに)その場を去っていった。


 前野は男の後ろ姿を眺めながら、漠然と思う。


「……何というか、幸せなやつだな」

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