6—4



 どこかの岸に激しく打ちつけられる。

 目の前に女が立っている。

 白銀の髪のリリアが。


「あなたはもう疲れてるはずよ。一人で生きていくことに」


 ワレスはむせた。たらふく飲んだ水を、せいいっぱい吐きだした。


「ああ。そうなんだろうな。きっと。だが、それでも、おれは一人で生きていかなければならないんだ!」


 切りつけると手ごたえがあった。女の体がゆらいで、くずれる。


「おまえの恋は終わったんだ」


 それは、ワレス自身に言いきかせた言葉だったのかもしれない。


 あのとき、ワレスがティアラに心ない言葉をあびせたのは、彼女の瞳があまりにも澄んでいたからだ。

 この人をおれの運命の道づれにするわけにはいかない。

 そう思ったから。


「リリア。おまえは二百年で五十人の男を取り殺した魔女だ。でも、おれだって、けっこうな数を殺してきた。わかるか? おれが愛した人は死んでしまうんだ。ぐうぜんなんかじゃない。たった二十年やそこらで、十人以上の人間が死ぬか? おれには死神が取り憑いてるんだよ」


 だから、もう二度と、この封印の扉はひらかない。


 自分の言葉で追いつめて、最愛の人を死なせてしまったとき。ワレスは決心した。

 もう誰も愛さない。

 自分の運命の生贄いけにえにした人たちの死体だけを抱いて、生きていこうと。


 でも、それでも、ティアラはみずからの命を絶とうとした。ワレスの拒絶の言葉など、ものともせずに。まっすぐに、ワレスの心にとびこんできた。


(おれだって。好きだった。ティアラ。おまえのこと)


 人づてに聞いた話では、ティアラは一命をとりとめたそうだ。


 あのあと、一度だけヴィクトリア邸に行ってみたことがある。外から屋敷をながめるだけで、なかへは入らなかった。


 それで充分だった。

 ティアラの命が助かったのは、たぶん、寸前でワレスが思いとどまったからだ。ティアラと生きる道を、ワレスが放棄したから、死神がゆるしてくれたのだと思う。


 そして、ワレスはジゴロでいることに嫌気がさして、砦に来た。

 今、足もとに別の女が倒れている。

 リリアのむくろは、またたくまに白い骨となり、ちりとなって消えた。


(リリア。哀れな女……)


 二百年前。リリアは恋人を魔物に殺され、井戸に身をなげた。もうじき二人で故郷へ帰り、祝言をあげるところだったとか。


 死んでも死にきれず、幽鬼となって、恋人をさがしていたのだろうか。

 それとも、一人ではさみしかったから?

 同じさみしい心を抱いた男を、水底へ呼んだのだろうか?


 ワレスが打ちあげられた小さな泉のほとりには、リリアに呼ばれた男たちの骨がころがっていた。


(早く砦に帰らなければ。おれもこの骨の仲間入りだ)


 幸い、夜明けが近い。

 明るくなると、ワレスは砦をめざした。魔性の森のなかでも、きわめて砦に近い場所だ。ワレスたちが焼きにくるあたりの目と鼻のさき。


 ひたすら、砦の旗をめざしていった。

 ようやく帰ると、砦たいへんなさわぎだった。

 ワレスがリリアに井戸にひきこまれるところを、ハシェドが見ていた。それで、夜明けを待って井戸さらいが始まっていたのだ。


「隊長! 生きてたんですね! おどろかせないでください。昨日の文書室で、ようすが変だとは思ったけど。まさか、井戸に身投げされるとは……」


 ハシェドにはリリアの姿が見えなかったのだ。ワレスが自分でとびこんだように見えた。


 ワレスは城主の伯爵の前で、報告をさせられた。


「では、女の亡霊にあやつられていたと申すのだな?」

「御意」


 城主はワレスの言葉の真偽を正すため、焼けあと近くの泉に一隊を送った。それにより、泉のほとりで多くの人骨が回収された。


 井戸は底で地下水流とつながっていることが確認された。危険をふせぐため、巨大な石の格子が井戸に沈められた。


 功績をみとめられ、ワレスは分隊長に昇格した。


「それにしても、女の霊はなぜ、隊長に目をつけたのでしょう?」と、ハシェドは不思議でならないようだ。

 ワレスには心当たりがないでもないが。


(あるいは、リリアがおれを呼んだのではないのかもしれない。呼んだのは、おれのほう)


 暗い水の底に、一人でさみしいと言う。


 おれの心がつぶやく。

 さみしい、さみしいと。


(ばかな……)


 その思いを、ワレスはふりきった。

 どうであろうと、ワレスは一人で生きていかなければならない。封印の扉に眠る、多くの記憶をかかえて。


 今日も砦の一日が始まる。

 油断は禁物だ。

 気をひきしめて、生きていかねば。


 井戸のほとりで、ワレスは遠くの空を見あげた。




 了

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