10-1:異世界を目指した現代人達

 初任務を終えオスロへと帰還した俺は、今までにないほど疲れ切り、死んだように眠りこけてしまった。正直、任務終了後の後始末もしたはずなのだが、まるで夢でも見ていたかのように朧気で、気づけばベッドの上というわけだ。


 時計を見ると、すでに昼を回っている。そういえば、今日は予定では訓練があった日ではなかったか。おもいっきり寝坊してしまった。

 

 大きなため息をつく。初任務の後とはいえこれではいけない。端末に恐る恐る手を伸ばし、メッセージを確認する。てっきり、着信の履歴やメッセージが沢山あるかと思いきや、そんなことはなく。ただ一通、小林君から目が覚めたら連絡をくれと、短いメッセージが入っていただけだった。


 すぐさま小林君に連絡をとる。

 彼はいつものように飄々と受け答えをし、どこにも疲れを見せていなかった。


「すまない、今起きたとこだけど、今日は訓練がある日じゃなかったっけ?もう間に合わないかな?」


 ビクビクしながら訪ねる俺に、小林君は爆笑している。


「そいつはキャンセルです。司令部からも、疲れたろうから、今日はのんびりしてくれって言ってましたよ。優しい司令部で涙がでますよ。で、話は変わりますが、昨日言ったこと覚えてます?異世界を目指した人達の調書。今日は俺も休みなんで、よければ見せますよ?」


「そうか、悪いな。わざわざ休みの日に」


「いえいえ。今起きたのなら、飯はまだですよね。基地のカフェテリアで待っていてください。うまいもんおごりますから」


 確かに、腹はかなり減っている。そういえば、昨日は疲労のあまり何も食べずに寝てしまった気がする。


 



 




 小林君は、眠くなるからと缶コーヒーを近くの自販機まで買いにいってくれるそうだ。その間、見ていてくれと言われた調書に目を通す。とはいえ、調書の数は膨大だった。異世界の存在が知られる様になってからまだ五年しか経っていないのにこれだけの量とは、そりゃ異世界対策室も猫の手も借りたいわけだ。


 調書に目を通すと、個人情報と簡単な経歴が始めに記載され、その人物が異世界を目指すに至った経緯が詳細に書かれている。


 多くは、現実に絶望した結果、新天地として異世界を求める者達だ。事業の失敗、借金苦、精神疾患、家族との離別、死別、等々。あらゆる不幸のオンパレード。絶望の見本市。


 なるほど、そりゃ逃げたくなって当たり前だ。


 言葉で見るだけなら一つ一つの出来事は軽く感じるかもしれない。だが、紛れも無くどこかの誰かが苦しんだ結果、あるいは最スタートを切るために、異世界を求めるていたということか。これには同情の念を禁じえない。


 しかし、一方でとても短絡的な動機も多くあった。


 美少女と仲良くしたい。ハーレムを作りたい。金髪のエルフといちゃこらしたい。猫耳娘と懇ろになりたい等々。これはこれで欲望に忠実だな。素直でよろしいが、下衆な発想だ。


 俺は疲れた目を擦りつつ、天井を見上げ考える。


「なぜ人はこうも異世界に惹き付けられるのか・・・」


 実は、俺は異世界に渡ることに関しては、かなり否定的な立場だ。


 どれだけ、苦しくとも、今、自分はここにいるのだ。この時代、この国、この街、この時。俺だって、世の中を理不尽に感じたことなんて腐るほどある。それでも、どんなことがあっても、どうにか歯を食いしばって、少しでもいい人生に近づけるようにがんばる。そうして生きることに意義があると感じているからだ。


 時に、逃げることも必要だろう。しかし、安易に異世界へ渡ることは


「どうですか?捗ってますか?」


 小林君が缶コーヒーを買って戻ってきた。


 俺は礼を言い、缶コーヒーを受け取る。


「小林君は、異世界に行きたいと思った事はあるかい?」


 ふと、小林君にも聞いてみたくなった。小林君は普段おちゃらけていて、かつ飄々とした人物だ。そんな彼が異世界についてどんな考えを持っているのかと、ふと思ったからだ。


「そういう人間は異世界対策室にはいませんぜ。異世界に魅了される人間はここで働く事はできません」


「そういえば、そんなこと言ってたっけ」


「正直、俺には理解できませんよ。異世界のどこがいいのやら」


「それは、異世界の実態を理解しているからこその考えかい?それとも、異世界がアレクの言うような天国だとしても行かないのかい?」


「行きませんね。それに、世間ではアレク信奉者も多いですが、俺はそうは思いませんよ。彼は彼なりに不幸も経験したし、努力もして異世界で成り上がった。それはいい。


 だからといって、他の人間に異世界を勧めるのはどうかと思いますよ。だって、彼は交通事故で死亡し異世界に転生し、生まれ変わったるんだ。だからこそ異世界でもやっていけてるだろうが、いきなりポータルやら召還やらで異世界に行ったところで、やってくのは相当難しいと思いますよ」


「じゃぁ、小林君的には異世界に渡るのは反対なわけだ」


「基本的にはね。とはいえ条件付きで節度ある交遊程度であれば、別に問題ないとは思いますがね。あくまで海の者は海へ。山の者は山へってのが俺の信条でしてね。自分の住処を間違えれば干上がるだけですわ。それに今いる世界でうまくやれないのに、チート付与頼みで余所の世界に行くなんて情けないにも程がある」


「辛辣だね。ただ、小林君もこの異世界希望者の調書は見ただろ。中には絶望的な状況から逃げるために異世界を目指した人もいるけど、それもやっぱり自己責任論で片がつくと思うかい?」


「室田さん、極論はいけませんぜ。俺は何も逃げる行為を批判しているわけじゃありません。俺が言いたいのは、上手に逃げろ。そして、逃げ込む場所は考えろってことです。


 だから、いつまでも政府も機密扱いにせずさっさと公表して異世界の実態を広めればいいんですよ。異世界なんて言葉も分からなければ文化も違う世界ですよ。余程の適応力がなければそんな環境の変化に耐えられる人間じゃなければすぐに野垂れ死にしちまいます。


 仮に、異世界の社会に溶け込めなければ、モンスター蔓延はびこるフィールドでサバイバル生活です。特別訓練でも受けてなければ早々にモンスターの餌食です。諜報部の報告書を見れば、その辺りもよくわかると思いますよ。よければその調書も持ってきましょうか」


「それはまたの機会にするよ。今は手持ちの資料でお腹いっぱいだ」


 俺は再び手元の調書に目を落す。


 正直、小林君の考え方は俺も概ね賛同している。巴ちゃんもいつぞや言っていた様に、堪え難い現実を生きざるを得ない社会状況こそが、人々を異世界に駆り立てるのだろう。ならば、問題の本質は異世界の存在ではなく、我々の社会にこそ問題があるのだろう。


 そういえば、小林君はさっき諜報部と言っていたな。


 異世界転移者の末路を具体的に答えていたが、個人的な知り合いが諜報部にいるのだろうか。やけに詳しかったが。

 異世界の調査もしているのは知っているが、そういえばどうやって調査をしているのだろうか。


「質問だが、異世界対策室は、異世界の調査もしているんだよね。調査方法はどんなやり方なのかな」


「普通にこちらからもポータル開けて諜報員を送り込んでるだけですよ。もっとも、生還率は極端に低いですがね」


「そんなに低いのか?」


「理由は色々ありますが、まず異世界には強力なモンスターもゴロゴロいます。通常兵器で叶う相手は少なく、異世界で出くわしたらまず勝ち目はありません。それが一つ目。次に、異世界の人間に遭遇した場合、俺達アジア系の顔は目立ちすぎます。異世界ではなぜか白人に似た人種がほとんどで、過去の事例で奴隷商に捕まり高値で売られた諜報員もいましたし、中には人型のモンスターと間違えられ狩られたのもいました。


 うまい事溶け込もうとしても人種の壁は厚いってことです。異世界への諜報活動であまりにも犠牲者が出たらしくて今ではラークス人が諜報をかって出てくれてますよ。実際、彼らは超優秀で、異世界についての多くの有用な情報を手に入れることができています。過去には、消息不明の諜報員を見つけ出したりとね」


「いたせり尽くせりだね」


「いや、ほんと。ちなみに、異世界を悪しざまに言ったのは、異世界の実態を身をもって味わった彼らの体験が元なんです。救出された諜報員の多くは人身売買の商品にされたり、中核世界の存在に気づき、情報を聞き出すために拷問にかけられたりと、散々な目にあったらしいんで」


「中々凄惨な話だな。なら、アレクが異世界で成功しているのは、奇跡ってことか」


「そうとも言えると思います。アレクの他にも数名異世界に渡り栄華を極めている中核世界の人間はいますが、みな軒並み常識はずれの能力を持ってます。そりゃ、その世界で成功しないほうがおかしいレベルでね。チートってやつですよ」


「チート、ね。そんな能力が身に付くなんて不思議だよな」


「今もってその謎は解明できてません。同じ異世界転移者でも能力の種類や強さには統一性がありませんから。諜報部の報告では、異世界は世界を構成する基本的自然法則は共通しているものの、魔法を始めとする未知の能力は異世界ごとに異なる法則が支配しているという仮説を立ててます。それが本当なら、異世界事に対応策を練らなきゃならない。面倒くさい話ですよ」


「確かに、言う通りだな」


「ちなみに、アレクの異世界、ゴールデンキングダムだけはなぜかポータルが開けないんですよね」


「それはまたなんで?」


「アレクのせいらしいですがね、魔法でポータルを開けないようブロックされてるとかなんとか」


「そういえば、アレクの確保も異世界対策室の設立目的だったよな。そこまで手こずる相手なのかい」


「ええ。アレクと一戦交えた経験はハルモニアにはない。ただ、エステルが初めてゴールデンキングダムにポータルを開こうとした時には何やら鍔迫り合いがあったらしいですが、その時にあのエステルに厄介な相手と言わしめる程度には手こずりそうですね。


 それでなくても、アレクは国民を煽動して異世界に誘ってますからね。アレクは配信で苦しむ人達を助けたいとか言いながら、無責任にも安全が確保されていない異世界に行くよう国民をけしかけている。まったくろくでもない奴ですよ」


 小林君は一呼吸置き、続きを話す。


「いずれ、ハルモニアはアレクをはじめとする異世界転移者達と事を構える事になるかもしれません。いや、その前にベイルとの戦闘も起きるでしょう。今までみたいにただポータルを閉じるだけの任務ではなく、実戦が待ち受けていると心得てください」


 真っすぐ俺の目を見て小林君は話す。


 これは、俺も考えてた事だ。


 そもそも、俺が初めて遭遇したポータルでの一件がある。いつかは、あの時のように、いや、あの時以上の争いが起こることは、小林君の話から自明だ。


「正直、俺は戦いになったら、しっかり任務をこなせるか不安だよ」


「それは訓練次第ですよ。人間、良くも悪くも慣れてしまうものじゃありませんか。誰だって初めてはあります。それにハルモニアもクローザーはあくまで特技兵扱い。ポータルを閉じるために戦場に派遣しても、戦闘まで任せる事はしませんよ。それは俺達の仕事だ。全力で室さん達を守りますよ。約束しましょう」


「君にそう言ってもらえるなら、とても心強い」


 子供のころはケンカぐらならした事があるが、大人になってからはそうした荒事は経験がない。いきなり戦場に立っても任務を遂行できるかはただただ不安でしかない。小林君はそんな弱気な俺をただじっと見つめ、それ以上話す事は無かった。

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