5—3
*
真夜中。
いつもの任務中だというのに、気分は清々しい。腐臭を感じさせない空気が、こんなに新鮮なものだとは。
「おれさあ。あんたがいないあいだ、大変だったんだからな。ブラゴール人の班長が組んでくれたから、まあ、よかったけど。あいつって、なんとなく頼りないし」
今日はエミールのオシャベリをとがめる気にもなれない。
「ハシェドはあれで二年も砦にいる。剣の腕はたしかだ。それに、あいつはブラゴール人じゃない。れっきとしたユイラ人だ」
「へえ。どっちでもいいけどさあ。あいつって、おせっかいだよねえ。おれにさ、言うんだよ。おれに乱暴したヤツらの見舞いに行けとかさ。ほら、なんだっけ。じ……じんちゅ……」
「陣中見舞いだな」
「そう。それそれ。牢屋のなかにいるときは心細いから、食いものの一つでも持ってけば、ゆるしてくれるって。なんで、あいつらがおれを許すなの? 怒ってるのはおれなんだけど」
「おまえがおれに、あの絵のことを告げ口したからだ。ほっとけば仕返しされる」
「あっ、そうか」
「それで、おまえは行ったのか?」
「行きたかないけど、ひっぱってつれていかれたよ。あいつは、あんたとしゃべってたけどさ。おれはヤダから、皿だけ置いて、さっさと帰っちゃった」
ハシェドらしい心遣いだ。
思わず、口元がゆるむ。
エミールは目ざとく、それを認めた。
「あんたたちってさ。恋人なの? なんか、いやにあいつのこと、かばうじゃない」
「そんな仲じゃない。あいつが一番、信頼のなる部下だからだ。だいたい、小分隊長とはいえ、おまえの上官だぞ。かるがるしく、あいつなどと言うな」
「じゃあ、なんて言えばいいのさ」
「班長。あるいは、あの人、くらいだな。あのかたとなると
「なんか知らないけど、かたくるしいんだね。おれ、もう砦やめて帰ろっかな」
急に弱気になったようだが、そもそも、今までに言いださなかったほうがおかしい。
「剣もにぎれないくせに、砦に来るほうがどうかしてる。十日も生きのびたのは、たまたま運がよかったからだ。一日も早く帰ったほうがいい」
エミールは何かをねだるような目で、ワレスを見あげる。
「おれさあ。父親、さがしにきたんだよねえ」
迷い子の子猫をさがしてるんだというような口調。
「おれのオヤジって、砦の兵士なんだって。死んだ母さんが言ってた」
「傭兵か?」
残酷なようだが、傭兵ならもう生きてはいまい。生きていたとしても、とっくに砦をやめて故郷に帰っている。
「そこまでは知らないけどさ。なにしろ、二十年も前の話だろ」
「それで広間で、やたらにキョロキョロしてたのか。言っとくが、バーニング大隊長は違うと思うぞ。
「ああ。あの、カッコイイ頬ヒゲの人ね。あの人は違うと思うよ。赤毛じゃないもん。おれの髪、父親ゆずりなんだって」
赤毛で二十年前に砦にいた兵士。それなら、いくらか候補はしぼりこめる。ユイラ人はたいてい黒髪だ。ワレスのようなブロンドや、エミールの赤毛はとても珍しい。
「しかし、それだけではな。名前は?」
「母さんが教えてくれなかった。なんでもさ、その男。故郷に
「ほかに特徴はないのか? その左右色違いの目は?」
いつも、ふにゃふにゃしてるエミールが、キッとワレスをにらむ。
「これは、母さん似!」
「気にしてるのか?」
「あたりまえだよ」
「それは悪かった」
「これのせいで、どんなヒドイめにあってきたと……おれも、母さんも」
ハシェドは肌の色、エミールは両目の色で苦しんできたわけだ。砦に来るのは、そう言う苦しみをかかえた者ばかり。
「皇都あたりでは、おまえのような容姿はもてはやされるがな。赤毛も珍しいし、瞳の色が
ユイラの国名はユイラ人の信仰する神の名から来ている。
ユイラ教は多神教だ。
その主要な十二神の主神が、ユイラ。もともとは他の神々を生んだ男神と女神が、一体となった姿だという。そのため、シンボルは双頭の獅子。
さらにユイラ十二神にはシンボルカラーがある。
ユイラ神はふつう紫色だ。が、前身の男神、女神のシンボルが、赤紫と青紫なので、この二色をシンボルとする場合もある。
二色の瞳の色の違う獅子。
したがって、左右色違いの目をもつ者は、全能神の申し子としてあがめられる。
「あれって赤と青じゃなきゃいけないんじゃないの?」
「いや。オッドアイというだけでめずらしい。何色でもいいはずだ。ユイラ神のシンボル石を見たことあるか?」
「ないよ」
「おれは神殿で見たことがある。陽光のかげんによって、たえず色あいの変化する石だ。だから、瞳が何色だろうと、けっきょくはユイラの色ということになるらしい」
双心珠——それが、ユイラ神のシンボル石。
名は、ユライナ。
その名は皇都の名前でもある。国名は神から、都はそのシンボル石から。
神の石の名をもつ都も、まさにそんなふうだった。きらびやかで美しく、ちょっぴり神聖で、おごそか。息をのむほど、めまぐるしく。
双つ心の都。
あの暗い地下牢のなかで、何かが変わった。こうして皇都のことを思いだしても、以前のように心が乱れない。
(もう大丈夫だ。おれは前に進める)
それには、ハシェドの存在が関係しているかもしれないが。
「あんたって学があるんだね」と、エミールは言う。
「おれの田舎じゃ、そんなこと知ってるヤツいないからさ。おれなんて悪魔あつかいだよ。母さんは昔からの村の娘だから、それほどじゃなかったみたい。でも、年ごろになって気味悪がられると、いづらいよね。それで砦に来て、恋してさ。男のために身をひいて、おれを生んで……おれの目を見て泣いたんだって」
それはそうだろう。
一番、受け継いでほしくなかったところのはずだ。
「悪魔っ子あつかいされてた娘が砦に行って、どこの誰の子かわからない子どもを生んだ。その子がまたこんな目で。あれは悪魔の子だ。砦で魔物と契ったんだ、なんて言われてさ。気疲れで、母さんや家族はみんな死んじまう。おれは道を歩けば石をなげられる。家は焼かれて、とうに住むとこもない」
信じられない。
気楽に見えて、それほどの苦労をしていたとは。
「そんな場所へ帰れるのか?」
「わかんない。でも、ヤダな。あんたの言うように、神殿にでも行こうかな」
「でも、難しい勉強をさせられるぞ」
「えっ?」
本気でイヤそうなエミールの顔を見て、初めて少し可愛いと思った。
「まず神聖語は絶対だ。巫子のたぐいは神と対話するものだからな。神聖語には、第一、第二、第三とある。第三種くらいなら、かんたんだ。が、第一種となると、なかなか」
「うわあ。やめてよ。頭が痛くなる」
耳を押さえるエミールを見て、ワレスは笑った。
「女のヒモでよければ、人を紹介してやる。おれがいなくなって退屈だとなげいてるからな。ちょうどいいヒマつぶしだと、歓迎してくれるだろう」
「美人なの?」
「もちろん」
「おれ、そっちのほうがいいな」
「じゃあ、仲介料だ」
歩みを止めて、エミールの小さな頭をひきよせる。
エミールは形だけ抵抗した。
「仕事中にこんなことしちゃ、いけないんじゃなかったの?」
「では、あとで。部屋に帰ってから。いやか?」
「いやじゃないけど。あんな十人部屋で、恥ずかしいよ。みんな、聞き耳たてるに決まってる」
「それなら、となりの部屋のベッドを借りよう」
二班ずつに分かれての任務なので、今の時間、ワレスたちの部屋はあいている。同様に、ワレスたちが交代で帰って二刻は、となりの部屋が無人になる。
どうせ、ワレスのベッドも、ワレスがいないあいだ、そんな使われかたをされてるはずだ。
「いいよ。じゃあ、あとで」
約束のキスをして、ワレスは苦笑した。
「よろいカブトだと、おまえでさえ武骨に見えるな」
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