1-2
病院に到着するなり、俺達は走ってれん君の元へと向かう。
病院の受付で、れん君が緊急手術の最中という事を伝えられた。急いで手術室へと向かう。
待合室の先に手術室はあった。手術中の看板表示がほのかに灯っている。おやっさんは、もう息も絶え絶えで、足下も覚束ない様子だ。ともかく、待合室のイスへと連れて行き座らせる。
おやっさんの憔悴ぶりに、俺も心を痛めていた。こんなおやっさんを今まで見た事があっただろうか。
そういえば昔、おやっさんが酒の席でべろんべろんに酔っぱらい、一度だけ話してくれた事があった。それは、事故で一人息子を亡くしていたことだ。生きていれば、今年で二十歳を迎えているはずの亡くなった一人息子と、れん君が重なって見える事があると。それは、奥さんも同じで、息子のように可愛がっていた。
もし、ここでれん君が帰って来なければ、おやっさんは息子を二度失ったも同然となる。その気持ちを考えたら、とてもやるせない。
俺にしたって、弟同然のれん君が帰ってこなかったらと考えると、まるで泥沼にでも引き込まれるような暗澹とした気持ちになる。れん君も兄弟がおらず、俺の事を兄のように慕ってくれていた。そんな彼が、今、生死の淵を彷徨っている。だが、今俺達には何もしてあげる事が出来ない。こうして手術が終わるのを待つだけだ。
おやっさんは、目強く閉じ、口唇を噛み、ぐっと堪えている。息子さんを失った時の苦しみを思い出しているのかもしれない。
しばらくして、待合室に女性が現れた。社長の奥さんと事務員の巴ちゃんが付き添っているその女性は妊婦さんだった。
どうやら、れん君の奥さんも病院に駆けつけてきたようだ。れん君の奥さんは、ゆっくりと俺達のところへ歩いてくる。
「皆さん・・・今回は、主人が大変ご迷惑を・・・」
涙を堪えながら消え入りそうな声で、謝る。俺とおやっさんは慌てて、れん君の奥さんをイスへと誘導し、座らせる。
「何も言わなくていい。今は、れん君の無事を祈ろう」
おやっさんは、優しく語りかける。奥さんは、必死で、涙ながらに謝っている。
見ていられない。なぜ、こんな不幸が起きた。
「ぐんちゃん、ちょっとコッチ来てもらっていい?」
社長の奥さんに後を任せ、巴ちゃんは俺を待合室の外へと連れ出す。
「とんでもない事になっちゃったね」
声の調子がいつにもなく低い。元々声だけでなく、テンションも低いが、今日はなお一層低い。巴ちゃんは、寝不足なのかいつも眼にクマがあり、やつれた印象なのだが、本人は至って健康体だし、しっかり睡眠も取っているらしく、くたびれたような顔つきは生まれつきのものらしい。とはいえ、今は巴ちゃんの顔がとてつもなく疲れ、やつれている様に見えた。
見た目とは裏腹に、普段は人懐っこいところもあり、まだ職場で知り合った当初、三次さんと名字で呼んでいたら、余所余所しいので辞めて下さいとキッパリ言われたことがあった。言いたいことはハッキリと言うなかなかの気風の女の子だ。
だが、そんな巴ちゃんもひどく傷ついている。それもそうか。れん君の奥さんは、巴ちゃんの友達だ。れん君とも仲もいいし、親好も深い。れん君夫妻の妊娠を聞いて、自分の事のように喜んでいた彼女だ。今回の事故は相当応えるはずだ。
「ほんとに、言葉が見つからないよ。なんと言ったらいいものか。その上、俺達にやれる事もなさそうだ」
「全くね、歯痒い限りよ」
巴ちゃんは、力なく答える。
「そういえば、相手方の容態はどうなんだ?意識不明と聞いたが」
巴ちゃんは、俺の顔を見る。その顔は真っ赤に涙で腫らしていて痛々しく、直視できない。
「亡くなったって」
「えっ?」
思わず聞き返す。
「即死、だったみたい。さっき警察の人もいたから、少し話し聞いてきたけど、れん君、今流行の飛び出し自殺に巻き込まれたみたいなの」
「飛び出し自殺・・・」
その言葉は、記憶に新しい。ここ数年社会を賑わしている大量自殺問題のニュースでよく聞かれる言葉だ。
「じゃあ、れん君はその自殺に巻き込まれたのか?」
「詳しい事はまだ調査中みたいだけど、間違いないと思うわ。被害者の遺書が見つかったらしいから」
巴ちゃんは、息を整え、再び話し始める。
「事故を見た人がいたんだけど、見通しの良い幹線道路で事故は起きたらしいわ。歩道を歩いていた被害者がれん君のトラックが通り過ぎ様に突然道路に飛び出したんだって。飛び込みに気づいたれん君はそれをなんとか避けようとしたみたいだけど、その時ハンドル操作をミスって、近くの電柱に衝突しちゃったらしいの。目撃者もいるし、ドラレコも装備してあるトラックだから、その証明はできると思うけど」
なんてことだ。こちらがどれだけ事故に気をつけていても、そんなことされたら、れん君にはどうしようもできなかったはずだ。それでも、れん君の事だ。なんとか被害者を守ろうとしたのだろう。その咄嗟の行動で電柱に衝突してしまったのだろう。
やりきれない。俺は大きな溜め息をつく。とはいえ、起きてしまった事はしかたない。仕方ないんだ。
「とにかく、俺達がれん君達のためにできる事が少しでもあるのなら、それをとにかくやってあげよう。といっても、今は祈るぐらいしかできそうにないけど」
巴ちゃんは声を殺しながら肩を静かに振るわせ泣いている。
こんな時に、気の利いた一言でも言えるのなら、巴ちゃんの心を軽くする言葉を言えたのだろうか。巴ちゃんは、直接の被害者ではない。でも、こうして酷く傷ついている。ひとたび何か起こり、被害が出れば、それは当事者だけではなく、こうしてその近しい人達にも、苦しみや悲しみという形で被害は伝播していく。そして、俺にも。心が裂かれるようだ。全くもって、やりきれない。
その時、怒号が待合室で響いた。
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