第11話 「ご近所付き合いは慎重に」Aパート
自宅から最寄駅まで歩いただけで、足立はすでに満身創痍だった。
夜ふかしが過ぎた……、お酒も。人混みに来ると吐き気がする。改札も人多い。今日に限ってエスカレーターが調整中って、どこかで神様の恨みでも買ったかな?
仕方なく足立が階段を歩いて上っていると、半分ほど来たところで電車が到着するアナウンスがホームに響いた。
「うそでしょ!」
慌てて駆け上がろうとしたが、後ろから駆けてきた中年のサラリーマンに身体をぶつけられ、足立は階段から足を踏み外した。
――あっ、落ちる。
思わず目を瞑った瞬間、彼女の腕を誰かが掴んだ。そのまま身体が引き寄せられる。目を開くと、若い男の人が彼女を見つめていた。
「…………」
なんて色白の肌、綺麗な瞳、男らしい骨格……!
「大丈夫ですか?」
「えっ」まさしく、この上ないイケメン。「あっ、……はいっ!」
彼のおかげで階段から落下せずに済んだ。お礼を言わなければっ! しかし、頭がパニックを起こして言葉が出てこない。
そうこうする間に「……良かった」と呟いた男は、颯爽と階段を駆け上った。後を追うように足立も階段を上ったが、すでに男の姿は見えなくなっていた。
あぁ、逃がした魚は、あまりにも大きい……。
気を取り直して満員電車に乗り込んだものの、命綱のようにつり革を掴んだ足立は、睡魔に襲われて何度も気絶しそうになった。
太陽が、……眩しい。この間まで地下鉄だったから、朝の太陽光は寝不足(かつ二日酔い)の身体には毒でしかない。外はカラフルな色の屋根ばっかり。そりゃ見通しも良いし、眺めも悪くないけど、体調が良くなきゃ全部台無しだよ。
乗り換えなしの一本で行けることが果たして救いなのか、罰なのか。
乗る時に逃したら降りる駅までほぼ座れないなんて……。でも、冷静に考えたら乗り換えも面倒だし、乗り換えたら座れる保証そもそもなんてないし、とにかく今は気持ち悪いから早く着いてほしい。せっかく区画整理された西側の閑静な住宅街に引っ越したのに、……景色を楽しむ? 無理無理! 今は勘弁して。
ていうか、今日ってまだ月曜日なのか。今夜は飲み過ぎないようにしないと。でも、帰ったらお酒飲みながらゆっくりしたいなぁ。まだ昨日のお酒も抜けきってないけど。だって! あの時あれが、
――などと。雑念の限りを尽くした足立は、ようやく会社の最寄駅にたどり着いた。降りる駅が変わったのにも関わらず、反射的に逆方向へ進み始めていることにしばらくして気がついた。
気を取り直して会社を目指すと、やがて彼女はコンビニを発見した。
こんな所にあったなんて、今まで知らなかった。そういえば朝ごはんも食べてない……。うわ、中も結構混んでる。かさ張るカゴは持たずに入店することにして、飲み物とお菓子と朝食替わりのグラノーラバー、あと二日酔いに効く栄養ドリンク!
列も長いなぁ。やっとこさレジの前まで来た……。お財布出しとかないと。
そこへ来て足立は、現金を下ろすのを忘れていたことに気がついた。慌てて財布の中身を確認していると、「おはようございますっ!」という大きな声で挨拶をされた。
驚いて身体を硬直させた足立が咄嗟に顔を上げると、そこには週末に引越しの挨拶をした隣人が立っていた。
「これから出勤ですか?」などと、とてつもない気さくさである。
これは、二日酔いの身体にはあまりに酷だ……。栄養ドリンクとか見られて恥ずかしいったらない。目は充血してない? 隈は? あぁ、こんな時に限って一万円札しかないなんて、時間をかけさせてしまって申し訳ないなぁ。
ようやく会話を切り上げることができた足立は、逃げるように店から去った。
変な態度は取っていなかったはず! ご近所付き合いは慎重に、だ。
会社の入った建物に到着した足立はロビーを抜け、エレベーターに向かった。
「先輩、おはようございます」
列の前方に並びながら足立に挨拶を寄越したのは、二年後輩の
「おはよう、リナちゃん」足立は順序を守って列の最後尾に並んだが、リナちゃんはわざわざ列を抜け出して隣にやってきた。なんと勿体のないことを……。
エレベーターが来ると、綺麗に列を作って並んでいた職員が順に乗り込んでいき、無駄なく整列できるよう中でも似たような列を形成したが、後方に立つ足立らが乗れるスペースはさすがに残っておらず、次の便を待つことにした。
「何買ったんですか?」
リナちゃんは、足立の持ったコンビニ袋を指差しながらそう尋ねた。
「これ? あぁ、飲み物とか、色々?」足立は彼女に袋の中身を見せた。こんなこともあろうかと、栄養ドリンクは来る途中に処理済みである。
「あっ! これ、最近出たやつですよね?」
リナちゃんは、袋の中にあったグミのお菓子を指差して言った。「CMで『新・食・感!』って言ってたやつ。新しい感じしましたか?」
「あぁ、まだ食べてないからなんとも……」と答えた足立は、少し間を置き、「食べる時は、リナちゃんにもあげるよ」と苦笑いを浮かべた。
「ホントですかぁ? やったぁ!」
二つの拳を可愛らしく顔の前で揃えながら、リナちゃんは子犬のような表情で喜んでいる。
次のエレベーターがやってきた。二人はパズルのピースをはめ込むようにして中へ乗り込んだ。隣にはしっかりと、リナちゃんが陣取っている。足立よりも10センチほど背の低い彼女は、淡いピンクのスカートに白いカーディガンという、いわゆるフェミニン系の服装で出社していた。
我が社には決まった制服もなければ、服装に関する規則もないので、無難にスーツを着て出社する者が多い。この辺りはバリバリのビジネス街であり、私服で歩き回るはかなりの勇気がいるのだ。
長い間そのような風潮が続いてきたせいか、私服で通勤する者といえば、ゴルフ接待に赴く営業か、お気楽な社長くらいのものだった。みんな周囲から奇異な目で見られることを警戒しているのだろう。
そんな中、昨年新卒で入ってきたリナちゃんは、一味違っていた。
『えぇ、そんなの動きにくいし、何より可愛くないじゃないですかぁ』
救世主……。そう、革命的な出来事であった。
いち早く服装を変えてきたリナちゃんは、メンタルの強靭さが半端ではなかった。周りから怪訝な目で見られようとお構いなしだ。隣のデスクから彼女のそんな姿を眺めつつ、「これが、若さか……」とどこか聞き覚えのあるセリフを足立は心の中で呟いたものだ。
以前には、こんなこともあった。
『先輩の髪型が可愛かったんで、真似しちゃいましたぁ』
分かりきったお世辞を述べながら登場したリナちゃんは、確かにウェーブのかかったロングヘアにはしてきたものの、足立のように前髪を二つに分けたりはせず、眉毛の辺りで切り揃えたいわゆる”ぱっつん前髪”にし、髪色もちゃっかりと淡い茶髪(ミルクティブラウンだった?)に染め上げることで可愛い仕上がりに調整していた。
足立のそれに比べ、格段にアップグレードされているわけだ。
リナちゃんは、言ってしまうと、……顔の作りが地味。
目も小さいし、唇に弾力もない。けれど愛嬌や服装のアレンジがうまい具合に相乗効果を生むせいか、社内ではかなりの上位に位置するモテ女子と共にその名を連ねている。男性社員からは言うまでもなく、女性社員に対する扱いも相当に手馴れたもので、隣のデスクで作業する足立でさえ、「可愛いやつだなぁ」と思わされる事が多々あった。
なんて、恐ろしい子……。
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