2—4
*
夕焼けの紅が薄闇にかわる。
やがて、濃密な夜がやってくる。
ワレスたちの仕事は、そのころ始まる。
砦の東に広がるのは、誰一人として、その奥に到達したことのない暗黒の森。
いったい、どれだけ広いのか、その奥がどうなってるのか。誰も知らない。
わかるのは、そこが人間にとっては地獄だということ。
猛毒を持つ虫。
人を狂わせる花。
強酸を放つ木。
凶暴な大型獣。
何より恐ろしいのは、低脳な獣とはあきらかに異なる、異様な生き物。魔族である。
やつらは人間をあやつり、あるいは食物にし、人とは対立する価値観のもとに行動する。
ユイラ
やつらが我が物顔に国じゅうを横行していたころは、世界はもっと混沌としていた。
やつらに対抗するため、人間は魔術に力を求めた。三つの子どもでも魔術をもちいたと言われる魔術全盛時代。
その時代の
魔神と呼ばれるほどの強大な魔族は、神々との戦いにより封印されたという。
それは伝説だ。
ただし、すべての魔物が滅びたわけではない。国を追われた残りの魔物は、ユイラの国境をこえ、人の手の入っていない東の原生林のなかで生き続けている。
ワレスたち砦の兵士が守っているのは、その魔族の森との境界線だ。
砦の二重の塀と水堀をこえて、やつらが侵入してきたときには、身を盾にして戦わなければならない。
——そういうことを、昼のあいだじゅう、ワレスはエミールに話してきかせた。
だが、この新米の命知らずは、どうも、いまひとつ理解してない。
「ねえ、隊長」
昼間、あれほど人でにぎわった前庭。
夜になれば、ほぼ無人だ。
ワレスたちが見まわるのは、この前庭のごく一部だ。大部分が石畳の前庭のなかで、土がむきだしになった東端のあたりだ。
闇の六刻。
大部分の兵士がもっとも深い眠りにつく真夜中。
ワレスはエミールと二人で、ザマ林のなかを歩いていた。夕刻から真夜中にかけての見張りをする第四分隊と、さきほど交代したところだ。
前庭には、衛兵のもつ
「ねえ、隊長。聞いてるの?」
さっきから何度、注意したことか。
黙れと言って、しばらくはおとなしくしてるのだが。ものの数分もすると、エミールは話しかけてくる。
「ねえ、隊長。あんた、いくつ?」
闇六刻から、明の一刻まで、五刻のあいだ、前庭の見まわりをするのが、ワレスの分隊の仕事だ。
じっさいには、一、二班と、三、四班の二班ごとに、二刻半ずつ交代で見張る。
分隊長のワレスは一班。さきに見まわりするほうだ。
行動の基本は二人組み。
定位置にいる他の四組み、八人のあいだを巡回していく。
ちゃんと隊長が見張ってないと、さぼり好きな傭兵は、持ち場をはなれて
「ねえ、隊長」
エミールに腕をひっぱられて、ワレスはふりはらった。
「腕をつかむな。もしものとき、剣をぬけなかったら、どうする。もうひとつ、巡回中は、人の年より自分の命の心配をしろ。話していると、不審な音を聞きのがす。私語は禁じる」
「だって、昼間はずっと剣、にぎらされてさ。ろくに話もできなかったし。ねえ、それじゃあさあ。あんたはここに来て何年になるの?」
「まだ三ヶ月だ」
「へえ。隊長してるから、もっと長いのかと思った。じゃあ、ほかにもっと長くいるのは? 二十年とかさ」
「そんなに長く勤めている者は傭兵にはいないだろう。正規兵の将官クラスなら、城主が代わっても、そのまま残っている者がいるかもしれないが」
砦の城主は
今のボイクド城の城主は、コーマ伯爵という。ワレスが砦に来るちょっと前に入城したばかりの新任城主だ。
「そういう人にはどうやったら会えるんだろう?」
「会って、どうする」
「別に」
「我々のような下っぱが将官に会う機会はない。ひじょうな手柄でもあげれば別だが」
「ふうん……」
なんだかガッカリした顔で、やっとエミールは静かになった。
が、じきにまた、
「あのさあ。じゃあ」と、話しだしたので、ワレスはエミールの頬をかるくぶった。
「三度以上、同じ注意をさせるな。おれは巡回ちゅうは私語を禁じると言ったぞ」
エミールはビックリしたように、ワレスを見つめている。
「痛い……」
「あたりまえだ。痛むようにしたんだ」
「おれ、ぶたれたの……初めて」
エミールの色違いの両目から涙がこぼれる。
ワレスはあきれるのを通りこして、胸くそが悪くなった。
初めてぶたれたといって、子どものように泣くエミール。世間知らずにもほどがある。
「行くぞ」
ワレスが背をむけると、エミールはおとなしくついてきた。
用水路わきのふみかためられた通路。
やせほそった死人の指のように、暗い空をさす木々。
そのあいだを、足音をひそめて歩く。
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