6-1:エルフのエステル

 俺達が案内された場所は森を抜けた先にあった。


 開けた空間。そこには、いかにもな北欧風の建物がぽつんとあった。まるで童話の挿絵がそのまま現実に出てきたようだ。


 その建物の前に、切り株に腰を下ろし、たき火をしながらお茶を啜っている人物がいた。フードを被り、ローブを纏った姿からは性別も年齢も分からない。


「あなた方には、今からあそこにいる人物とお茶をしてもらいます」


「なんですと?」


「彼女は政府に協力を申し出た友好的な異世界人です。異世界対策室の創設にも関わった主要メンバーでもあります。ちなみに、あなた方を治療したのもあの人なのですよ。お礼ぐらい言っても罰は当たらないと思いますが」


 嫌な言い方をする。きっとこんな嫌な言い方をする女には嫁の来手はないだろう。


 ともかく、礼をするのはやぶさかではない。市村に促され、その人物の元へと歩いていく。


 俺達に気づいたその人物は、ゆっくりと立ち上がり、両手を広げながら何か聞き慣れない言葉を一言呟くと、静かにフードを脱いだ。


 その姿に俺は驚愕した。


 淡い緑色をした美しく長い髪、長く尖った耳、金色の瞳、そして目が覚めるほどの美女。隣の巴ちゃんも思わず、綺麗と呟くほどだ。ゲームやアニメで見る様なエルフのような見た目だ。いや、エルフか。


「はじめまして。私はエステル。君達に出会えた事を祖霊に感謝しよう」


 手を差し出し俺達に握手を求められるが、思わず体が硬直する。


「あっ、すいません。その、あまりに綺麗な方だったので。それに、失礼ですが、人間ではないようなので」


 いかん。緊張のせいか言うに事欠いて頭に浮かんだ言葉をそのまま口にしてしまった。だが、言いわけはさせて欲しい。突然こんなの驚くなと言う方が無理だ。それを見て市村が一言紹介を添える。


「ゴホン。えーとですね。この方はエルフという人間とは違う種族の方です。知能も非情に高く、我々の言語を数ヶ月でマスターするほどです。異世界では賢者と讃えられるお方です」


 エステルは微笑み返すが、その柔らかい動きの一つ一つに品と高貴さを感じさせる。


 こんな美人は産まれてこのかたお目にかかった事も無い。それに、相手はエルフだ。空想の世界の住人がこうして目の前にいて、俺に握手を求めている。まさにファンタジーが空想の世界から現実へと飛び出してきた様だ。


 硬直する俺達を、エステルと名乗るエルフは、なおも優しく微笑みかける。


「私に驚くのは無理もない。君達に他意が無いのもわかる。ともかく、まずは君達を労わせてくれ。昨晩は大変だったな。私は現場にはいなかったが、報告を受けているよ。無事で良かった。昨晩現れたポータルは厄介な異世界のものだったからね」


「そうだったんですか。俺にはまだ異世界はゴールデンキングダムぐらいしか知らなくて。エステルさんは、ゴールデンキングダムの方でしょうか?」


 異世界は複数あるというのは先刻承知だが、アレクの配信でもゴールデンキングダム以外の情報は転移者の簡単な情報ぐらいしか配信されていなかったはずだ。エステルさんは果たしてどんな異世界の住人なのだろうか。


「いや、私はゴールデンキングダムの者ではない。それとは別のラークスという異世界の者だ。魔法が発達した世界で、人間の他、エルフ、ドワーフ、亜人、魔族の五族が平和に暮らす世界だ。君たちとの世界とは良好な友好関係を築けていると自負しているよ。まぁ、とにかく座りなさい。異世界対策室についての説明は聞いたようだから、今度は私から、ポータルや異世界について説明しよう。と、その前に・・・」


 エステルは俺に向き直る。


「すまんが、二人とも手を出してくれないか」


 俺はなぜ突然そんな事を言われるのか不思議だったが、言われるがままエステルに手を差し出す。


 エステルは優しく俺の手を持ち、何かをじっと見ている。


「あの・・・エステルさん・・・?」


 美人に手を握られ、嬉しさと恥ずかしさが入り交じり何ともいえない気分だ。


「やはりか、これは興味深い・・・」


 続けて、巴ちゃんの手もじっと見る。


「これほどの僥倖があろうとは・・・」


 エステルは僅かに微笑んでいる。何か悪巧みをしている様にもみえる笑みだが、その美貌で悪意すら掻き消えてしまいそうだ。


「通常であれば、触れれば一瞬で消し炭になるポータルの縁を触っても無事であること。それどころか、ポータルを力ずくで閉じてしまった事。まだ確信には至らないが、お前達のこの能力。我が世界でも存在しない未知の魔法に思える」


 ちょっと待て。未知の魔法?俺たちはただの人間だぞ。魔法なんて使えるわけがない。それに、とても物騒な単語が聞こえた気がするが大丈夫か。


「あの、エステルさん。消し炭ってどういう事ですか」


 巴ちゃんも、青ざめた表情で聞き耳を立てている。俺も、巴ちゃんも何気なくポータルの縁を触っていたが、まさかとても危険な事をしていたのだろうか。


 エステルは、微笑をたたえている。


「簡単に説明すると、ポータルは異なる世界同士を繋ぎ、穴をあける魔法だが、これは強引に二つの世界を繋げ、かつ無理矢理穴を開けるというかなり無茶な力ずくの魔法でな。人が通れるだけのポータルを開くだけでも、途方も知れない魔力が必要となる。そのエネルギーたるや核爆弾数十万発どころでは追いつかないだろうな。それほどのエネルギーを凝縮した物がポータルの縁だ」


 絶句だ。まさかそれほどの危険物を俺達は触っていたのか。


「なんで、そんな物騒な能力を俺達が持っているんですか。そもそも魔法だって空想の産物だ。エステルさんならいざ知らず、現代人の俺達に魔法が使えるって意味が分かりませんよ」


「確かに、突然こんな魔法が身に付けば驚きもするだろう。だが、中核世界にだって魔法の概念はあるだろう?現代では魔法は存在しない事になっているがな。ともかく、この能力、異世界対策室にとって貴重な戦力になり得る能力だ是非とも異世界対策室に迎えたいものだ」


 エステルは手に持っていた杖を翳すと、地面から蓮の様な大きな葉が生えてきた。エステルは俺達にそこに座るよう促す。


 すごい、一体どうやって植物を生やしたのだろう。これが、魔法というやつなのだろうか。


「くれぐれも言っておきたいのだが、我々にお前達を害するつもりはない。ただ協力をお願いしたいだけなのだ」


 エステルは市村と共にお茶の支度をし、俺達に振る舞った。とてもお洒落なティーカップのセットだ。カップには紅い線で模様が刻まれ、僅かに煌めいているが、そこからほのかに暖かさを感じる。


「驚いたか?それも魔法の応用だ。炎の魔法をカップに付与する事で、お茶が冷めない様にしている。便利だろ?」


 おおぉ、と声にもならないうめき声を挙げてしまう。なんと便利なことか、魔法とは。どうやら中身は紅茶のようだが、紅茶を飲むこと自体がとても久しぶりだ。世の中、貧困が進み紅茶なんて贅沢品扱いになってしまっている世の中だ。

 久しぶりに味わう紅茶は芳醇で、香しい。こんなに紅茶が美味しいなんて、この魔法のカップのお陰か、これまでに味わった事が無い味に感じる。


「では、改めて自己紹介をするとしよう。私の名はエステル。ラークスと呼ばれる異世界の住人で、種族はエルフだ。中核世界とはアレク凱旋事件後に友好条約を結んだ唯一の異世界だ」


「すいません、中核世界とは何でしょうか?」


「君たちの世界のことだよ。多くの異世界はポータルを自在に開閉する術を持つが、それはあくまで君たちの世界とだけであって、異世界から異世界へポータルを直接開くことは本来、不可能だ。異世界から異世界へ渡ろうとするのなら、必ず君たちの世界を介さなければいけない。


 それゆえ、君たちの世界は中核世界と呼ばれている。とはいえ、アレクは異世界から異世界へと転移している事から、何かしらの方法があるのだろうが、なぜこのような仕組みなのかは、今もって不明だがね。


 ラークスが中核世界と初めて接触したのは四年前だが、これは私がポータルを開いたことが発端だ。中核世界ではアレク凱旋事件よりも前に中核世界の人間が異世界に何らかの方法で渡っていた形跡があるが、ラークスもご多分に漏れず、異世界転移を果たした中核世界の人間がいたのだ。


 彼は中核世界の高度な知識や技術に加え、ずば抜けた戦闘技術の持ち主で、異世界転移前の記憶を無くしていたもののラークスの発展の為に献身的に尽くしてくれたラークスの英雄だ。


 彼は晩年、転移前の記憶を取り戻したようで、転移前の記憶と中核世界についての情報を記していたのだが、彼は老衰で死期を悟ると、私に転移前の記憶を記した書物を渡すとともに、ポータルを開き、中核世界と友好的な関係を築き、無用な異世界転移を防ぐ為に対策を講じてくれと頼まれたのだ」


 なんと壮大な話だ。まるでファンタジーの世界。いや、すでに俺はファンタジーの世界に巻き込まれているか。


 突拍子の無い話だし、いきなり信じるのは普通であれば到底無理だ。だが、現にこうしてエルフや魔法の一端を見るに、信じざるをえない。


 とりあえず、エステルは俺達の世界の人間が異世界へ渡ることを防ぎたいという考えであることは理解した。となると、気になるのはその理由だが。


「エステルさん、ラークスにとって中核世界の人間が異世界へ渡ることはどういう意味をもちますか?なぜその転移者は異世界転移を防ごうとしたのでしょうか」


「一言で言えば、世界の調和を乱す、ということに尽きるだろう。現在の調査では、確認できている異世界の文明レベルはどれも中核世界より千年単位で遅れているという特徴がある。それは技術にとどまらず、思想や哲学においてもだ。


 魔法が発達している分、科学技術はあまり発展せず、暮らしぶりもかなり質素だ。ラークスもそうであったが、中核世界の知恵がもたらしたのは恩恵だけではなく問題も生み出した。急激な科学技術の進歩は、あらゆる種族にとって手に余るものだった。技術の発展と精神の進歩の速度が合わなくなれば、異世界の文明が自滅することもありえる。


 思想においても同様で、突然の文明の進歩についていけなくなってしまった者も多くいてな。大きな混乱を様々な異世界にもたらしたのだよ。


 交流するとしても、慎重に事を運ばなければ無用な混乱を生じさせる。それは異世界だけではなく、中核世界にとってもだ。だからこそ、この氾濫する異世界転移を防がなければならない」


 市村はさらに説明を加える。


「エステルの言う通り、事態は我々の世界のみらなず、異世界の世界存立そのものに危機をもたらす危険性を孕みます。中核世界と異世界双方にとって平和的な交流を目指すには、異世界への転移を野放しにするわけにはいきません。政府からも早急なポータルの管理方法の確立と、アレクの身柄確保を求められています。


 アレクの配信活動で異世界への間違ったイメージが多くの若者を異世界へ駆り立て、転生を目論み自殺する者、転移するためにあちこち探索して回り治安の悪化を招く者、様々な人間がいますが、彼らの行動によって社会問題となって国内情勢が不安定になっています。


 また、召還と呼ばれる拉致事件も後を絶ちません。国民保護の観点からも、ポータルを閉じる能力者は我々に取って諸問題の解決の切り札に成り得ます。ですので、是非ともあなた方に異世界対策室の一員となって働いて頂きたいのです」


 事情は大体わかった。一般人が知らないところで、こんな事態が起きていたとは、世の中知らない事だらけだ。


 俺はお茶を一口啜り、気持ちを落ち着かせる。とっくに冷えていてもいいはずなのに、手に持っているティーカップは相変わらず暖かい。


「なんだか、すごいことになったね。ぐんちゃん」


「そうだね、すごい事になったね」


 お茶のお陰か、落ち着きを取り戻しつつある巴ちゃんも困惑している。市村やエステルの言う事は信じるとしても、本当に俺達がそんなだいそれた仕事をできるのだろうか。こっちはただのトラック運転手と事務員だぞ。


 だが、こうも思う。


 もし、俺達が異世界対策室で働いたとして、その結果今の社会問題が解決されたのなら、れん君のように巻き込まれる人はいなくなるのではないかと。


 れん君は、間接的とはいえ異世界転移の被害者だ。今までも似たような事はあっただろうし、これからだって何も対策しなければ同じような事はまた起きるだろう。


 ならば、ここで働く事に、意味は、ある。

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