第65話 降天菊花
「それが(降天菊花)か。」
横たわる三人など居ないものかの様に、南光院典明は祭壇に向かって歩を進めると、崇継を蹴り飛ばして(降天菊花)の包みを奪い、大儀そうに手に取った。
うやうやしく螺鈿の施された包みは、内側から薄く光を放っている。
「死んだ…はずだ!」
呻く様に言葉を発した翔を横目に見て、興味無さそうに答える。
「風魔流・黄泉戻し…と言うらしい。」
「生き返ったのか?」
「そもそも<死>とはなんだ? 伊賀者よ。」
典明は、質問には答えず、逆に翔に質問をした。
「<死>とは…だと?」
「<死>とは、肉体と精神が生きるのを止める事だ。」
「お前と哲学を交わす気はない!」
「哲学ではない、真実だ。」
典明は、翔を一瞥すると、構わずに続ける。
「儂はここで二度死ぬ前に一度死んでおる。その時、蘇った儂の体はただの容れ物となったのだ。」
「容れ物?」
「容れ物、故に壊れたら直せば良い。甲賀の猫娘に出来る事が儂に出来ぬ道理はなかろう?」
典明の話は翔の理解を超えていたが、現実に翔が見ただけでも南光院は二度生き返っている。
「つまり、儂の精神が生きるのを止めぬ限り永遠に生きるのだ。」
「させるかっ!」
翔は梅花を出そうと手のひらを上に向けたが、弱々しく浮かんだ一枚の花弁はすぐに崩れ去る。
「お前の体はカラカラだ、ガス欠なのだろう?」
典明は薄い笑いを浮かべた。
「いくら特殊な術を持っていようと、永遠に戦い続けられる者などおらぬ、この儂を除いてはな。」
「この化け物っ!」
知佐が怨嗟の叫びをあげる。
「化け物?」
典明は愉し気とさえ思える様な声で答えた。
「人は自分の理解の及ばぬものに出会うと、それを<化け物>だの<鬼>だの<神>だのと呼んできた。
人の言う<人外>は、全てが人間を超越した存在、すなわち<神>だ。
つまり、今、お前は儂を<神>と認めたのだ。」
「詭弁よっ!」
「見ておれ、今から儂は本物の<神>となる、この(降天菊花)を使ってな。」
典明が(降天菊花)を覆っている包みを荒々しく剥ぎ取ると、中から夜目にも鮮やかな深緑の半円形の翡翠が現れた。
大事そうに両手で抱えると、薄く光を放つその翡翠の中に一輪の菊の花が浮かび上がる。
「おぉ、これが!」
典明の瞳が怪しく紫紺の光を帯び始める。
(降天菊花)は輝きを増し、眩いばかりの黄金色の光を放ち始めた。
「今こそ、南朝宿願の時だ!!」
しかし、典明の呪怨の様な絶叫を合図にしたように、(降天菊花)は輝きを失い、菊の花も揺れる様に姿を消した。
「何故だ、これも偽物というか!」
典明は憎悪の感情を爆発させて(降天菊花)を投げ捨てる。
祭壇に当たって跳ね返った(降天菊花)が、血だらけの崇継の元に転がり、崇継はそれを掴んだ。
すると、(降天菊花)は再び輝きを増し、眩いばかりの黄金色の光を放ち始める。
「ふんっ、子供だましのおもちゃだ。」
典明が忌々しげに吐き捨てるのを余所に、閃光のような輝きを放つと、その光は崇継の両眼に吸い込まれる様に消えて行った。
「今のはなんだっ!」
憤怒の形相で崇継を睨んだ典明の目に映ったのは、眩いばかりの黄金色の光を放つ崇継の目であった。
「南光院典明。」
静かに語り掛ける崇継の声には、先ほどまで無かった威厳が感じられる。
「あなたは化け物に成り下がって、皇位継承の大原則まで忘れてしまったのですか?」
「大原則だと?」
典明は憎悪に燃える目で崇継を睨んだが、ハッとした様子で呻く様に漏らした。
「まさか、男系継承とでも言うか?」
「そうです、男系継承は血の掟。(降天菊花)は南朝の男系のy染色体にのみ反応するのです。」
「はっはっは、あーっはっは。」
典明が常軌を逸したように笑い始める。
「そうか、(降天菊花)まで儂を否定するか、この覇王の資格を持つ儂を。」
典明の紫紺の瞳が憎悪に縁どられ、どす黒い炎が灯った様に怒りに揺れる。
「儂が討つべきは北朝ではなく、下らぬこの国そのものであったか!」
ジグ・ザウエルの銃口を崇継に向けた。
「北朝の前にまずはお前だ、南朝の正統後継者っ!!」
「待て!」
翔がフラフラと立ち上がろうとするが、足がもつれて立ち上がれない。
典明は、翔と知佐の方に向き直って銃を構えた。
(くそっ、ここまでか)
諦めかけた翔の目の前で、知佐は顔面蒼白にして浅い呼吸をしながら翔に微笑みかけている。
「翔くん、私の命はここまでみたい。」
知佐は、長くカールした睫毛を伏せて、唇を強く噛みしめる。
「くそっ、諦めるな!」
「だから…吸って!」
そう言うと、知佐は翔に唇を重ねて来た。
「はっ、気でも違ったか、下賤の者! もうよい!お前たちはここで儂が作る帝国の礎と成り果てるがいい!」
低く乾いた音と共に放たれた銃弾は、知佐の手前で甲高い破裂音と共に地上に堕ちる。
翔の周りには薄紅色の梅の花弁が数十枚、軽やかに揺れていた。
翔と唇を重ねていた知佐の頭が力なく前に倒れた時、愕然とする典明の目に映ったのは、鮮血に口を濡らした翔の姿であった。
「血で補給しただと!?」
「梅花の舞・血化粧。」
翔の声は悲しみに満ちていた。
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