レディオヘッド『キッドA』

 村上春樹の長編小説で私が今のところ一番好きなのは『海辺のカフカ』だが、その中で主人公の少年がレディオヘッドの『キッドA』を繰り返し聴く描写が出てくる。書かれているのはそれを「聴く」ということだけで、その音楽の内容がどうであるかということには一切触れられていないので、初めてこの小説を読んだときには私は「そういうバンドがあるのか」としか思わずにレディオヘッドを素通りした。レディオヘッドのことが気になり始めたのは、その何年もあとに『海辺のカフカ』を再読してからだ。

 買ってきたCDをプレーヤーに入れる。再生ボタンを押すと、何秒かしてエレクトリックピアノのイントロが流れ出す。その瞬間、私は深い思索の世界に連れて行かれる。「すべては正しい場所に」とトム・ヨークが英語で歌う。しかしそれは肯定的なニュアンスを伴っていない。そこには一種の皮肉がある。言葉は本来の意味を失っている。

 私は当時よく自殺することを考えていて、『キッドA』はそのBGMにぴったりだった。歌詞は調べなかったからよくわからないが、曲の雰囲気から、バンドが彼岸の音楽を志向していることは明らかに思えた。それは曲のタイトルにも表れていて、このアルバムには「完全に消えてなくなる方法」「リンボにて」という意味のタイトルの曲が収録されている(リンボというのは、カトリック教会において「天国にも地獄にも行けない異教徒が死後に行き着く」と考えられてきた場所のこと)。『海辺のカフカ』で少年は彼岸の世界に行き着くが、村上がそのことを予感させるアイテムとして『キッドA』を登場させたことは間違いないだろう。

 レディオヘッドの曲の歌詞には、なんというか、いわゆる洋楽一般と比べて、外国人である私たちにも意味が伝わって来やすいところがある。つまり、外国語で一番習得が難しいのは日常会話でよく使われる慣用的な表現だと思うのだが、レディオヘッドの曲の歌詞にはそうした表現があまり出てこなくて、ほとんど英語の教科書の例文みたいな単純な構文のセンテンスだけで成り立っている。曲を聴くだけではわからなくても、文字にした歌詞を見れば(初等的な英語教育を受けた人なら)大体の意味はわかる。しかしそれは言いたいことがダイレクトに伝わって来るということではなく、「昨日はレモンをしゃぶって目が覚めた」というような意味不明なフレーズはそこかしこにある。だがそれらのフレーズは単にシュールであるだけではなく、ちょうど村上の小説に登場するシュールな事物のように、現実の何かとしっかり呼応しているように私たちには思える。

 レディオヘッドはイギリスのロックバンドとして登場し、人気の絶頂にあった二〇〇〇年に、このようなまったくロックでないアルバムを出した。そのことは商業的自殺とも言われたが、実際には『キッドA』は結構売れた。しかしレディオヘッドにとっては、セールスのことなどどうでもよく、このような非ロックな音楽を志向することは必然だったのだろう。彼らは前作『OKコンピュータ』でロックを極限まで拡張し、このアルバムでロックの息の根を止めた。そして来たる二十一世紀の陰鬱な世界を、『キッドA』は予感させる。私たちはまだその予感を覆せずにいる。

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