5—4

 *



 その夜は何事もなく交代した。

 ワレスは自分の隊の一、二班が全員、宿舎に帰っていくのを見届けた。


 ワレスのあとを、ハシェドがついてくる。


「今夜は出ませんでしたね。隊長がいないあいだに一度、失踪事件がありました。だから、獣も腹がふくれてるのかもしれません。どうも、四、五日の周期で起こってる気がします」


 というハシェドに、ワレスは言いはなつ。


「悪いが、さきに帰ってくれ」

「はい。あの……?」

「所用があるんだ」


 わざとらしく、エミールを抱きよせる。


 廊下は松明の明かりでほのかに明るい。その薄明かりでも、ハシェドが傷ついたような顔をしたのが見てとれた。


「す、すいません!」


 ハシェドはあわてて走っていく。

 一瞬、胸が痛んだ。


(ハシェド……)


 でも、これでいい。

 おまえのことは愛さない。

 今なら、まだ抑えられる。


 ハシェドの走りさる姿が闇にまぎれるまで見送った。


 そのときは何も言わなかったくせに、肌をあわせたあとになって、エミールは勘の鋭い女みたいな口調で言った。


「ほんとは、やっぱり好きなんだね」

「何が?」


 ワレスは欲望のあとの倦怠感に身をまかせていた。体は満ちたりたが、虚しいのはなぜだろう。


「好きなんだろ? 班長のこと」


 となりの部屋に、ハシェドがいる。


 ハシェドはもう眠っただろうか。

 それとも、ワレスのことを気にしてるだろうか。少しでも気にして、眠れないで待っていてくれるだろうか。

 彼の褐色の肌はあたたかいだろうか?


 ワレスは嘆息した。

「そうみたいだな」


 ジェイムズを忘れると決めて、ほんの数日だ。

 今なら、まだギリギリ抑えられると思ったのに……。


(でも、そうだな。おまえといるようになって、もう三ヶ月だ。日々のふれあいのなかで、いつのまにか、おまえが大切になっていたのか)


 孤立無援のなかで、ハシェドの存在がいかに大きいか、今さら思い知らされる。

 いや、むしろ、ハシェドがいたからこそ、ジェイムズを忘れる決心がついたのかもしれない。


 あたたかなキノロン水を渡すために、寝ずに待ってくれていたこと。


 井戸に落ちたワレスを助けるために、必死になってくれたこと。


 部下にバカにされて落ちこむワレスをはげましてくれたこと。


 生きることに疲れて、何もかもから逃げて、心を閉ざしたワレスに、毎日、声をかけ、微笑みをくれたこと。


 枯れかけた花に水をかけ、いたわりの言葉をなげかけるように、ハシェドはワレスを元気づけてくれた。


(いつだって、そうだ。おれは……大切なものに気づくのが遅すぎる)


 失って初めて、どれほど深く愛していたかを知った、ルーシサス。


 ルーシサスを殺してしまったときに、ワレスは二度と人を愛さないと決めた。何年もルーシサスの死体を心に抱き、死んだように暮らしていた。


 やけになって自己破壊に走ったが、ワレスは死ねなかった。


 自堕落になって、ジゴロに身を堕とし、そして、ジェイムズと再会した。学生時代、ルーシサスの親友だったジェイムズと。


 ジェイムズの献身によって、ようやく少し、ルーシサスを失った痛みから立ち直ることができた。


 今、ジェイムズを失って、今度こそ誰も愛さないと言いながら、ハシェドを愛してしまっている。


 どうして、もっと早く、ハシェドを遠ざけておかなかったのだろう。ぬきさしならなくなる前に。


(おれはけっきょく、自分で思ってるより、ずっと愛されたがりなんだ)


 それを認めるのは怖かった。認めれば、苦しい運命と戦わなければならないことをも認めることになる。

 愛する人が死んでいく運命に、まっこうから立ち向かうしかないことを。

 生きていくかぎり、苦しい恋をしなければならないと。


「おまえを抱けば、気が変わるかと思ったが……」


 そんなことでは、ごまかしようがないらしい。


「好きなのは班長で、抱くのはおれなわけ? あんたって、変」

「そのおかげで、おまえは美人の金持ちを紹介してもらえる。おれは欲望が満たされる。悪くない取り引きだろう?」


 部屋のなかには、ロウソクの明かりがひとつ。ベッドにならぶ二人の影をゆらしている。


 鎧をとったエミールは、ほんとに弱々しい。少年というより、少女のようだ。


「おれはね。あんたが好きなんだよ。隊長。ぶたれたとき、嬉しかった」

「ぶたれて嬉しがるとは、おかしな趣味だな」


「だって、石をなげられたり、棒で殴られたことはあるよ。でも、自分の手でぶつと、あんたも痛いよ。この人はおれのこと、ちゃんと人間あつかいしてくれてるんだって……嬉しかった」


 ユイラ人は概して優美な体つきで、体毛も少ない。いくつになっても、陶器でできた人形のような妖しさで、外国人にはたまらない魅力のようだ。


 ワレスでさえ、他国人には二十歳はたちすぎに見えるだろう。

 ましてや、エミールは正真正銘、青春の色香のさなかにある。


 この可愛いエミールをふって、おれが愛したのはハシェド。

 ユイラでは異端的な、半分ブラゴール人のハシェドを求めてる。

 おれも、そうとうな変人だ。


 そう思うと、なんだか笑いたくなった。


「隊長なら誰でもすることだ。そんなことで人を好きになるな」

「でも、嬉しかったんだ」


 エミールがワレスの胸に乗ってきた。


「ねえ。もう一回、愛してよ」

「そのかわり、約束してくれ。ハシェドには言うな。おれも、やつには告げない」


 エミールは笑った。

 泣き笑いみたいに見えた。


「あんたって、ほんと、変わってる」

「気があうな。おれもそう思ってたところだ」


 ワレスはエミールの細い体を抱きしめた。 

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