13-1:束の間の休息
大型ポータルの出現から数週間。
ハルモニアは束の間の平和を甘受している。というのも、先の任務以降、不思議とポータルが出現しなくなったからだ。だが、そのおかげで諸々の事後処理が捗ったのはありがたいことだった。
報告書の作成や、魔石粉砕の件で関係各所への報告行脚と検証と実験の日々で、俺個人はだいぶ忙しかったのだが。
あの戦場で、様々な経験をした。それはどれも胸を締め付けるようなものばかりで、心の整理をつけるにしても、どうすればいいのか分からないままでいる。
巴ちゃんに至っては、エステルやハルモニアの軍医にカウンセリングを受けている状況だ。情緒不安定で、最近は訓練にも顔を出さず、部屋に引きこもっているらしい。彼女の事が、心配でならない。
ふと、巴ちゃんが、事務員時代とても気丈に振舞っていたことを思い出す。彼女はとてもがんばり屋さんで、大変なことがあっても己を鼓舞し、仕事に邁進していた。時には辛いこともあり、そんな時は、誰もいない会社の裏地で泣いていたこともあった。
それでも、ひとしきり泣いた後は、また事務所に戻り黙々と仕事に取り組む彼女に尊敬の念を抱いていたものだ。それは今でも変わらない。本質的には彼女はとても強い心の持ち主だと思う。
だが、今回は状況が全く違う。戦場という、いつ命を奪われるか分からない極限の状況の中、危険な任務をこなしたのだから、そのストレスは相当なものの筈だ。
大型ポータル閉鎖後まもなく執り行われたオスロを挙げての葬儀を思い出す。
結果的に、あの戦いでは数十名もの戦死者が出た。クローザー部隊のみならず、平野で敵を引き付けていた部隊も相当の犠牲者が出ていたそうだ。
当然、俺達も参列したのだが、その時の巴ちゃんの姿はひどくやつれていた。大丈夫かと聞いても、私は大丈夫の一点張りでまともに会話もできなかった。ハルモニアの制服に身を包み、制帽で顔を隠すようにずっと俯いていた彼女は、事務員をしていた頃の巴ちゃんとはまるで別人のようにすら見えた。
寮室に掛けられた時計を見る。
時刻は8時30分。朝食を食べ、だいぶゆっくりしていたと思ったのだが、まだこんな時間か。トラック運転手時代も随分せせこましく働いていた気がするが、ハルモニアに来てさらに拍車がかかったのかもしれない。日々の活動はおろか食事すら時間をかけずに済ます習慣が出来上がってしまったのだから。
今日は休日なのだが、例によって午後から銀宅に向かい、遊びという名の訓練に勤しむかと思いきや、今日はなんとエステルの家に招かれている。戦場から無事帰還したお祝いという建前だが、銀から耳打ちされた話によると、魔石粉砕の件で話がしたいとのことだった。どうにも素直に喜べないお招きだ。
ともかく、事前に銀夫妻と合流してからエステルの家に向かうことになっている。エステルの家はオスロ内にあるのだが、そのセキュリティは厳重で、ごく限られた人物しか立ち入りを許可されないらしい。しかし、銀夫妻はエステルと旧知の仲ということでフリーパスで入れるらしい。
約束の時間は午後。午前中は丸々予定が空いてしまっている。やることもないので、ここは気分転換の意味も込め、久しぶりにオスロの街に繰り出してみよう。
支度を整え、街へと向かう。
相変わらず、オスロの町は活気に満ち溢れている。現代風の建物の中にファンタジー要素満載の建造物が立ち並ぶのはいまだに慣れないが、異世界人と現代人が共存しているこの街はとても好きだ。
街に来たのはいいが、これといってやりたいことが思い浮かばない。仕方なくぶらぶらと街中を散歩がてら歩いていると、ひときわ目立つ二人組を見つけた。
大柄でありながらも威圧感を感じさせない巨躯の持ち主、熊の獣人ミーシャ。褐色の肌にすらりとした長身かつ筋肉質の狼の獣人、ヴォルク。花の市村隊に所属する女性の獣人兵士の二人だ。
例によって、この二人も見目麗しく、隊内の男性隊員からは根強い人気を誇る獣人ペアだ。基本的に異世界人は男女問わず容姿端麗な者が殆どらしく、彼女達もラークスでは平均的な容貌の持ち主らしいのだが、我々中核世界の人間にしてみれば、そこらのアイドルよりよっぽど見栄えが良く見える。
ヴォルクはどうやら俺に気づき、手を大きく振ってくれた。
実は彼女達とは少なからず交流がある。というのも、彼女達が巴ちゃんの世話役としての任も負っているからだ。
市村も同じ中核世界の人間として陰に日向に色々と世話をしてくれているが、隊長ということもあり多忙な身の上であれば、手の回らない時は彼女たちが市村に代わって世話をしてくれている。
なので、巴ちゃんと会う時には、市村隊長だけではなく、彼女達にも会う機会があり、こうして挨拶を交わす程度には付き合いがあるのだ。
ヴォルクに応え手を振り返す。遠目からでも分かるほどの満面の笑みを湛える彼女は、降った手を下ろすや街を往来する人々の間を縫って俺のところまで走ってきた。その勢いに気圧されながら、ヴォルクの顔を見上げる。
俺もそこそこ身長があるほうだが、ヴォルクはその上をいく背の大きさだ。彼女は見下ろしたまま、犬のようにはしゃぎながら話しかけてきた。
「よっ、室さん!元気かい?」
「あぁ、元気だ」
「それはよかった!一人で街に来て、何か用事でも?」
「いや、特にないが、暇つぶしに」
「そりゃよった!実はあたし達も同じなんだ!」
無邪気な犬のようにはしゃぐ彼女は、耳をひょこひょこ動かしたり、尻尾もぶんぶんと振り回している。人懐っこい性格とは聞いているが、ここまで好意を表されるのは嫌いではない。
「なにより、タイミングが良い!あっちを見てくれ!」
ヴォルクはミーシャを指差す。おしとやかに小さく手を振る彼女の陰には、帽子深々と被った巴ちゃんの姿があった。まるで母親の陰に隠れる臆病な子供のように、巴ちゃんは気恥ずかしそうにしている。
そんな巴ちゃんを、ミーシャは優しく前に出るよう促す。あまりの体格差に、本当の親子のように見えてくる。
「巴のやつ、しばらく塞ぎ込んでいたんだけどさ。今日の朝突然頼まれたんだよ。街に連れてってくれって」
「・・・そうだったのか。しばらく連絡も取れずにいたから心配していたが、少し安心した」
「でしょ?そんな時に彼氏と街でばったり会ったんだから、そりゃやっぱり運命ってものを感じちゃうわよね!このぉ、羨ましいぞ!」
「いやー・・・。別に付き合っているわけでは」
「そうなの?でも、何とも思っていないわけでもないでしょ?」
「それは・・・」
ハッキリと、違うと言い返さない自分に驚いてしまった。ずっと、同じ会社の同僚としてしか見ていなかったはずだが、どこかで憧れというか好意を抱いているかもとは思ったことは無いわけではない。それでも、それが好きという感情なのかは、俺には分からなかった。
だが、今目の前にいる巴ちゃんの姿を見て、俺の心はときめきで胸を締め付けられるような妙な感覚に支配されている。
ヴォルクはそんな俺を横目にニヤニヤとしている。
「時間があるなら、いい機会だから巴ちゃんと話していきなよ。私らは一時退散しとくからさ」
ニヤニヤから一転、優しい口調で促される。俺は黙って首を縦に振り、巴ちゃんの下へと向かう。
ここにきて、なぜか動悸が治まらない。一歩一歩近づくにつれ、動悸は激しくなっていった。
巴ちゃんも、ミーシャにやさしく押されながら、俺の方へ歩いてくる。
「ミーシャ、巴。室さん連れて来たぜ」
「ありがとう、ヴォルク。室田さん、こんにちは」
「あぁ、こんにちは。ミーシャ」
ミーシャは上品に挨拶を返す。熊の獣人ということで、極めて戦闘力の高い種族の筈だが、おっとりとした性格と溢れんばかりの母性からはその片鱗さえ感じさせることは無い。
巴ちゃんは相変わらず、俯いたままだ。帽子も深々と被っていて顔が見えない。
「ほら、巴ちゃんも挨拶して」
ミーシャに優しく促され、ようやく巴ちゃんは俺の顔を見てくれた。
久々に巴ちゃんの顔を見れると、内心嬉しく思っていたが、巴ちゃんの顔を見て、俺はギョッとした。元々、慢性的な寝不足や疲労もあってやつれがちな巴ちゃんだったが、さらに輪をかけてひどくなっていたのだ。
ハルモニアに入り、規則正しい生活を送るようになって少しは良くなっていたが、今の巴ちゃんの目元はクマがはっきりと見える。おまけに、一晩泣きはらしたような顔。その顔を見て、なんとなく今の巴ちゃんの心の内が分かった気がした。
巴ちゃんは、巴ちゃんなりに苦しみ藻掻いて、葛藤に葛藤を重ね、もう一度現実に向かい合う決意をしたのだろう。
人目を気にしないぐらいお洒落に頓着の無い巴ちゃんだが、さすがにこれだけやつれた顔で急に外出をしたというのは、そういうことなのだろう。ヴォルクとミーシャも、その気持ちを汲んでくれたのだろうことは、二人が巴ちゃんに向ける眼差しをみれば、間違いない。
「巴ちゃん、久しぶり」
「うん・・・久しぶり」
「久しぶりに会えて嬉しいよ。もしよかったら、久しぶりに話でもしないか?」
「・・・うん」
「よし、それなら近くにちょうどいいベンチがあったはずだ。ヴォルク、ミーシャ。すまないが、少しだけ巴ちゃんと二人きりにさせてくれ」
ヴォルクはキラキラした目で何度もうんうんと頷き、ミーシャも口元を両手で押さえながらコクコクと何度も頷く。巴ちゃんはまた帽子を深々と被り直してしまったが、どうやら了解してくれたようだ。さっそく、巴ちゃんを連れ、オスロの街へと繰り出す。
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