第60話 最後の敵
「タカ、足元気をつけろよ。」
「はい。」
二人は薄明かりの中、地獄の門をくぐり抜け、千本鳥居の赤いトンネルの奥へと歩みを進める。
トンネルの先には百段くらいの階段が待っていた。
「あの先ですか?」
「あぁ、行こう。」
瑞々しい朝露を滴らせる新緑が風に揺れ、荘厳な朝の空気が辺りを包んでいる。
階段を登ると、目の前に瓦屋根の小さな社があった。
崇継は周囲を見回すと、疑問を口にする。
「岩みたいなのはありませんけど…。」
「それはあの先だ。」
小さな社の右側に鳥居があり、更に奥へと続く階段が伸びている。
階段の奥には朱色の鳥居が奥ゆかしげに姿を見せていた。
「俺もこの先は初めてだ。」
二人は、慎重に歩を進める。
五十段くらいの階段を登り終えた翔たちの前に現れたのは、古代神道の磐座祭祀を現代に伝える圧倒的かつ繊細な景色だった。
苔むした無数の巨石を囲うように竹林が覆い、笹を揺らす風の音が耳から体の中を駆け巡る。
「石穴」とは、森羅万象の生命エネルギーの循環を祈り、女性の象徴とも言われる「盃状穴」の掘られた磐座を、陰陽道で言う繁栄の「気」が「龍脈」を通って満ちるところとして、信仰の対象とする事を意味し、再生や不滅のシンボルともされる。
大自然が織り成す景色に、普段は自然信仰の気配も見せない翔でさえ圧倒された。
隣にいる崇継も同じようだ、口を開けたまま景色に見入っている。
「おい、タカ、何か感じるか?」
返事を聞くまでもなく翔も感じていた、人間の理解の範疇を超える何かを。
「翔さん、あっちです。」
崇継が指差した方は奥の院のある方向だ。
ゴロゴロと転がる巨石の上を歩き、トタン屋根の下の半分地下に埋もれた中に奥の院がある。
中は巨石に囲まれた空間で、岩の隙間にミニチュアの鳥居が置かれていた。
どうやらそれがこの神社のご神体である磐座なのだろう。
「この隙間の中にあると思うか?」
「分かりません…けど。」
崇継の言葉が終わらないうちに、突如、一帯が大きく揺れだした。
慌てて横の岩にしがみ付く二人の前で、正面の岩が左右に分かれ、地下へと続く石段が姿を現す。
朝の光も差し込まぬその口は、数百年ぶりの呼吸をするようにひんやりとした冷気を吐き出している。
「間違いないようだな。」
「そうですね、行きましょう。」
二人は意を決して口の中へ足を踏み入れた。
**********
「みかど様、今の揺れはなんでしょう?」
足元を微かに揺らしていた揺れが収まるのを待って、小次郎が口を開いた。
「どうやら、見つけてくれたようだな。」
南光院典明が歓喜の光を浮かべた目で見つめる先には、石穴神社の地獄の門が口を開いている。
「わざわざこんな辺境の地まで出張って来た甲斐があったというものか。」
六百年前の足利義満と同じセリフを口にすると、地獄の門へと足を踏み入れる。
「行くぞ、小次郎、今こそ南朝宿願の時。」
「はっ! ではあの者どもは?」
「大事の前の小事…とは言え、我が血統を脅かしかねん目障りな小娘…、戻るまでに掃除させておけ。」
「はっ! そのように。」
小次郎が部下に連絡するのを横目に見ながら、南光院典明は薄い笑みを浮かべた。
「崇継、お前は儂自らが始末してやる。」
**********
「念のため持ってきておいて正解だったな。」
二人は真っ暗な石の通路を、ランタン懐中電灯の明かりを頼りに奥へ降り進む。
10分ほど歩いていると、先の方に仄かな明かりが差した。
「何かあるぞ!」
足取りが自然と速くなる。
二人が転がり込むように飛び込んだのは、周りを岩で囲まれた半径20m前後のドーム状のガランとした空間だった。
どのような仕組みになっているのか、地上からは数十メートル降りているはずなのに、岩の隙間からは外部からのものと思われる光が漏れ、空間全体をぼんやりと照らしている。
周囲を見回してみると、南と思われる方向に向けて祭壇のようなものがある。
近づいて祭壇の周りを探してみるが、何かが隠されているような痕跡はない。
「昔の儀式か何かのための空間でしょうか?」
崇継が、岩のドームを見上げて改めて感嘆を漏らす。
「多分、そうだろうけど、どうやってこんなもん作ったんだか。」
翔も改めて古代の技術に感心するが、今はそのような事をしている場合ではない。
「タカ、ここに何か感じるか?」
「いえ、ここじゃないと思います、多分…。」
崇継は入ってきた入口と反対側に続く暗い通路の方に顔を向ける。
「あっちの様だな。」
突然、地獄の底から響いてくる様な、低く暗い声がこだました。
入口を振り返った翔が背中の刀に手をかけて叫ぶ。
「誰だ!?」
返事が帰ってくる前に崇継が答えた。
「南光院…典明。」
薄く笑う南光院典明の傍らには、影のように風魔小次郎が控えていた。
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