3-2

 ひとしきり泣き晴らした俺は、おやっさんに促され巴ちゃんと一緒に家に帰る事になった。おやっさんの計らいで俺達はボロボロだが住むには不自由しないアパートを紹介してもらっていた。そして、巴ちゃんはアパートの隣人でもあったのだ。


 会社を後にした俺と巴ちゃんはトボトボと帰路につく。呆然とただ歩き続けるしかなかった。


「ぐんちゃん、ちょっと付き合ってもらって良い」


「うん、いいけど何するの」


「やけ酒に付き合え」


「えっ、俺、酒だめだって知ってるでしょ?」


「いいから、付き合え。ノンアルコールでもなんでも奢るから」


 半ば強引に腕を引っ張られ、俺は巴ちゃんに連行される。きっと巴ちゃんもやり場のない悔しさや憤りをどうにかしようと必死なんだ。無下に断る事もできない。


 近くのコンビニで巴ちゃんは酒やらノンアル飲料やらしこたま買い込む。買い物袋は俺が持ち、連れて行かれたのは近所の山の上の公園だった。


「私ね、嫌な事とかあると時々こうやって夜景を見ながらお酒を飲むんだ」


「夜景だけに、やけ酒ってこと?」


「え〜・・・全然上手くない」


 巴ちゃんの顔が物凄いことになってる。センスのない俺の言葉ににどん引きのご様子だ。しかし、この会話のセンスの無さはどうしようもない。どれだけがんばっても、俺の会話のセンスが磨かれる事はなかった。おそらく俺にはそっち方面の才能がないのだろう。場の空気が微妙になってしまったら、頭をかいて誤摩化すぐらいしかできない。


 それにしても、巴ちゃんの飲みっぷりは相変わらずだ。公園について早々、もう三缶も飲み干してる。


「それにしても、大変な事になっちゃったね」


「そうだね」


「おやっさん達、大丈夫かな。私達の事心配してくれていたけど、そんなこと言ってる場合じゃないよ、あれ」


 巴ちゃんは経理も手伝っていたから、経営の状態が分かるんだろうな。出来た子だ。俺と違って。


 巴ちゃんの飲むペースはどんどん上がっていく。俺は酒は駄目だし、喉も乾いていないので、チビチビとノンアルコール飲料を口の中で転がす。


「ねぇ、ぐんちゃん。私ね、昔は大人になったら普通に学校通って、普通に就職して、普通に結婚して、普通の家庭ってものを持つはずだったんだよね。ところが現実は無情よね。貧乏で学校もろくに行けない。がんばってバイトして、奨学金も借りてなんとか大学まで出てもろくな仕事もない。それでも、がんばって少ない給料で働いて、病気になっても、治しながら働いて、それでも生活が潤う事はなく、あまりの忙しさに遊ぶ時間もなければ出会いを探す暇も無かったわよ。どころか、今までの教育費やら奨学金で家計は火の車。将来に投資したはずなのに、何も回収できなかったわ」


 ぐいっと酒を飲み干し、次の酒を袋から取り出す。


「この会社に入る前はね、お金が必要だったからとことん無理して働いて、駄目になっても働いて。それで働けなくなるくらいの病気をしたの。あっさり首を切られた私を、雇ってくれたのがおやっさん達だったのに・・・。私は何も恩返しが出来てない」


 こんな無気力でやるせない表情をした巴ちゃんは初めてだ。普段気丈に振る舞っていたが、実際は相当やられていたということか。


「ふざけんじゃねーーーー!馬鹿野郎ーーー!」


 突然の怒号で体がびくっと反応してしまった。いきなり大声を出すのは辞めて欲しいな。


「ビックリするから、いきなり大声ださないでよ。それに近所迷惑だよ」


「シャーラーップ!ぐんちゃんも叫べ!馬鹿野郎ーーーー!」


 こんなやぶれかぶれなノリは苦手だが、仕方ない、少しだけ付き合うか。


「ばっ・・・馬鹿野郎・・・」


「声が小さい!アゲイン!」


「ぇえ!?」


「馬鹿野郎ーーーー!!」


「ばっ、馬鹿野郎ー!」


 巴ちゃんのテンションは酒も入った事で意味不明なまでに上がっている。無理も無いか、今までずっと色んな物に耐えていたはずだ。


 俺も疲労で頭が回らない。ノンアルコール飲料をまた一口のみ、一息つく。ひとしきり酒を煽り、叫び倒した巴ちゃんは、公園のベンチで横になっている。


 俺は上着を脱ぎ、巴ちゃんにかける。夏も終わろうとしている今の時期は、夜が大分涼しい。風邪をひいてはいけない。


 静けさを取り戻した公園で、巴ちゃんが飲み散らかしたお酒の缶を公園のゴミ箱に捨てつつ、最後に残っていた缶ジュースを開ける。


 今日は新月か。街灯で少し見づらいが、それでも夜空には満点の星が輝いている。こんな時はとても感傷的にもなるし、物思いに耽ってしまう。


 巴ちゃんが言うように、今の世の中は、俺達が子供の頃に思い描いていた希望溢れる物ではないのは確かだ。


 子供の頃は、誰しもよっぽど怠けたり不幸な出来事がない限りは普通に学校に通い、卒業したら就職して、恋人もいつしかでき、いづれは結婚して家庭を持つ。そんな人生が普通であって、誰もが経験する人生のイベントだと思っていた。だが、現実は違っていた。


 俺達が生きているこの世界では、どこもかしこも不景気でかれこれ三十年以上も不況が続いている。今では、大学を出た所で就職口があるわけでもない。平均年収も年々下がり続ける一方で、政府は増税に次ぐ増税で負担を国民に負わせ、俺達が自由にできるお金は雀の涙も無い。


 ニュースでは、景気の回復と経済成長がしきりに喧伝され、新技術の開発や、AI実装のロボット実用化で生活が豊かになると囁かれて久しいが、一向に実社会でその恩恵を受けたというニュースも聞かない。少子化問題はさらに深刻だ。対策らしい対策はなされず、改善が見込めないどころか、困窮に喘ぐ若者が次々に自死していく有様だ。そして、アレク凱旋事件がそれに拍車をかけた。


 誰もが体感している。この国は貧しくなっている事を。今では高学歴の人間が正規の仕事につく事も出来ず、派遣や日雇いで日銭を稼ぐのが珍しくない時代に、キツい肉体労働とはいえ、ちゃんと雇って働けていた俺達は、むしろ運がいい方だった。

 まさに、働けど働けど、楽にならざる労働の日々、ってわけだ。


 誰もが、この世界から逃げ出したいと思っている。希望を見いだせず、じりじりと困窮していく日々に俺達の世界の人間は追い詰められている。どうして、こんな世界になってしまったんだろうか。考えた所で答えが分かるとも思えないが。


 ふと、アレクの配信を思い出す。彼は世界中の人達の羨望の眼差しを一身に受けていた。彼があまりにも幸せそうなので、彼を妬むアンチも大勢いたが、多くの人はアレクを救世主のように信奉していた。自分たちを辛い世界から脱出させる方法を教えてくれるのだと。


 確かに、彼の異世界の生活ぶりは理想を絵に描いた様なものだった。


 経済的にも精神的にも豊かで、欲しい物をお金を気にせず使い、綺麗で大きな屋敷に住み、美女に囲まれた生活。人望にも恵まれ、一緒に冒険した仲間や友人も多く、厚い信頼を寄せられていた。民衆からは英雄と崇められ、国からも地位と名声が保証されている。考えられる限り最高の人生ではないだろうか。


 そんな彼の生活を見せつけられ、夢を見る若者は多かった。彼に倣えと皆こぞって異世界に行こうと躍起になっている。


 だが、本当に異世界に行けば、そんな理想の生活が送れるのだろうか。俺はどうしても理想の異世界ライフというものに疑問がある。ネット上に溢れる異世界の考察はどれも異世界を天国か何かと過信している節がある。異世界だから素晴らしい世界なんてのは、ただの希望にしか過ぎないだろうに。


 いや、おそらく全員が妄信しているわけではないだろう。異世界は今や世界中の人々の、こことは違うどこか素晴らしい世界の象徴だ。辛い現実から目を背けるに恰好のネタなのだろう。だが、それを追い求めたところで、そこに幸せは待っているのだろうか。どこまでいっても、俺達が立っているのは今、ここだ。


 幸せを求めるのであれば、いま、ここで、何かをするべきではないか。なぜだかそう思うのだ。

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