3-1:日常の破綻

 事故からし数日後、ミユさんから巴ちゃん宛に連絡が入った。


 れん君は順調に回復し、リハビリで歩けるようになった事、警察からの事情聴取が始まった事、そして、れん君が人を轢いてしまった事を伝えた事を。案の定、れん君は自分を責め、罪悪感に苛まれながら日々を送っているらしい。


 遺族からも、はじめは訴えてやると息巻いていようたが、遺書の内容を精査する内に次第にその勢いは収まり、むしろ息子が迷惑をかけた、病院で謝罪させてすまなかったと、ミユさんに謝罪したいという連絡が来たそうだ。


 ビックリするほど穏便に和解という結果に落ち着いたわけだが、それにはどうも被害者の遺書の内容が関わっていたらしい。詳細はさすがに聞くわけにもいかず、細かい事はわからないそうだが。最終的に、被害届は出されずに終わったということだった。


 これで良かったのかどうかは俺には分からなかった。


 れん君の性格上、例え法に許されたとしても、自分が人を殺してしまったという罪を背負い続ける事に変わりはないからだ。


 事故なんて、起きるものではないな。


 とはいえ俺にできる事が一体どれだけあるだろう。たまのお見舞いぐらいしか思い浮かばないが、それもいつまでできるか。


 正直、俺は、いや、俺達は目の前の問題をとにかく解決しなければならない。


 れん君不在の間も仕事はどんどん入ってくる。俺達は一丸となって働いた。れん君不在で空いてしまった穴は大きく、おやっさんが無理をしてその穴を埋めている感じだ。俺も協力して二人分の仕事をこなそうとするが、それでも追いつかない。


 次第に小さなミスが増えていき、取引先からのクレームも増え、奥さんと巴ちゃんはその対応に追われる日々。事故が起きないのが不思議なくらいだ。


 とはいえ、休むわけにはいかない。休めばそれだけ稼ぎが減る。


 今は戦後最大、最長の不景気にまみれた時代だが、それに対して愚痴を言った所で稼ぎが増えるわけではない。口を動かす前に、まず体を動かせ、働け、お金を稼げ。でないと食い扶持が無くなる。食うに困るぞ。そう自分に言い聞かせ、眠気も疲労も全てを根性で誤摩化し働き続けた。俺だけではない、おやっさんが、奥さんが、巴ちゃんが。みんながだ。


 けれど、現実は残酷だった。


 取引先のクレームに紛れ、無言電話や脅迫電話がかかってくるようになったのだ。一体どこから調べだしたのか。人殺し、殺人トラック、廃業しろなど、嫌がらせの電話が後を絶たなかった。そして、身も心も限界をとっくの昔に超えていた奥さんが、ある時大きなミスをし、会社に大損害を出してしまった。その損害額は、経営の素人の俺でもとても会社が持つまいと思うほどの額だった。


 俺がそれを知ったのは、夜遅く、長時間の配送業務を終え、会社に帰ったときだ。奥さんは泣き崩れ、おやっさんと巴ちゃんに謝り続けていた。


 おやっさん達は、ただずっと奥さんの背中をさすり、押し黙ったままだ。


「おやっさん、一体どうしたんですか」


「ぐんちゃんか、お帰り。帰って早々で悪いが、ちょっと話があるんだ」


 おやっさんの表情や口調から嫌な気配しかしない。今まで見た事ないほどの落ち込みぶりがそれを確信へと変える。おやっさんは、泣きじゃくる奥さんを巴ちゃんに任せ、俺を外へと連れだした。


「今日もありがとうね、ぐんちゃん。ぐんちゃんがいてくれたから、今日までやってこれたよ」


「今日までってなんですか、おやっさん。まるでもうこの会社が終わるみたいな言い方じゃないか」


 予感は的中した。


「勝手に決めて悪いが、俺はこの会社を畳む事にした。これ以上は、傷が深くなるだけだ。いまならまだ間に合う。今なら、お前達も再スタートが切れるはずだ」


「そんなこと言わないで下さいよ。今日まで一緒にやってきたじゃないですか。がんばりましょうよ。俺、まだやれますから。だから・・・」


 おやっさんの元に行こうと足を運ぼうとした瞬間、足の力が抜け、膝をついてしまった。駄目だ、こんな姿を見せちゃ。俺はまだやれる。おやっさんのために働ける。だが、足は動かない。


 悔しさで目頭が熱くなる。おれはなんとか立ち上がろうとするが、それは叶わなかった。なんとか立ち上がろうとする俺をおやっさんは、肩をポンと叩き、屈み込み語りかけてくる。


「こんなになるまで働かせてすまなかった。もう十分だ。十分働いてもらったんだよ。せめて最後くらいぐんちゃん達のために何かしてやりたいんだ」


 そんなことはない。むしろ俺達がお礼を言う立ち場だ。社会にうまく溶け込めなかった俺や巴ちゃんに、仕事を与え、家族同然に接してくれたのがおやっさん達だ。なのに、俺はおやっさん達にしてやれる事がない。無念だ。


 俺は、ただ泣き崩れることしか出来ず、子供のようにむせび泣く俺を、おやっさんはただ黙って抱きしめ受けとめてくれた。もはや自力で立ち上がる事もできない満身創痍の俺を、優しく受けとめてくれた。

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