第2話 「朝帰りですっ!」 Bパート
「ただいま」
無人の部屋に向かい、決まりきった定型文を綴ると、彼は荷物を置いてシャワーを浴びた。パジャマに着替え、勤務先のコンビニから持ち帰った廃棄の弁当を表示に従ってレンジで温める。今日は鮭を中心とした数種類のおかずが入った弁当である。
「いただきます」
ローテーブルの前で両手を合わせてからテレビをつけ、朝のニュースを観ながら彼は弁当を食べ始めた。味は申し分ない。
勤務後に廃棄の弁当を持ち帰ることは(一人暮らしの身分にとっては特に)、食費軽減の最適な方法である。以前の彼は、廃棄の弁当は捨てるものであり、食べるべき物ではないと認識していたが、そうではないと先輩の北村が教えてくれた。
『例えば、店先に並ぶやつが現役の競走馬だとするとな、廃棄の弁当は引退したそれみたいなもんなんだよ』
『なんか違う気がするぅ』
意気揚々と語る北村に対し、一緒に上がりだった高梨が軽やかに横槍を入れた。高梨は坂口より二つ歳上のふっくらとした小柄な女性で、語尾を伸ばす癖がある。
『どっちもまだ走れんじゃねーかよ!』
『ふふ。どっちも食べられるの間違いじゃなーい? ま、お弁当の話としてはそっちの方が説得力あるよねぇ』と高梨は小馬鹿にしたように返した。
『はっ? 引退馬の実力なめんな! 乗馬クラブでは日々活躍してんだよ』
北村は気分を害したように怒鳴り、『この弁当もな、店先に出して他店のコンビニと張り合うのはさすがに厳しいが、まだまだ捨てたもんじゃねーぞってくらいのやつなんだよ』と主張した。
『なるほど』
坂口は、その情景を想像してみた。『それは、記憶をなくした特殊工作員のようなものでしょうか?』
『なにそれ、謎かけぇ……? どういう意味かなぁ?』
高梨は、北村に対するよりもあからさまに優しげな口調で笑いながら、坂口に尋ねた。
『……お前って、例えるの下手な』
北村はため息をつき、『あれだろ? 記憶がなくても戦い方は身体に染み付いてるって言いたいわけだろ、ボーンシリーズ的な。――そのジョークは映画フリークの俺でないと、通用しないな』
『要するに、食べられるということですよね?』
『あったりまえだろ。むしろ作りたてより旨くなってるんじゃねーかって、俺はたまに思うね』
『適当なこと言いすぎぃ』
高梨はまたも北村を避難し、『また坂口君が混乱しちゃうじゃーん』と言いつつ、自身は雑穀米仕様の弁当を手に取り、颯爽とバックヤードに去って行った。
「ふぅ。ごちそうさまでした」
食事を終えると、坂口はプラスティックと燃えるゴミを分別して袋にまとめ、テレビの横にあるパキラの植木に水をやった。
パキラの植木は以前の職場の先輩に勧められて購入したものだが、今ではテレビの高さを優に通り越している。初めは24インチのテレビに対して半分程度の高さだったが、水をやる度に次々と芽を出し続け、現状に至った。
いつか天井に届く日を、彼は楽しみにしていた。
リュックサックから読み終わった文庫本を取り出し、パソコンデスクの隣にある本棚へ戻すと、彼はビーズクッションソファ(これも勧められて購入したものだ)に腰掛け、午前中のニュース番組とワイドショーをハシゴして過ごした。
今日も誰かが事故を起こし、誰かが死んだらしい。
やがてそれも終わると、今度は日課の新聞を読み耽った。数種類の新聞を取っているため、全て読み終えるまでには相応の時間が必要となる。今日のような夜勤明けの日には途中で眠ってしまうことも多々あった。
二部読み終えたところで、とうとう眠気が限界を迎えた。眠気に耐えながら歯磨きをし、シングルベッドに潜り込む。今日はアルバイトも休みなので、ゆっくりと仮眠をとることができるが、眠り過ぎると夜に眠れなくなる。
日の出ているうちに起きられるようアラームをセットし、彼は電気を消した。カーテン越しに差し込む太陽光の余韻が部屋中を包み込み、まったりとした空気で溢れている。
「おやすみなさい」と呟きながら、彼は目を瞑った。
電源を落とすように、すぐに眠りに落ちた。
けれど、その時間も束の間のことで、一時間もしないうちに部屋の呼び鈴が鳴り響くこととなった。チャイム音の種類から、直接ドア外の呼び鈴を鳴らしたことが彼には分かった。
朦朧とした意識の中、彼は完全にスイッチの切れてしまった身体を引きずりながら廊下を進み、玄関のドアを開いた。直接光は、寝起きの身体にひどく応える。
懸命に目を開くと、そこには髪の長い綺麗な(けれど、どこかカエルのような印象を受ける顔をした)女性が、淑やかな笑顔を浮かべて立っていた。
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