5—2
「はなせよ!」
「右か、左か。どっちだ?」
「右——いや、左。左だ」
「正直に答えたほうが身のためだぞ。左だな?」
ワレスは右の手をひねりあげる。
絵描きはますます青くなる。
「やめてくれ! 右手はおれの命なんだ!」
「では、左だ」
左の腕に持ちかえて、ワレスは勢いよく、へし折った。竹の割れるような音がして、絵描きがものすごい声をあげる。
「次は右手だぞ。わかってるな?」
こくこくと、絵描きはうなずく。
ロンドがなんとなく嬉しそうに、いそいそとやってきて、脂汗をかいてる絵描きをのぞきこむ。
「おやまあ。上手に折ってありますね。なれてるのかな? 添え木と痛み止めを持ってきましょう」
「よりによって、おれの部下にあんな絵を描くからだ——帰るぞ。ハシェド」
冷淡に言いすて、立ち去ろうとした。
その途中で、ふと、ワレスは思いだす。まだ、うずくまっている絵描きをふりかえる。
「きさま。皇都を追放された、ジョルジュだな」
画家は痛みをこらえて皮肉に笑った。
「知ってたのか」
「貴婦人の春画を描いて追放されたろう? おまえの描いた伯爵夫人は当時、おれの愛人だった。おまえが夫人の内もものホクロまで描いたもんだから、伯爵に浮気がバレそうになった。おかげで、おれと別れなければならなくなって、夫人は今でもたいそう、おまえを恨んでいる」
「くそッ。ほんとにあんなとこにホクロがあるのか。知ってりゃ描かなかったのに。こっちは、そのせいでとっつかまって、砦くんだりまで出稼ぎしなけりゃならなくなった」
「自業自得だ」
「くそッ。伯爵にあんたが夫人の愛人だったとバラしてやる」
「残念ながら、伯爵はおまえが愛人だと思いこんでる。のこのこ出ていけば、今度こそ殺されるな」
「あああ、くそォッ!」
無念げなジョルジュを見て、ワレスはおかしくなった。
「おまえもつくづくバカなヤツだな。皇都を追放されただけでは、まだこりないのか」
「そういう、あんただって、なんで皇都を出てきたんだ? こんなとこで、あんたを見ておどろいたけど、なつかしかった。あんたは、おれのことなんか気にかけてなかっただろうが。あんたはジゴロのなかじゃ、断然、目立ってた。おれの知ってる一等の男前だ。貴公子みたいでカッコよかったよ」
ハシェドが目をみはっている。視線が痛い。
ワレスは断言した。
「おれは今の砦の暮らしのほうが性にあってる。うかつにジャマするな。ここでは死体など、めずらしくないからな。おまえの死体が前庭にころがっていても、誰も怪しまないぞ」
「わかった。もうしない。綺麗な顔して、こんな危ないヤツだとわかってたら、あんなもの描かなかったんだ」
ジョルジュと別れて廊下に出た。
「今の話は忘れろ」と、ハシェドに申しわたす。が、
「なぜですか?」
心外そうに言いかえされてしまった。
ワレスはムッとする。
「イヤだからに決まってる」
「なんで? おれは羨ましいですよ」
「ああ……」
こいつは、おれの容姿にあこがれてるんだった……。
ハシェドの異国の王子のようなよこ顔をながめる。
「おれは、おまえのほうが羨ましい」
「では、交換しましょうか」
「そうだな」
誰もいないはずだ。
ワレスと同じ人生を生きたい者など。
ハシェドだって、知らないからこそ言えるのだ。
でも、そう言われて、ホッとした。
もしかしたら、ハシェドも同じ気持ちを、そのとき、抱いたのかもしれない。
(いいやつだな。おまえ)
ハシェドの明るいブラウンの瞳をのぞきこみ、ワレスは急に思った。
肌をかさねたいと。
ハシェドの肉厚であたたかそうな唇に、くちづけたいと。
そう思って、自分で戸惑う。
(嘘だろう? まだ、こいつのこと、よく知りもしない。落ちこんでるとき、ちょっと優しくされたからって。それはないだろう……)
また、ジェイムズの二の舞をする気か?
抑えようと思うが、そうすればするほど、急激に想いがふくらんでいくのを感じる。
ハシェドを愛してはいけない。
愛せば、不幸になる。
それでも、愛してしまいそうな予感がある。
いけないのは、この砦の空気だ。
あまりにさみしくて、人恋しくなる。
ならんで歩くと、ハシェドの体温を痛いほど感じる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます