第52話 愛は恨みよりも強し

「記憶を吸うだけの忍者と侮ったか? 谷本早耶香。」


 を身にまとった立石が、呆然と立ち尽くす谷本に嘲笑を投げる。


「うっさいわ!」

「お前はそうだ、すぐに早合点して舐めてかかる。」

「なんやと!」


を奪うとはを奪う事、とは何だ? だ!

 私に敵う忍者など居はしない! あのいけ好かない小次郎もそうだ!

 お前たちから(降天菊花)の知識を奪って、風魔の首領の座も奪ってやる!」


「谷本、挑発に乗るな! お前も<>を出せ!」

 翔の声が背中に飛ぶ。


「できひんのや、もう術の効果は切れとる。」


 翔は言葉を失った。


「はははは、術が切れかかってるお前になら勝てるとは思ってたけど、まさかもう効果が切れてるとはね。」

 立石は四つん這いになった。


「どうするの、その後ろの猫を殺す?」

 谷本の後ろでは、兄弟猫の片割れが全身を総毛立たせて立石を威嚇している。


 立石は尻を高く上げて襲撃体制に入った。

「できないわよね、お前は本当はだもの。」

「うっさい言うとるやろ!」

「なら、死になさい!」


 唸りを上げる恨猫から身を翻して直撃を避けるが、さっきまで座っていた石のベンチは真っ二つに折れている。

 なんとか後ろの猫を抱えて避けたが、躱しきれない左肩は深く爪痕が刻まれている。


 それよりも


「自分、今このな?」

「あら、良くわかったわね。」

 立石は再び高く尻を上げ、左右に小刻みに振り始めた。


「なんでや?」

「一匹でこの力よ、二匹だったらどれ程の力になるのか、お前の一族は試したことないんでしょ? だから、私が試してあげるって言ってんじゃないの!」


「立石っ!!」

 谷本は懐のジグ・ザウエルを立て続けに連射するが、立石はクルクルと回転するように軽やかに躱す。


「真正面からの銃撃を躱す事くらい朝飯前なの、お前も分かってるでしょ?」

 立石は再び襲撃体制に入る。


「さぁ、その猫を渡しなさいっ!」

「誰がっ!」


 立石の突撃を、猫を抱えたまま紙一重の所で躱す谷本だが、突撃の度に爪に抉られて体は傷だらけだ。


「しつこいっ!」


 立石の前足が、避けきれずガードした谷本を、体ごと吹き飛ばす。

 もんどりうって転がる谷本は、片膝をついて起き上がると口から血を吐いた。


「終わりよっ!」

 パンッ


 飛び込んだ立石の鼻先を銃弾が掠める。

 振り返ると、翔の銃が桟の隙間から狙っていた。


「そんな隙間から撃って当たると思うの?」

「やってみなきゃ分からんさ。」


 そう答えたが、その可能性がほとんどないのは分かっている。

 激しく動き回る相手に、桟で区切られた隙間から狙って撃つのは、不可能と言っていい。

 ここは谷本に賭けるしかないが、その谷本は既にボロボロで虫の息だ。


 だが、というのだ。


 その使!などとは愛猫家の誇りが許さない。


「大人しく待ってなさい、この女の後でお前たちの記憶も吸ってやるわ。」

 立石の猫の瞳が、異様な光を帯びて谷本に向けられる。


 谷本は片膝を血の海に沈めて動かない。

 手に抱いた猫は、谷本を労わる様に耳元に顔を寄せて盛んに啼いている。

 すると、谷本がにぃっと笑顔を浮かべた。


「そうか、くれるか。」

 そう言うと猫をゆっくりと頭上に掲げる。


「谷本っ!!」

 翔は、やめろ!と言いかけて口を噤んだ。

 何もしなければ殺られるだけだ、しかし…。

 紗織は悲劇の予感に俯いて目を伏せる。


「今の腑抜けたお前にその猫をのか?」

 立石が嘲笑を浴びせる。


? なに抜かしとんのや!」

 谷本は、頭上に掲げた猫を頭の後ろに回し、肩の上に乗せた。



 谷本が肩に乗せた猫は背中に広がり、虎の毛皮の様に形を変える。


「なんだそれはっ!」

 立石が目を見開いて怒鳴った。


「自分言うとったやろ、ウチがやったって。

 ウチ嫌やってん、谷本家の忍術が。

 せやから、八歳の頃からずっと親にで研究しとってん。」


「なんだと!」

や、長かったで、やっとスッキリしたわ。」

 谷本の傷口が見る間に塞がっていく。


「ふざけるなっ!」


「ふざけとんのはどっちや! ウチは腸煮えくり返っとんで!」

 谷本は四つん這いになり、尻を高く上げて小刻みに左右に振り始めた。


「そんな付け焼刃が通用するかっ!」

 立石も鏡写しの様に同じ体勢を取る。


「付け焼刃はそっちやろ、ウチの舐めとったらいてまうで!」

「このアバズレがっ!」


 二匹は一斉に跳躍する。


 勝負は一瞬で決した。

 谷本は、鋭い爪の一撃で横殴りにしてきた立石の前足を外側から叩くと、体勢を崩した立石の腹にそのまま爪を突き立て、山肌に叩きつけた。


 気を失ったまま地面に落ちて動かない立石に谷本が勝利の言葉を投げる。


よりも強し、言うてな。」


 立石が意識を失うと、社殿に掛かっていた術も解けて、翔たちは無事に脱出することが出来た。


「早耶香ちゃん、大丈夫?」

 菜々が駆け寄って手を握る。


「こんなん昼飯前や、ほいで、そっちはあったんかいな?」

 翔は無言で首を横に振った。


「そうか…残念やったな。」

 谷本は短くねぎらうと、頭を軽く回すような仕草をした。

 背中を覆っていた毛皮が猫の姿に戻ると、兄弟の死がいの元に駆け寄り、悲しそうな鳴き声を上げる。


「埋めてやろう。」

 翔たちは、社殿手前の日当たりの良い所に穴を掘り、猫を埋めると、手のひら大の石を突き立て墓標代わりとして皆で弔った。


 なかなか弔いを止めようとしない紗織の頭に手を置いて見守っていると、谷本が隣に来る。


「アマンディーの猫も埋めてくれたそうやな。」

「あぁ。」


 谷本はしばらくの空白の後、優しい声で言った。


「ありがとうな。」

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