第4話 神無とのデート

「それで神無。わたしに相談っていったい何なの?」


 堪え切れず思わず問いかけると、今まで活舌の良かった彼女の口調に明らかな影が灯りはじめた。

 こんなに唐突に聞かれるとは思ってもみなかったのだろう。

 しかしこれまでの道中で、しきりに辺りを気にする彼女を見れば気にならないはずがない。

 仰々しく映った笑みが僅かに引き攣るのを真由子は見逃さなかった。


「なにかあって、わざわざこんな新宿にまでやってきたんでしょ?」


 神無の買った衣服や調度品は確かに夏の新作で、小麦色に焼けた彼女の肌に合う綺麗なものだ。

 しかしそれは笹塚駅前のショッピングセンターにも同じような支店があるし、わざわざこんな都会に来てまで買う必要はないはずだ。


「あー、それはその、ね?」

「神無?」


 歯切れの悪い友人の言葉に眉を顰める。

 神無とは高校入学当初の付き合いだが、三年近く一緒にいれば彼女の性格などもよくわかる。

 こういう時の彼女は何か、伝えたいことがある時だ。


「もしかして、……なにか悪いことでもあった?」


 言いにくそうに作り笑いを浮かべる神無に、回り込むように話題を切り出せば動揺が伝わってきた。


「あー、やっぱり真由子にはバレちゃうか。そのね。真由子には本当に悪いんだけど、そうなんだ」

「話して神無。力になれるかもしれない」

「でも――」

「いいから話してお願い」


 言い淀む神無に語調を強めて肩を揺すれば、気まずそうに視線を下ろした彼女の口から渇いた笑みが漏れた。


「まったくお人よしだな真由子は」

「こんな必死になるのは神無だけだよ」


 真由子は正直に言って人づきあいが苦手だ。

 いや。人――、というより彼らに寄り添うを見るのが嫌いなのだ。

 いまもにこやかでショッピングを楽しむ観光客。

 その背後に纏わりつくカラフルな霧のようなモヤや、四角い結晶を繋ぎ合わせた不恰好なよくわからない物体。

 どれもこれも人の世界に寄り添うように紛れ込み、決してその存在を悟らせないでいる。


 そしてそれは真由子も例外ではなかった。


 母の葬式以来。真由子には人ならざる者たちが見えるようになっていた。

 それは決して干渉できず。かといって離れるわけでもない。


 現に真由子の家には一体。黒いもやのような不定形な存在が住み着いているのだ。

 それは父と真由子を交互に行き交うようにして憑りつき、背後を窺うようにして見つめている。

 誰に話したところで信じてもらえず。離したところで変人扱いされる。


 その噂は最悪なことに高校まで引きづられることとなり、私は他人と関わることが酷く臆病になってしまった。

 だからこそ入学当初から根強く真由子に構ってくれた神無の存在は本当に救いだった。彼女がいなければ真由子の高校生活は誰とも関わらずに一人寂しくものになっていたに違いない。


 唯一の親友となってくれた彼女には全力で向き合いたい。

 それが例え、自分の嫌悪する存在が関わっていたとしても。


「神無――、話して」


 不器用に肩に手を伸ばし、真摯に神無を見つめれば、観念したように小さな苦笑が返ってきた。


「いやーね。ホントどうでもいい勘違いかもしんないんだけど。この頃視線を感じるというか。誰かに見られているような気がすると言いますか」

「もしかして、ストーカー?」

「あーたぶん、ね。――あっ、でもあれだよ。まだ何も実害ないしほんとうに私の勘違いかもしんないんだけど。……ときどきすんごい視線を感じるんだよね」

「それっていつから気づいたの?」

「たぶん十日くらい前。ほら、校庭の裏からわたしをジッと見ていた気がする」


 校庭の裏なら真由子もよく知っている。

 放課後人気がなく学校の不良たちのたまり場場として有名だし、神無と初めて会った時もあの一本桜の下だ。

 春になればきれいな桜を咲かせることで個性豊かな面々をまとめる教師たちの癒しになっていたりする。 

 それにちょうど夏休みが始まったくらいの時期なら、不審者がいても気づかないだろう。


「はじめはさ。ただの気のせいだと思ってたんだ。でもそれが最近どうも勘違いじゃないみたいで。振り返っても誰もいないけど確かに。……いやーあたしも真由子みたいな霊感あんのかな? それでちょっと不安になってさ。真由子に頼ったわけ」


 入学式を終えて二か月、初めて神無に絡んできた怪異事件を解決したのが真由子なのだ。

 無我夢中で飛び出し、あの時はどうしてあの化け物が霧散したのかは真由子には理解できなかったが、それでも現場を目の当たりにした神無は、わたしが霊感のような能力を持っていることを理解してくれた。


 それでもなお気味悪がらずに友達でいてくれるのだからありがたい。

 普通、あんな景色を見せたのなら怯えてしまってもおかしくないのに。


「ごめんね巻き込んじゃって。真由子だって関わりたくないっ言ってたのにわたし――」

「ううんいいの。でもそれでお守りはどこで買ったのかって――」

「うん。だって真由子がくれたお守り、あれ本当に効くんだもん」

 

 おそらく相当参っているに違いない。

 カバンから取り出した不出来なお守りをぎゅっと握りしめると神無は不器用に笑って見せた。


 神無の持つお守りは、選抜前で前で不安がる彼女のために真由子が作ったお手製のものだ。

 サイトを参考にして見よう見まねで作った模造品に過ぎないから当然御利益なんてものはない。少しでも神無のためと思い衝動的に作ったお守りがいま神無の心の支えになっているのだ。

 もしかしたらこのきつすぎる柑橘系の匂いは、神無自身の不安を紛らわせるためにあえて振っているように思えてきた。


「いまもさ。後ろから見つめられているような気がするんだよね。これが」


 小麦色に焼けた肌で僅かにわかりにくいが神無の顔色が若干悪いような気がする。

 サッと視線を走らせるが人ごみが邪魔で誰が誰だかわからなかった。


「ははっダメだね。笹塚から離れたらついて来ないと思ったけど余計ダメだったみたい」

「……神社には?」

「ダメ。こんなの多分信じてもらえない」


 そんなの当たり前だ。

 真由子ですら長年悩まされているのだ。神社に駆け込んだところで精神病か何かを疑われて終わりだろう。


 そこまで考えて、不意に神無の背後に影が落ちた。

 一瞬、太陽でも陰ったのかと思ったが違う。


 この感覚は、真由子もよく知る感覚。


 恐る恐る後ろを振り返れば、背筋が凍るような感覚が真由子の胸に襲い掛かった。

 まさかこんな近くにいるなんて。

 それは灰色の綿毛をいくつも寄せ集めたような毛の塊だった。全長二メートル台にも達するその巨体は、せわしなくギョロギョロと顔のような部分から黄色い眼球を覗かせ神無を見下ろしていた。


「神無。とりあえず移動しようか」

「えっ――」

「早く」


 小声で耳元で語調を強めれば、小さく頷く神無は一瞬だけ躊躇ったあと、何気ない仕草で足元に置いた荷物を取って立ち上がった。

 そのまま前進するように促せば、喉を鳴らす神無は静かに一歩を踏みしめ、そのまま化物が起立していたベンチを後にする。


「もしかしているの?」という言葉にゆっくり頷いてやれば、彼女の小麦色の肌が一瞬だけ強張ったのを真由子は見た。


「やっぱり幽霊なんだ」

「たぶん。神無が考えてるのであってる。その証拠にあんな化物がいても、だれも神無の背後に不審な影があるなんて気づかなかった」

「ははっ、真由子がそこまで言うなんてよっぽどなんだね。前みたいにちょっとだけ見てみたかったも」


 おそらくやせ我慢だ。

 確かに神無の言うようにこの場であげることもできるが、それは得策じゃない。余計に化物を刺激して襲い掛かってくる場合があるのだ。


 こっちは干渉できないのに、向こうは干渉し放題なんて最悪だ。


 心のなかで毒づき、後ろを振り返ればもう、そこには化物の姿はなかった。

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