二章
2—1
いつものことだが、前庭はすごい人出だ。兵士にとって、買い物ができるのはこのとききり。ワレスのように手紙を送る者も多い。何千人という人で、ごったがえしている。
この場所が、夜には巡回する兵士の靴音だけが響く、閑散とした空間になるのだ。
「まるで祭だな」
ワレスは人混みが嫌いだ。
つぶやくと、露店にならぶ服を見ていたハシェドがふりかえった。
「何か?」
「おまえの服の趣味は悪い、と言ったんだ」
「そりゃないですよ」
両手に一つずつ持って、どっちにしようか迷っていたハシェドは、なさけない顔をして両方返した。
「そりゃ、おれだって、隊長みたいな美男なら、派手な服も着てみますが。おれが着飾っても道化ですからね」
ハシェドはユイラ人とブラゴール人の混血だ。だから、こんがりショコラ色の肌と、肉厚の唇、ユイラ人にはない甘い目元をしている。
ブラゴール人だと思ってみれば、彫りの深いエキゾチックなハンサムだ。だが、たいていのユイラ人の好みからは外れている。
目立つ服を着て注目されたくないのは、自分の容姿に対するハシェドの劣等感の表れだろう。
「おれは、おまえの造作は嫌いではない」
「みんながそう思ってくれるわけじゃないですから。おれが隊長ほど白い肌だったら、ここには来てないです」
ユイラ人独特の真っ白な陶器のような肌。
このうえなく整った優美なおもざし。
男でもほっそりして、動く神の像のような、とも言われるユイラ人。
ワレスは、そのユイラ人の特徴を、すべてかねそなえている。ハシェドには憧れなのかもしれない。
(だが、そのかわり、おまえには、おまえを愛してくれる家族がいる。おれが願っても、決して手に入らないものだ……)
人にはそれぞれの業があるのだ。
「ほかに用がなければ、手紙を送って帰るぞ」
ハシェドが苦笑した。
「隊長は混雑がお嫌いですね」
「もちろん、嫌いだ。好んで人なかにまぎれる、おまえの気が知れない」
「残念。二十日に一度なのに」
「歩きたければ一人で歩け。おれはあの足手まといに剣を教えてやらなければ」
「エミールですか。あいつもつれてきてやれば、よかったかな。でも、金もなさそうだったし。かえって悪いと思って誘わなかったんですが。あいつ、荷物もほとんど持ってませんでしたよ」
そういえば、ほぼ手ぶらだった。
「しかたない。当座のものは、おれがゆずってやろう」
「前から思ってたんですが。ワレス隊長はお金に
そうではない。
ワレスに必要なのは大金だ。
それは、ほかのあらゆることに対して言える。富も。地位も。たぶん、愛も。
少しではたりない。
たくさん、たくさん、欲しいのだ。
ワレスの心のなかはカラッポで、この空虚を埋めるには、ほんとにたくさんのものがいる。
(おれが家をとびだしたとき、手に持ってたのは、親父のふところから盗んだ肖像と、さびついたナイフだけ。生きてくためには、あらゆることをしなければならなかった。あらゆることを。物乞いもした。盗みもした。靴をなめろと言われれば、そのとおりにした)
いったい、おれに、あと何が残っている?
「おれには養ってやる家族がいないからだ。おまえと違って」
「隊長の口から、そんなことを聞くのは初めてです」
そう。今日はまったく、どうかしている。言わなくてもいいことを言った。
(ジェイムズのことで、こりてるじゃないか。友情なんて他愛ないもの。すがって、たよるほどに
ワレスが小分隊長に取り立ててやったから、ひっついてくるだけだ。
そういえば、ハシェドは人なつこいところが、ジェイムズに似ている。だから、ついウッカリ心をゆるしてしまうのかもしれない。
ハシェドとのあいだには、まだ友情と呼べるほどのものもないのに。
必要以上に弱みを見せないよう、気をつけなければいけない。
皇都での友情の苦い結末を、ワレスは胸の内でかみしめた。
「あ、あそこ。すごい人だかりですね。ちょっと、のぞいてみましょう」
じかに石畳に品物を置いた靴屋。
砦ではめずらしい果物やジャムの店。
死んだときに、すぐに自分の遺骸だとわかるように、タトゥをしてくれる店。
どこも人でいっぱいだ。
なかでも、いやに人の集まっている店がある。人だかりがすごくて、なんの店だかわからない。
「おれは先に行くぞ」
ハシェドは聞いていないようだ。嬉しそうに人混みへ入っていく。
ワレスは一人、文使いのところへ向かった。
文書送りは軍の仕事である。
魔物の群れから命がけで国内を守る兵士にとって、自分の稼ぎを家族に送り届けることは、とても重要だ。
そのため、給料は現金か換金券か、好きなほうで受けとれる。換金券の場合は、軍が指定の相手に送ってくれる。正規兵はもちろん、傭兵でもだ。
換金券には偽造や不正受けとりのできない、さまざまな工夫がある。
ワレスには家族がいないので、受けとりを女友だちのジョスリーヌに任せていた。なにしろ、彼女はうなるほどの金を持ってる女侯爵なので。ワレスの稼ぎなど、スズメの涙だ。着服される恐れはこれっぽっちもない。
商人たちの出す店の中央あたりに、輸送隊の文書係がいる。作業が手慣れてるので、ここには行列はできていない。
ワレスが換金券を送る手続きをすますと、顔なじみの文使い、リッドがよってきた。換金券以外の手紙は軍では送ってくれない。それ以外は個人の文使いに、賃金を渡して送ってもらうのだ。リッドは皇都方面がナワバリの文使いだ。
「やあ。ワレス分隊長。あんたにいつもの人から贈りものだよ」
ジョスリーヌからの手紙と、ちょっとした品物だ。
ワレスはうんざりする。
「また砂糖菓子か」
「なかみは知らないよ」
「おれが甘いものは苦手と知っていて、嫌味だな」
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