第22話 「死活問題なんです!」Dパート

「あ! 新聞!」


 ようやく突破口を見つけた足立は続けざまに、「あれって、月々いくらぐらいするもんですかねぇ?」と適当な質問をした。


「月に1万2500円ですね。一社ごとだと――」


「1万2500円!? ……そんなにするんですか?」


「毎日、朝と夕方に二度届きますしね」


 坂口は立ち上がり、飲み終わったカップを流しに置いた。「それに僕は、三社取っていますから」


「三社って……。それ、意味あるんですか?」


 もう一缶手に取った足立は、開けるか否かしばし迷った挙句、踏みとどまった。


「内容は重複しますけど、語り視点が違いますね。世界情勢はなるべく学んでおきたいですし、それに――」と坂口が言いかけたところで、巨大な物体を壁に投げつけたような衝撃音が、隣室から鳴り響いた。


「ひぇっ!」


 足立は椅子に座ってだらりとさせていた足をぴんと伸ばし、「今度は何ですか!」


「さぁ、何でしょう? 今日は珍しく騒がしいですね」


 坂口は特に驚いた様子もなくそう答えた。


「やっぱり、……変わった人みたい」


 プリントを終えた足立は、ファイルの書類を見直してから鞄にしまった。


「それにしても坂口さんって、勉強熱心ですよね」


「僕が? そうですかね?」


「そうですよ」


 足立はキッチンでカップを洗う坂口を見つめながら、「私は新聞なんて、実家で四コマ漫画とテレビ欄を見てたくらいの記憶しかないですから」と薄ら笑いを浮かべた。


「ところで四コマ漫画って、あれ内容がよく分かんない時ありません? 私の場合はいつもオチの部分が分かんなかったですけど。え、今って笑うとこ? みたいな感じで」


「あ、それ分かります! 僕もあれについては、いまいち理解ができないです」


「ほんとに? ……良かったぁ」


 足立は胸をなで下ろした。「ようやく、二人の気持ちを共有することができましたね」


 ファイルを鞄にしまい終えた足立は立ち上がり、「長々と失礼をしました。今日はほんっと助かりました!」と言って深々とお辞儀をした。


「いえいえ、お役に立てて良かったです」と、坂口も同じようにお辞儀を返した。


 坂口が玄関まで送ると、足立はヒールを履きながら、「坂口さんって、新聞社とかジャーナリストを目指してたりするんですか?」と尋ねた。


「あぁ、それも悪くないかもですね」


 坂口はまんざらでもない表情を浮かべ、「僕は色んな仕事や、そこに関わる人たちに興味があるんです。だから職種も定期的に変えることにしています」


「へぇ、何だか――」


 大変そう……、と喉元まで出かかったが、「チャレンジャーですね!」と足立は代わりに口にした。


「でも、将来的には何か定職に就くつもりなんですよね? ずっとアルバイトのままって訳にもいかないでしょう?」


「まぁ、そうですね」と答えた後、坂口は少し考え、「僕はここに来てからまだ日が浅いので、これから色々と経験した後に、きちんと考えたいと思ってます」と答えた。


「あぁ」外国育ちの人なんだ! と胸の内で思いながら、足立はその話題に触れても良いものかどうか迷った末、「頑張ってください!」とだけ言い、ガッツポーズでごまかした。


「はい!」と答える坂口もまた、同じように顔の前で拳を握りしめている。


 足立の質問に答えるうち、坂口の脳裏には先日北村から言われた言葉が浮かんできた。


「そういえば、足立さんは何の仕事をされているんですか?」


「え、……私?」


 足立は多少驚いた表情を浮かべたものの、「私はただの事務職ですよ」と答えた。


「会社は色々と手広くサービスを展開してるみたいですけど、私にはあんまり関係ないから、内容まではよく知らないんです」


「事務職!」と坂口は声を上げ、「それは僕もまだ経験したことがないですね。楽しいですか?」


「いやぁ、そんなにいい仕事でもないですかね。やること多いし、時間に追われるし」と、足立は顔をしかめた。


「なるほど」と、坂口はしきりに頷いている。


「それじゃ、今日はありがとうございました! この借りはきっと必ず!」と言い残すと、アルコールの香りを纏いながら彼女は笑顔で去っていった。


 部屋に戻った坂口は、久々に訪れた来客の余韻をしばし味わった後、テーブルの上に置いた新聞を拾っていつものように読み始めた。


 一方で廊下に出た足立は、ふらついた足取りで自室の扉の前へと歩き進む。


 ぼやけた視界の中で何とか鍵を開け、玄関に入って勢いよくドアを閉めかけたところで、エレベーターの方から足音が聞こえてきた。ドアの隙間から廊下を覗くと、驚くほど背の高い男が坂口の部屋の方に歩いていく。


 もしかして、あれが……。


 足立はこっそりと、男の後ろ姿を眺めた。やけに日本人離れした顔ね……。ガウンなんか着ちゃって。


 男は坂口の部屋を通り越すと、突き当たりのドアを開いて中に入った。


 やっぱり! あの人がお隣のお隣さん! とてもじゃないけど、日本舞踊をやりそうには思えないかな、顔怖いし。ひょっとして日本人じゃない? あっ! だから風鈴なんかつけっぱなしにしてるんだ! きっと日本の物が大好きなのよ。部屋には日本画とか壺とか扇子とか手ぬぐいとか、そういういかにもって感じの物を飾って毎日愛でているのね。休日にはホームパーティーを開いてグローバルな交流をして――、


などと、足立は妄想を無限に膨らませつつ、自室の扉を閉めた。

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