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「あんたが、人殺しの女か!どうしてくれるんだぃ、私の子が・・・、私の子が・・・!」
初老の婦人が、取り乱し、れん君の奥さんに詰め寄っている。それをなんとかおやっさん達が押しとどめている。その初老の婦人の旦那さんと思しき人も必死に婦人を引き離そうとしている。
「人殺し!人殺し!」
まさに般若の形相だ。ともかく俺も間に割って入ってこの場を治めようとするが、待合室は騒然とし、奥から看護士さん達も駆けてきて現場は修羅場と化してしまった。
婦人はなおも取り乱し、この人殺しめと喚いている。狂乱に近い婦人の力は凄まじく、また、人が近づくのを躊躇うほどの鬼気迫るものに、皆気圧されている。これでは収集がつかない。
「ご婦人、とにかく落ち着いて下さい」
俺は婦人の前に立ちふさがり、両腕で肩を抑える。体格に恵まれているわけではないがこれでも肉体労働者だ。力には自信がある。
婦人はなおも狂気にまかせてて暴れている。その暴れた婦人の手が顔や腕を引っ掻きまわす。
婦人が怪我をしないように、更に力を加え、婦人を制する。徐々に婦人の力も尽きていき、へたりとその場にしゃがみ込む。どうにか、落ち着いてくれたらしい。すぐさま、婦人の夫と思しき男性が駆け寄り、俺達に詫びる。
「うちの家内が申し訳ありません。突然のことで、家内も動転してしまったようで。お怪我はありませんか」
紳士的な対応だ。旦那さんは婦人とはうってかわってとても冷静だ。
「いえ、怪我はありません」
健気にれん君の奥さんは答える、恐怖で顔も引きつり、顔面蒼白だ。
「すぐに家内は連れて行きますので、お話は家内が落ち着いてからにしましょう。ご迷惑をおかけして・・・」
「謝りなさいよ!土下座しなさい!」
落ち着いたかと思いきや、今度は謝罪の要求か。困った婦人だ。飛び込んできたのはおたくの息子だろうがと、喉元まで出かかったが、れん君の奥さんはその場に跪いた。
「ちょっと、ミユ!あんたがそこまですることないのよ!」
「先輩、でも主人が人をはねて・・・・・・殺してしまったことは事実なんです」
か細い声でそう言うと、れん君の奥さん、もとい、ミユさんは、頭を床に着けた。
「本当に申し訳ありませんでした」
泣きながら頭をこすりつけ、ユイさんは謝罪する。巴ちゃんは半ば強引にユイさんの体を抱き起こし婦人に言い放つ。
「これでもう十分でしょ。お腹が大きい妊婦がここまでして謝ってるのよ。もうこれ以上ないくらい謝ってるでしょ!」
静まり返る待合室。
ミユさんの体を呈した謝罪の後は、さすがに婦人も大人しくなり、旦那さんに引きずられながら帰っていった。
精神が極限状態にあったミユさんも、倒れ込んでしまい、ストレッチャーで運ばれていく。社長の奥さんと巴ちゃんも、ミユさんに付き添い、処置室へと消えていった。
おやっさんもあまりの出来事に茫然自失となり、待合室のイスにぐったりと座り込む。不幸とは、かくも残酷で苦痛に満ちたものであるという事を、再認識せざるを得ない。
その後、警察官数名と責任者らしいスーツ姿の男が俺達に謝罪を申し出てきた。どうも取り乱した婦人を取り押さえられずにユイさんの元まで行かせてしまったのは警察の不手際だったようだ。まったくけしからん話だ。ユイさんやお腹の子に何かあったらどうするつもりだったのだろう。公務員も人手不足で仕事の質が年々下がっていると聞くが、さすがにこれは酷くはないか。
ともかく、社長がその場を対応し、簡単な事情聴取にようなやり取りを終えた後は、待合室に再び静けさが戻った。時計に目をやると、もう日付が変わろうとしている。手術室のランプはまだついたままだ。
疲労と眠気で、ぼんやりしたまま、俺は呆けたようにずっとそのランプを眺めていた。頭にはとりとめもない嫌な考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し、俺の心を苛んだ。
れん君、死ぬんじゃないぞ。君には素敵な奥さんがいるんだろ。もうじきお父さんになるんだろ。君はこんなところで死んではいけない。君にはまだこれから素敵な事がいっぱい待ってるはずだ。こんな若さで死んじゃ駄目だよ。
どれほど時間が経ったのだろう。フッと、ランプが消え、手術室の扉が開く。
俺とおやっさんはガバッと起きあがり、れん君の元へ向かう。チューブに繋がれ、包帯だらけの体が痛々しい。
手術を執刀した医師から、一命は取り留めたことを伝えられ、俺はおやっさんと泣きじゃくり、抱き合いながられん君の生還を喜んだ。窓からは朝日が射し込み、汚いおっさん二人の顔を照らす。
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