第6話 蜂谷 薫

 2019年(平成31年)4月3日

 ~都内~



「あんっのバカ、信じられねぇ!」


 忌々しげに吐き捨てると、蜂谷攻は手にしていたテレビのリモコンを、思いっきり壁に投げつけた。


「仕方がないわ、。」


 蜂谷薫は、動揺を隠せない弟に慰めの言葉をかけて、使い物にならなくなったリモコンに目を落とす。

 蜂谷姉弟が隠れ家に使っている2LDKのマンションは、東西線の葛西駅からほど近い場所にあった。

 生活感を感じさせない無機質なインテリアは姉の薫の趣味だ。


「それもこれも、全部あのおっさんのせいだ。」


 攻は、先ほどリモコンを投げつけた壁を睨みつけた。

 その壁の向こう、犬山現示の隠れ家である隣の部屋からは、獣のような女の喘ぎ声が、もう3~4時間は続いている。


「うるせぇってんだよ!」


 攻は冷めやらぬ怒りを壁にぶつけようとしたが、薫の刺すような視線を感じて思い留まった。


「ったく、とんでもねぇ狂犬だぜ、あのおっさん。」


 弟のバツの悪そうな愚痴を聞き流すと、薫は昨晩の襲撃を振り返った。

 

 昨晩の襲撃は完ぺきだった…はずだった。


 日本のVIPの中でも、天皇皇后両陛下や首相並みの警備体制が敷かれた難攻不落の砦がある。

 そこにいともたやすく…はなかったが、なんとか侵入に成功したのは、この日に備えて何十・何百年前から準備を重ねた歴史の積み重ねで、もう一度やれと言われても、おいそれと出来る事ではないだろう。

 ともあれ、三人はターゲットを確保することに成功した。


 が、思わぬ誤算が重なり、(降天菊花)の在りかは分からないまま、ターゲットは命を絶たれた。


(話には聞いてたけど、犬山が血の匂いであんなに豹変するとはね。)


 人生に誤算は付き物だ、ゆえに過ぎた過ちにいつまでも捕らわれるのは愚か者のする事だ。


(そう、アイツのように。)


 薫は、未だに怒りのオーラをまき散らしている弟を、慈しむ様に眺める。


 人生で成功を手にするために大切な事は、<いかに失敗しないか>ではなく、<いかに失敗から立ち直るか>だと薫は信じている。


 失敗を恐れるのはを求めるからだ。


 そもそも、早くに両親を亡くし、幼い弟を抱えたまま、方々の親せきをたらい回しにされた蜂谷姉弟の人生に、などと呼べるものは存在しなかった。

 強いて言えば、流れ着いた先でみかど様に拾われてからの7年間がそれだろう。

 多感な時期をその中で過ごした弟は、そのにすっかり飼いならされてしまったようにも思える。


 


 目まぐるしく変化していくバランスの中で、は永遠ではない。

 むしろ、すぐに壊れる世界こそがしているのだ。


 そして、私は今回もこの壊れる世界のバランスを、乗りこなしてみせる。

 そう決意を固めると、不思議と次への希望が見えてくるものだ。

 だいたい、みかど様も犠牲はいとわないとおっしゃっていたではないか。


 それに、どうせ事が成った後には始末する人間だ。


(犬山のエサには丁度いい。)


 陰惨な考えに支配され、自分でも気づかぬうちに浮かべた微笑みは、恐ろしく妖艶でもあった。


「で、どうすんだよ?」


 怒りの感情とどうにか折り合いを付けた攻が尋ねる。


「そうね…。」


 薫はしばらく天井を見つめて思案していた。

 犬山が暴走しターゲットを食い千切っている時、窓に飛び散る血しぶきを、庭の雑木林の影から、怯えながらもじっと睨んでいた幼い子どもの姿を思い出し、再び妖艶な笑みを浮かべて答えた。


に探してもらうわ。」

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