第36話 急転

 ~東京・皇宮警察本部長室~


 品の良い調度品が揃えられた執務室に、一組の男女が向かい合っていた。

 知佐は悲しげな瞳に落胆の色を浮かべて、目の前の男に視線を預けている。


「なぜ分からんのだ?」


 目の前の男、九条晃はイラだった様子で頭を振る。

「お父さんはこれでいいと思ってるの?」

「本部長だ! 九条警部補!」


 二人の間に気まずい沈黙が流れる。


「本部長は、これでいいとお思いですか?」

「紗織様の事か?」

「全部よ!」


「納得して計画に加わったのではなかったのか?」

「では、何故殿下を殺めたの?」

「あれは事故だ、仕方なかった。」

「他にもたくさんの人が死んだわ、被害も甚大よ!」

「大事の前の小事だ。」


「私は人の命を守る警察官よ!」

「警官は警官でもお前は皇宮護衛官だ!

 お前が守るのは人ではない、神の子孫である皇族だ。

 それは、この国そのものだ!」

「お父さんっ!」


 知佐は言葉に拒絶の意志を込める。


「いいか、知佐、国の為に人があるのだ。」

「違うわ、お父さん、人あっての国よ。」

「知佐、日本が単一国家として世界最古の歴史を誇っているのは、天皇陛下を中心とした統治の賜物だ。」

「それは分かってるわ。」


「では、何故その皇室が今危機を迎えているのが分からんのだ!

 北朝の皇統は今や風前の灯ではないか!

 このままではいずれ、男系継続のらせんは途切れ、とも分からん借金まみれの男のが日本を統治する未来がやってくる。

 その前に本来の正統である南朝方に皇位を取り戻さねばならんのだ。」


「では、何故殿下を殺めたの?

(降天菊花)と引き換えに、北朝方に(三種の神器)と皇位を譲位させるはずじゃなかったの?」


「あの方々は分かっておられぬ、正当な皇統は南朝だというのに、欲がお無さ過ぎるのだ。」

「それで南光院様が皇位を簒奪するつもりなの? それこそ男系継続じゃないの!」

「知佐、正統は南朝だ。」


「どうしてそんなに頑ななの? そんなだからお母さんは…。」

「アレの事は言うな!」


 九条晃は娘の頬を叩いた。

 しばしの沈黙の後、知佐が口を開く。


「私はそんな事のためにこれ以上人の血が流れるのは見たくないわ、紗織様は私が必ずお守りする。」


 そう言い残すと後ろを向いて、部屋を後にする。

 後ろ手にドアを閉じようとした知佐の背中に、冷酷な声が響いた。


「知佐、大事の前の小事だ、お前も例外ではないぞ。」




 ~東京・雑司ヶ谷~


 翔が<服部茶房>に戻ると、イートインコーナーが騒がしい。


「せやろ、せやからウチ言うたったんや!『頭パッカーン割って、脳みそストローでチューチューしたろか!』て。」


 谷本だ。


「まぁ、おもしろい、それで?」


 菜々が本当に面白そうに合いの手を入れる。

 谷本と菜々の様なタイプの組み合わせは、周囲の人間には最悪の相性と言える。

 谷本が調子に乗ってしまう前になんとかしないと被害は拡大するばかりだ。


「お前、朝っぱらから、またタダお茶飲みに来たのかよ。」

「なんや翔か、相変わらず失礼なやっちゃな、そういや自分、また風魔モン倒したらしいな。」

 いつの間にか名前呼びになっている。


「まぁな。」

 失礼はお前だろと思いながら、翔は自慢げに胸を張った。


「威張んなや、この坊ちゃんの手柄なんやろ。」

 見ると、崇継は谷本の横で、借りて来た猫のように大人しく縮こまって抹茶オレを飲んでいる。


(既に被害に遭ってたか…)


「でも、崇継君は強いわね。」

「せやな、風魔モン倒すとは大したモンや。」

「妹さんの事も心配でしょうに…。」

 菜々が涙ぐむ。


「い、いえ、紗織は南光院に居れば、とりあえず手荒なマネはされてないと思いますから。」

 女の涙に弱いのは崇継も同じらしい。


「なんや、坊ちゃんの妹は南光院トコに捕まっとんのかい。」

 谷本が、みたらし団子を頬張りながら崇継に声を掛ける。


「はい、そうですが…。」


「せやったら、ウチがちょっと様子見て来たるわ。」

 事も無げに言い放つ谷本に一斉に視線が集まる。


「な、なんや? そない驚かんでもええやろ、勝手知ったるなんとやらっちゅう奴や。」

「でも、組織はもう抜けたんだろ、大丈夫か?」

「組織抜けたんはウチの心の中の話や、指令下し取った犬山が死んでもうたから、あいつらにとってはウチはただの行方不明者や。」


「早耶香ちゃん、いいの?」

「かまへん、かまへん、菜々にはいつも茶ぁご馳走になっとるからな。」


 いつの間にか名前で呼び合う仲になっていたようだ。


「なんか伝言あったら言うとき。」

「ありがとうございます!」

 崇継は机の上のメモに伝言を書き始める。


「自分はなんかないんか?」

「知佐…九条知佐が居たらこれを渡してくれ。」

 翔はメモに何やら書きはじめると、乱暴に切り取って谷本に渡した。


「九条知佐…あぁ、あの姉ちゃんかいな。」

 谷本はメモをちらっと見て首をかしげたが、興味無さそうに乱雑にポケットに仕舞う。


「ほな、行ってくるで! 夜には戻るから、ご馳走ぎょーさん用意しとってや。」

 そう言うと、近所にでも出かける様にフラッと店を出て行った。


「早耶香ちゃん大丈夫かしら、ついて行かなくて良かったかな?」

 菜々は谷本が心配なようだ。


「襲撃に行く訳じゃないから、大人数だと却って危ないですよ。」

(それに、谷本の忍術を知ったら、むしろ、相手の心配をしたくなる。)


 その言葉は口には出さなかった。



 ~数時間後~


 昼食を終えた翔たちが、イートインコーナーで惰眠をむさぼりかけた時、店の電話がけたたましい音で邪魔をした。


「はい、服部茶房…え? はい、そうですが…。」

 電話に出た半次郎が怪訝な顔をこちらに向ける。


「はい、おりますよ、少々お待ちを。」

 受話器の口を手で押さえたまま、崇継を呼ぶ。


「え? 僕ですか?」

「日枝神社からだ。」


 約束の24日にはまだ早い。

 翔たちも電話の周りにわらわらと群がって来た。


「はい、えぇ、え? そんな急に、えぇ、はい、分かりました。」

 崇継は電話を切る。


「何だって?」

「予定を早めたいそうです。」

「いつだ?」

「明後日。」

「19日か。」

「急ダナ。」

「用心したがよかバイ。」

 翔たちは口々に感想を漏らし、半次郎が締めた。


「どのみち行くしか道はないんだ、万全の準備をするぞ!」



 ~東京・南光院邸~


 薄暗い部屋の長テーブルには、十数台のモニターに収音マイクや様々な盗聴・盗撮器具が並び、モニターの中の1台は布団に潜り込む紗織の姿を映していた。


「おい、今の録れてるか?」

 年長と思われる濃紺のスーツを着た男が部下に声をかける。


「はい、今抜き出します。」

 そう言うと、切り出した音声データをボイスレコーダーに移し、上司に手渡す。

 男は、再生ボタンを押して内容を確認すると、すぐさま部屋を駆け出し九条晃の部屋に向かった。


 南光院邸には皇宮警察本部長用の執務室が設けられている。

 九条晃はその部屋でブルーベリーのジャムを垂らしたアールグレイに舌鼓を打っている所だった。

 午後のティータイムを邪魔された九条晃は、気の利かない部下を一瞥すると、ボイスレコーダーを受け取り、再生ボタンを押す。


(ティータイムを邪魔する価値のある情報か?)

 半信半疑でボイスレコーダーに耳を傾けていた九条晃は、聞き終わると嫌らしい笑みを浮かべた。


「みかど様はお喜びになる。」


 九条知佐が、紗織の部屋の警備体制の変更を聞いたのはその一時間後だった。

 警備計画書を見ると、紗織の部屋だけでなく南光院の屋敷自体から、警備の手が引いてしまうようだ。

 この変更が意味するのは、館の主の外出だ。恐らく数日から数週間の間、館を留守にするのだろう。


 変更計画の執行は4月19日。


(チャンスかもしれない)

 この機会に紗織様をここから逃がす。


(だが、どうやって? 私一人でできるのか?)

 知佐は逃がす計画を考えたが、邸内から逃がす事は出来てもその後が続かない。

 どうしても他に人手が居る。


(翔くん…。)


 紗織たち妹兄と自分を優しく労わってくれたあの瞳が頭に浮かぶ。


(信頼してくれていたのを裏切るように黙って消えてしまった自分を、翔はもう一度信頼してくれるだろうか?)


 自問自答しながら、紗織の部屋の控室に戻った知佐を、奇妙な訪問者が待ち構えていた。


「自分、九条知佐やな?」


「誰っ!?」

 知佐は銃に手を掛け、すぐに動けるよう半身に構える。


(この女…確かアマンディーで襲撃してきた…)


「谷本や。」

「あなた、確か甲賀の忍者よね?」

「そうや。」

「甲賀はお払い箱になったと聞いたわ、どうしてここに入ってこれたの?」

「はんっ、お払い箱やない!自分から出てったんや! それにな、こない緩い警備やったら、ないんと同じやで。」

「あら、そう? でも出る時もそう簡単にいくかしら?」

「あ~、もう! やめや、こないな話しに来たんとちゃう!」

「なら、何しに来たの?」


 谷本がポケットの中に手を入れ、知佐の表情に緊張の色が走る。


「これや。」

 谷本に向けた銃口の前に、一枚のくしゃくしゃのメモが出される。


『俺は今でも正義の味方だ、お前は?』


「これは??」

 知佐は銃を降ろして尋ねる。


「服部翔、自分ら知り合いなんやろ?」

「なぜ?あなた、翔くんたちを襲った敵よね?」

「はんっ、色々あったんや!

 それよりあんたらが攫った嬢ちゃんは元気にしとるか?

 坊ちゃんからも伝言預かって来とるんや。」

 そう言うと、綺麗に折りたたまれたメモを知佐に渡す。


「さぁちゃ…紗織様の部屋には監視カメラが仕掛けてあるわ、あとで私が伝える。」

「はっ、難儀なこっちゃな、そいで、その嬢ちゃんは元気にしとんのか?」

「もちろんよ。」

「ほんまか?」

「紗織様の安全を脅かす輩は私が許さない、私は皇宮警察よ!」


 谷本は知佐の目をじっと睨みつけていたが、根負けしたようだ。


「そんならええわ、信用したるわ。」

「ありがとう。」

「ほな、帰るけど、何か伝言はあるか?」


 知佐は引き出しからメモを取り出すと、何事か書いて谷本に渡すと、メモを見た谷本は目を見開いて呟く。


「ほんまか?」


 知佐は黙って頷く。


「自分やりよるのぉ。」

 谷本は愉快そうに笑う。


 そのまま、部屋を出ようとした谷本を引き留めて知佐は言った。


「翔くんに伝えて、『私も正義の味方よ。』」 

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