5-2

 女軍人は市村楓いちむらかえでと名乗り、俺達を保護する立場にあると簡単に説明をしたが、質問をする暇も与えず、俺達を森の中へと誘導し案内していく。


 大きな樹の先には、さらに森が広がっている。まだ夏の終わりのはずだが、森は黄色く色づき秋の粧いを見せている。よく見ると、鳥やリスなど小動物もいるし、果物も実っている。だが、妙な違和感を感じるのはなぜだろうか。空が近い。そんな感じがする。


 歩き始めて気づいたが、俺達の他にも周囲を等間隔に距離を置きながら誰かが着いてきている。俺達を監視している他の軍人だろうが。


 訝しがっている俺の様子を、市村は見抜いているようで、ニヤニヤしながら俺を眼の端で見ている。得物を前に舌なめずりするハンターのようなその眼に俺は一瞬ドキッとする。


 パチンッ!!


 どこかで指を弾く音が聞こえたかと思ったら、いつの間にか俺と巴ちゃんは先ほどまで来ていた白衣から普通の洋服へと変わっていた。


「!?これは一体・・・」


「んー、魔法ってやつですね」


 市村は無邪気な顔で笑っている。俺たちはこの突然の出来事に唖然とし、巴ちゃんはさらに狼狽してしまっていた。


 まぁまぁ、落ち着いてくださいと言いながら、市村は顔を前へ向き直し、話を始めた。


「昨晩、あなた達が公園に突如現れた異世界への入口、ポータルを発見したのは覚えていますね」


「はい、覚えています」


「では、ポータルの中の世界や、騎士の恰好をした人間達も覚えていますね?」


「はい、驚きました。アレクのネット配信で異世界の存在は知っていましたが、本物を見るまで半信半疑でしたし」


「でしょうねアレク凱旋事件はあまりに非科学的で非現実的な事件でした。誰もがそう思います。でも、全ては現実。この世界は異世界という異なる世界の存在を知り、確認しました。あの配信以来、世の中は大きく変わってしまったのです」


 いかにも物憂げな表情だ。それにだいぶ疲れて見える。今のこの国の殆どの人間がしている疲れきった顔だ。それでもこの軍人さんからは諦めの表情が見えない分、軍人としての気概を感じさせられる。


 市村は説明を続ける。


「政府は、アレク凱旋事件後、速やかに異世界の調査に乗り出しました。巷では異世界は桃源郷や天国のように囁かれていますが、調査の結果、異世界の実態は世間で思われる様なものと真逆の存在であることがほとんどということが判明したのです」


「天国ではなく、地獄であると?」


「例外が無いわけではありません。基本的に異世界は我々の世界より大幅に遅れた文明レベルで、技術や思想などあらゆる面で未発達です。それだけならまだしも、異世界の中には我々の世界に対し明確な敵意を示すこともあります。そのような異世界に間違って渡った場合、大抵は捕らえられ嬲り殺されるか、拷問されるか、いずれにせよろくな事にならいのがほとんどです。アレクのように異世界暮らしを謳歌しているのは例外中の例外中です。ちなみに、あなた方が昨晩遭遇したポータルは、我々に対し敵対的な異世界が開いたポータルだったのですが、異世界に足を踏み入れた男性が容赦なくボウガンを打った彼らを見ましたよね。彼らは我々の世界の存在に対し慈悲など持ち合わせてはいません」


 随分、事細かにあの時の状況を語る。ということは、この女、あの現場に居合わせていたな。ということは。


「あなた方は現場に居合わせておきながら、彼を見殺しにしたと?彼だけじゃない、俺達ももしかしたら殺されていたのかもしれないのに、黙って見ていたんですか」


「そう取られても、文句は言えませんね。ただ、あの状況は我々にとっても想定外でした。まさかポータルを力づくで閉じる人間がいるとは思いませんでしたから。昨晩の本来の作戦は、敵性異世界が開けたポータルの監視と越境した異世界人の捕縛でした。ポータル出現を確認し現場に急行する間に昨晩のような事件が起きてしまったのです。保護が遅れた事については謝罪します」


 なんだか、納得がいかないが、ともかく俺達は無事だったわけだし、よしとするしかないだろう。


「それにしても、異世界の人間を捕まえるって、ただの拉致じゃありませんか?人権とか大丈夫なんですか?」


「異世界の人間が、見た目が似ているからといって、私達と同じ人間であるとは限りません。法の適応も現状では異世界人は適用外です。そもそも、彼らは既に私達に対し敵対的な行動をとり、かつ被害や犠牲者を出している以上、容赦する必要もありません」


 まさか、異世界とイザコザを抱えていたとは、そりゃ機密情報にもなるはずだ。アレクの配信ではそんな血なまぐさい話が出ていなかっただけに、衝撃的な話だ。


「アレクの言う通り、異世界は数多く存在しますが、その全てが敵性異世界というわけではありません。中には、私達の世界に対してとても友好的な異世界も存在します。そこで、政府は現在確認できている異世界について十分な調査を行い、友好度により分類し、可能な限り平和的に、かつ必要に応じてドギツイ交渉も担う組織を立ち上げました。それが異世界対策室。私が所属している組織の名です」


 話の風呂敷が一気に大きくなった。果たして頭が着いてけるか心配になってきたが、袖を掴んでいる巴ちゃんはもはや思考停止状態に陥っている。


「ここからが、本題ですが、目下我々が急務としているのはポータルなど異世界への旅立ちを阻止し、国民の生命を守ることにあります。現時点では、我々の世界にはポータルを自由に開閉する技術が存在しません。異なる世界が繋がることは、自然現象と同じく太古の昔から起きていたようですが、異世界には魔法という未知の技術体系が共通して存在しており、細かな違いはあれど、その魔法を使うことでポータルを意図して開く行為は昔から行われていたそうです。特に敵性異世界でその活動は活発なのですが、その目的は不明です。一説には、我々の高度な文明や技術を手に入れる為とも言われますが」


「技術を盗むために拉致しているわけですか」


「そう。多くの異世界にとって、私達の世界の人間は千年単位でテクノロジーや文明が進んだ存在ですし、異世界に渡った人間はなぜか超常的な能力に目覚めることも珍しくないため、時に救世主として召還される場合もあります。しかし、我々にしてみればこれは国民を拉致されるという非人道的な犯罪です。我が国民を拉致することは政府として到底看過できるものではなく、いかなる理由であれ、許される行いではありません」


 市村の顔は義憤に燃えていた。巴ちゃんはすっかりその怒り顔に萎縮しているが、俺は存外その横顔に頼もしさを覚えていた。軍人というのは命を賭して国や国民を護る存在だ。市村もその護国の務めに携わる者としての矜持が見て取れる。確かにおっかない顔だが、根は仕事に真面目な良い人なのかもしれない。


「それに、アレク凱旋事件によって流布された異世界の情報は、不満を持つ多くの国民を煽動する結果となり、様々な社会問題を起こしているのも事実。どれだけ情報を規制しようとしても、アレクの能力で悉く情報の規制に失敗し、アレクの配信を鵜呑みにして、異世界を天国と勘違いした人々が、至る所で自殺したり、問題行動を起こして社会不安の増大を招いているのは誰もが知るところです。そこで、我々異世界対策室も、そうした異世界からの干渉を防ぎつつ、国民をアレクの煽動から保護する為に異世界間移動のイニシアチブを我々が持つ必要があると考えています」


市村はキッと視線を俺に向ける。


「先日のあなたの行い、実に興味深い。まさか素手でポータルを閉じることができる人間がいるとは。我々も知らない未知の能力ですが、ポータルを閉じる事ができたということは貴重な発見です。これはポータルの開閉権を手に入れる契機に繋がると異世界対策室は考えているのです。ポータルの開閉を完全管理下に置くことが出来れば、異世界間移動の被害を未然に防ぐことが可能となるでしょう」


「話が見えてきました。つまり、ポータルを閉じることが出来る俺達に、異世界対策室の仕事を手伝ってもらいたいと、そういうことですか」


「簡潔に言えば、その通りです。これは多くの国民に取って救いとなると我々は考えおります。是非とも協力して欲しいのです」


「俺達に拒否権が無さそうな種類の話みたいですね」


 俺はハッキリと言う。だが、女軍人はニコニコとした笑顔を浮かべるばかりだ。


「正解です。さすがに聡いですが、あなた、ほんとにトラック運転手ですか?」


「元トラック運転手だ。今はしがない無職ですよ」


 俺は半ば投げやり答えつつも、チクリと心に刺さる質問をした女軍人に目で威圧する。だが、女軍人は一瞬も視線を外さず睨み返す。さすが軍人。女とはいえ迫力が違う。


 とても俺達を見逃してくれる感じではないな。拒否することはできないだろう。最悪、俺はどうなってもいい。だが、巴ちゃんはどうなる。この子もポータルを俺と一緒に閉じているから、協力要請の対象なのは間違いない。二人もポータルをとじる能力者がいるのなら、異世界対策室とやらは、この千載一遇のチャンスを逃すことはしないだろう。せめて、巴ちゃんだけは解放してくれないものか。


 さっきから萎縮しっぱなしの巴ちゃんも状況を理解したのか、体の震えが止まらない様子だ。


「正直、あなた方を巻き込むのは個人的には不本意です。しかし、どうしてもあなた方の協力が必要なのです。国家目線で言えば、ここは強制的にでも協力させるところですが、私達は人権を蔑ろにするほど碌でもない組織に属しているわけでもないので、これからあなた達にその事についての詳細を教えます。その上で協力をお願いしたいと思っています」


 市村が歩みを止める。どうやら目的の場所に着いたようだ。

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