2—3


 ワレスが、その運命を自覚したのは、いくつのときだったろう。


 父の暴力と貧困の暗い生活のなかで、ゆいいつ、心の糧であった妹レイディ。

 あのころ、妹のためだけに生きていたといっていいほど愛していた。

 レイディはたった三つで死んだ。


 家出して、初めて出会った仲間、シルディード。

 ワレスと同じ心の闇をかかえていた。闇の噴出を抑えられず、まもなく死んだ。


 ワレスをほんとの息子のように愛してくれたダディーも。


 それから、この人だけが主君と幼心に決意したハイリー。彼はワレスに剣を教えてくれた。

 だが、生まれつきの持病で、帰らぬ人となった。


 皇都へ向かう船のなかで出会った少女。わずか一旬ほどの短い恋だった。

 こわれかけた心臓を抱えた少女は、霧雨のなか、甲板でワレスを待ち、あっけなくあの世へ旅立った。


 あのとき、ワレスは八つ。

 運命を思い知るには充分だった。


 あれ以来、神への信仰はすてた。天を呪い、人を呪いながら生きてきた。


 それでも、ワレスのまわりでは、その後も何人も愛する人が死んでいった。

 ワレスの愛が深ければ深いほど。呪いのように、その人たちは死んでいく。


 これは定めなのだ。

 さけようとしても、さけられない。


 もし、おれが砦ではなく、ブラゴールまでジェイムズを追っていったら、どうなっていたろうと考える。


 ジェイムズ。悪かったよ。

 ただの友達でいいから、おれのそばにいてくれ。もう二度とあんなことはしないから。


 そう言って謝罪すれば、きっと、ジェイムズはゆるしてくれただろう。でも、そのかわり、彼が死んでいたんじゃないだろうか。それが怖くて、あとを追えなかった。


(まったく、とことん、とんまな話さ。あれだけ貴婦人の相手をしていながら、心をうばわれたのは同性の友人なんだから)


 ジェイムズのことは、もう忘れるしかない。彼を殺さないためには、それしかない。


 そうだ。だから、砦に来たんだ。砦なら、もう誰も愛さなくてすむから。


 でも、ここも、おれのいるべき場所じゃないのか……?


 冬でもあたたかな皇都が、むしょうになつかしい。

 あそこには二度と帰れないけど。

 少なくとも、ジェイムズへの思いが過去のものになるまでは。


「……長。ワレス隊長」


 呼ばれていることに、しばらく気づかなかった。


「ああ……ハシェドか」

「きれいなえりまきですね。贈りものですか?」

「ああ」

「いつものかたですね。隊長の恋人なんでしょう?」


 説明が面倒なので、ワレスはうなずいた。


「まあ、そうだな」

「そのかたに会いたいのですか?」

「なぜ?」

「だって、今日の隊長、変ですよ」


 ふりかえると、ハシェドが心配げな顔で見ている。


「そんなふうなときに死んでしまったやつを、おれは何人も見ていますから」


 ワレスは砂糖菓子のビンをハシェドの手に押しつけた。


「おれは帰る。見たければ、一人で歩くがいい」

「隊長!」


 ハシェドの声をふりきって、ワレスは逃げるようにその場を去った。


 おれは自分で思ってる以上に、つらいんだろうか。

 もう限界なんだろうか。

 ここにはいられないのか。

 毎日の緊張に耐えきれなくて、心が少しずつマヒしてるんだろうか。季節を感じることもできないぐらい。


 でも、行き場がない。

 おれには帰る家がない。

 おれは、どうしたらいいんだろう。


 ぼんやりしていた。


「ワレス分隊長じゃねえか」


 呼びとめられたが、今度はハシェドじゃない。ワレスの分隊の部下、ブランディとホルズが、人ごみのなかから首をだしてる。二人がいるのは、さっき人だかりがしていた店だ。


 ワレスは無視しようとした。が、エミールのことがあるので思いなおした。


「話がある。こっちに来い」


 ブランディたちは顔を見あわせるだけで、近づいてこようとしない。

 彼らは各地で傭兵をしながら転々として、最終的に砦にやってきただ。気の荒いことで有名な六海州の男でもある。若くて新参者のワレスを、完全になめきってる。


 しかたなく、ワレスは自分から二人に近づいた。人ごみをかきわけて輪のなかに入る。


 散乱した絵の具。

 紙に描かれた女の裸が目に入る。

 なんのことはない。

 わいせつ画を売っているのだ。


 人にかこまれた中央に絵描きの男がすわっている。客の注文を聞きながら、絵を描いていた。まだ若い。手入れの行きとどかない伸ばしっぱなしの黒髪。青い瞳。


 そのよこ顔を見て、ワレスは、おや、と思った。どこかで見たことがある。


 が——


「なあ、あんたも男なら、こいつが好きなんだろ? 優男の隊長さんよ」


 ブランディがワレスの肩に手をかけてくる。


「そう、おつにすますなよ。それとも何かい? あんた、女に興味ないのか?」


 ブランディは酔ってるようだ。酒くさい息が間近で吐きかけられる。


「さわるな」

「まあ、そう言うなよ。同じ部屋で寝る仲じゃないか。たまには愛想のひとつも見せてくれよ」


 酔って、女の裸を見て、変な気になってるらしい。酒くさいおもてを、どんどんワレスに近づけてくる。


「あんた、女みたいだよな。この白い肌。女に興味ないんなら、いっちょ可愛がってやるぜ。なあ?」


 その場にいる全員の目が、ワレスに集まっている。絵描きも、絵描きをかこむ客たちも。


 ワレスは不快になって、ブランディの腕をはらいのけた。


「それ以上、侮辱すると、罰をあたえる。今日から、ブランディ。きさまは二班だ。ホライの代わりにケルンと組んで見まわりだ」

「みさおがかたいんだねぇ。隊長さんよ。わかった。わかった。承知しましたよ」


 下品な笑い声をあげるブランディをにらんで、ワレスは去った。


 自分が人に好かれない性質なのは、よくわかっている。

 しかし、気に入らない。何もかもが腹立たしい。


(おれは、こんなところで何をしてるんだろう)


 そんな気分は夜まで続いた。

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