五章

5—1



 三日間の穴ごもりは、かなりの猛者でも気が滅入る。


 暗いのは我慢できる。

 等間隔に置かれた松明の数は少ないが、なれれば、それでも明るく感じる。


 我慢できないのは腐臭だ。

 始めはさほどに感じない。

 だが、だんだん鼻につき、しまいに身辺にまとわりついて離れないような気がしてくる。


 死に敏感になってしまう。

 沈黙を強制するかのような、圧倒的な静寂も。

 ふだんは考えまいとしている自己の死を見つめさせる。


 発狂する者もいるという。

 それも、うなずける。


 ワレス自身は魔物を飼ってるなどというウワサは信じてない。兵士を怖がらせるための流言だろうと思っている。


 それでもこたえた。

 とにかく音と光をうばわれたなかでの死の臭い……これは、きつい。

 一日を何十倍もの長さに感じた。


 丸三日たって、ギデオン小隊長が迎えにきたときには、心底、ホッとした。まるで何ヶ月も地下にいたような気分だ。


「少しは反省したか?」と、小隊長は言う。


 いつもはあんなにわずらわしいのに、鉄格子の前に立つギデオンがなつかしくさえ感じられた。


 牢番によって鍵があけられる。

 せまいくぐり戸を出ていくと——


「やつれた顔も色っぽいな。いいかげん、おれのものになってはどうだ?」


 背後から、ギデオンに抱きすくめられる。


 たぶん、ワレスでなければ、この瞬間に堕ちただろう。ワレスほど並外れて気位の高い人間でなければ。


 ワレスでさえ、一瞬、もういいか——と思った。が、


「……離していただこう」

 気力をふるいおこす。


 ギデオンは少しあきれているようだ。


「まだ気が変わらないのか」

「あんたのものになるくらいなら、死神と交わるほうがマシだ」

「いいだろう。しかし、おれは嫌がられれば嫌がられるほど、どうしても欲しくなる性分なんだ。いつか必ず、ものにする」


 だから、それまで死ぬな——と、ささやき声が聞こえた気がした。


 いや、気のせいだ。

 そうしておくほうが、ワレス自身のため。下心のある優しさでも、今は胸に迫る。


 途中でブランディたちも牢を出された。


 地下から出ると、ギデオンが言った。


「本日より前庭の厳戒態勢がとかれる。おまえたちも平常の任務にもどれ」

「警戒がとかれた。ということは、前庭の事件が解決したのですか?」

「そうではない。これ以上、傭兵を酷使しては、かえって任務に支障をきたすからだ。コリガン中隊長の進言でな。おまえたち以外にもケンカをするヤツらがあとをたたない。森焼きの最中にするほど愚かではないにしてもだ」


 この男はどうしてこう、ひとこと多いのだろう。おかげで、さっきの好感度はそのまま帳消しになった。


 ワレスのほうも、いつもの調子がもどってくる。明るい陽光の力というのは、そう考えるとすさまじい。


「では以前どおり、二班にわかれ、交代で警備いたします。小隊長にはご迷惑をかけ、まことに申しわけありませんでした」


 心にもないことを——という顔をギデオンがする。さすがにそれを口に出しはしないが。


「任務時間まで休むがいい」

 それぞれに剣を返し、ギデオンは去っていった。


 すると、ブランディが仏頂面で言った。

「分隊長。いちおう、あやまっとくぜ。けどな。おれたちゃ、お高くすましたアンタが好きになれねえんだ。そいつを忘れんな」

 言うだけ言って、これも去る。


 柱のかげから、ハシェドが現れた。ブランディのうしろ姿を見て、ため息をつく。


「ブランディも悪いヤツじゃないんですがねえ。たしかに、ちょっと気は荒いですが。盗みグセがあるわけじゃなし。もっとタチの悪いのはいくらでもいるんですが。どうも、隊長には素直になれないみたいで」


 しかし、ワレスはもはや、ブランディのことなんてどうでもいい。歩きだすと、あわてて、ハシェドが追ってきた。


「待ってください。どこへ行くんですか。まさか、文書室ですか?」

「そうだ」


 もう夕刻だがあの絵描きはいるだろうか。

 三階の文書室にかけこむと、男はいた。すでに商売道具を片づけにかかっている。


 急速に日が傾きかけていた。窓の外が赤い。


 顔見知りの司書のロンドが、どこからともなくすりよってくる。

 それをはらいのけ、ワレスはまっすぐ絵描きに近づいた。


「絵なら、しまいだよ。また明日」


 無言で彼の前に立つワレスを客だと思ったようだ。言ってから顔をあげ、ワレスを認めて黙りこむ。

 ワレスの用事の察しがついたらしい。逃げ場をさがすように、目がキョロキョロ泳ぐ。だめだと思ったのか、急に愛想笑いをうかべた。


「や、やあ。あんたか。二枚めの顔にアザなんか作って、どうしたんだ?」

「最初に聞いておく。利き腕はどっちだ?」

「な……何を——」


 絵描きが青くなる。

 ワレスが腕をつかむと、悲鳴をあげた。

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