第44話 月明かりの参道で
~東京・雑司ヶ谷~
薫は<法明寺>の山門の階段に腰掛け、月明かりに照らされた参道をぼうっと眺めている。
初めて翔に自分の名前を明かしたあの時と同じ場所に佇んでいると、いつもの様に猫がやってきて、頭を足に摺り寄せてきた。
撫でようとした薫の手を避けるように、猫が去っていく。
猫が去っていくその先、月明かりに照らされた参道には、いつの間にか翔が立っていた。
いつも他愛もない会話を交わしながら眺めていた木漏れ日の参道が、今は真っ黒な墨で塗り潰したように見える。
翔の服は血に染まり、沈鬱な表情に浮かんだ陰りは、残酷なまでの悲しみを帯びている。
「翔、あのね…。」
立ち上がって駆け寄ろうとする薫を拒絶するように、翔は静かに抜刀した。
薫はそのしぐさで全てを察し、憂鬱そうに目を伏せる。
長いまつげが月明かりに照らされ、陰鬱の色を濃くした。
「そう、力が戻ったのね。」
「なぜだ、薫?」
「なぜ?」
薫はイラだったような視線を向けた。
「なぜ、お前が知佐を?」
翔は、なおも静かに問いかける。
「きっと、これが運命だったのよ、…あなたは伊賀で、私は甲賀…。」
寂し気に答える薫の髪が風に揺れる。
「そんな事で!?」
「そんな事? 大切な事よ! 私は忍者よ、甲賀の忍者なの! 血の呪縛には抗えないわ!!
そしてあなたは伊賀の忍者よ、服部翔っ!」
薫は堰を切ったように声を荒げた。
「伊賀だの甲賀だの関係ない! 俺は俺だ!」
「では何故力を求めたの! 無くした力ならそのままにしとけば良かった!」
「守るためだ、みんなを、俺自身を、お前も…。」
「私はあなたが欲しかったのよ、翔。
忍術も使えない、何もかも失った、ただのあなたが。」
翔はただ押し黙って薫を見つめる。
「でも、あなたは、なにもかも取り戻そうとした…伊賀の忍者に戻ろうとした。」
「だから知佐を?」
翔はゆっくりと刀を下段に構えた。
「あなたのせいよ。」
薫はバタフライナイフを逆手に構え、尾骨から女王蜂の針を出して翔に向ける。
「薫っ!!」
「翔っ!!」
二人は同時に飛び掛かった。
翔の剣撃をバタフライナイフで受け止めた薫は、そのまま桜の樹に押し付けられる。
徐々に薫に近いづいていく刃の影で、薫の尾骨から伸びた女王蜂の針が鎌首をもたげた。
「破刻の…」
「遅い!」
その瞬間、女王蜂の針は向きを変え、薫のみぞおちを貫いた。
「な、何で?」
「あなたの…せいよ。」
薫は力なく前のめりに翔にもたれ掛かる。
「訳わかんないよ、薫っ! 何でだよ!」
翔は薫の上半身を抱きかかえるように支えて、困惑の叫びをあげた。
薫の腹部から溢れ出る大量の血が、翔の体を生暖かく濡らす。
「運命…なのよ…。」
薫のアーモンド形の瞳からは激しい感情が消え、穏やかな色を帯びている。
「何が運命だよ、別れが運命だと言うなら何故出会ったんだ? なぁ、薫っ!」
「仕方ないの…、あなたと私は…敵…同士…。」
「お前は敵じゃない、薫! なぁそうだろ?」
薫は問いかけに答えず、柔らかい眼差しを翔に向けた。
「ねぇ、私…あなたと居る時…ちゃんと笑えてるか…ずっと…不安だったの…。」
「薫、もういい、もう喋るな!」
翔の瞳からは涙がボロボロと零れ落ちた。
薫は翔の腕を掴み、力なく首を横に振る。
「だって…私…あなたと会うまで…心の底から笑う事…なかった…から…。」
瞳からは段々と光が失われていく。
「薫っ!」
「ねぇ…私…ちゃんと…笑えてる?」
薫は精一杯の弱々しい笑顔を翔に向けた。
翔は、零れる涙を抑えて、無理やり作った情けない笑顔で答える。
「あぁ、もちろんだ! 世界中の人に見せてやりたいよ!」
「良かっ…た…。」
薫は満足そうに笑うと、そのまま目を閉じた。
「おい、薫! 目を開けろよ! おい!!」
腕の中の薫の体からは、急速に熱が奪われていく。
「薫っ! 薫っ!! 笑えよ! もう一度…笑ってくれよ…。」
慟哭は止むことを知らず、月明かりを受けた新緑の木々が悲し気に葉を揺らす。
石畳に横たえた薫の傍でいつまでも泣き止まない翔を、植え込みから見ていた猫が足元にやってきて、慰めるように体を寄せた。
翔は猫を抱き寄せて、薫の胸に乗せる。
「お別れだよ。」
猫は別れを惜しむように薫の顔に頭を摺り寄せている。
薫が猫に向ける優しい微笑みを思い出して、翔はまた泣いた。
「薫、お前はちゃんと笑えてたよ。」
冷たくなった薫の体をそっと抱きしめる翔の姿を、月はいつまでも優しく見守っていた。
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