6—3

 *



 ——わたしは命がけで、あなたを愛したわ。



 耳もとで女の声がする。


(わからない。なぜ、おまえは、あんなことをしたんだ。ティアラ。おれはジゴロだった。おまえはだまされてたことに憤慨ふんがいして、おれを恨むのがあたりまえじゃないか。命をかけるほどの相手じゃなかったはずだ)


 耳鳴りがする。

 鼻からも口からも水が入ってくる。

 ものすごい力にひかれるように、ワレスは暗い水のなかを流されていた。

 目の奥が痛んで、体が重い。

 自分の体が棒切れのように感じられた。ほんとに自分の体が、まだ存在しているのかもわからない。


 おれは死んだのか? もう苦しくなくなった。

 それとも、これは夢だろうか? あんなところに、ティアラがいる。


 花盛りの皇都で馬車をおりてきたところ。馬車を帰して、ワレスの屋敷に入ってくる。門の前で、ティアラは呼びとめられた。


「失礼。奥さま。お話があるのですが」

「あら、あなた」


 ロディーだ。

 ティアラはロディーをおぼえていた。


「ダンスホールでお会いしたかたね。おつれのかたが、ここの住所を教えてくださって」

「ええ」と言ったきり、ロディーは黙りこむ。


「どうかなさって?」

「ええ……」


 ロディーは渋い顔で話しだした。

「私は後悔しています。あのとき、住所など教えるのではなかった」

「なぜ?」


 ティアラはまったく警戒していない。

 ワレスは神妙な表情のロディーの内心の薄笑いが見える気がした。


「彼はね。男妾なのです。お金でご婦人の相手をする男なのですよ」


 言ったな!


 怒りが爆発する。が、もう遅い。たぶん、これは過去のことだ。


 では、ティアラは知っていたのか?

 いつから、おれがジゴロだと?


「嘘です。そんなこと」


 ティアラの声はふるえている。


 ロディーはかさねて無慈悲な言葉をなげた。

「そのうち、彼からお金の要求をしてきます。まあ、見ていてごらんなさい」


 でも、もうティアラは最初の指輪をワレスに渡してしまっていた。


(思いだした。あの服。ティアラが青い顔でとびこんできて、いきなり、おれにブローチを押しつけてきたときだ)


「これをあげる!」

「受けとれませんよ。こんな高価なものを」

「あなたには、これが必要なんでしょう?」


 ティアラの口調のなかに、かすかに哀れむようなものを感じた。カッとなって、ワレスはティアラの手をふりはらった。


「バカにしてるのかッ? あなたは。おれを!」


 二人の手のあいだから、ブローチが落ちて床にころがる。

 青ざめて立ちすくむティアラ。

 やっと、ワレスは冷静にもどった。

 気まずい、沈黙。


 そうだ。おれはジゴロなんだ。金のために女を食い物にするヒルみたいなものじゃないか。何を今さら、きどってるんだ?


「すまない……」

 謝罪してブローチをひろった。


 今ならば、わかる。

 あのとき、ティアラが哀れんでいたのは彼女自身だった。これから、たっぶり金銭をむしりとられる自分を。


 そして、ティアラはワレスをゆるした。女にたかる汚いジゴロのワレスを、ゆるして、愛してくれた。


 なぜなら、ティアラは知っていたからだ。

 ワレスが自分のしていることに嫌悪をいだいていることを。彼女の手からブローチをたたき落としたときの、ワレスの怒りが本物だったことを、ティアラは見ぬいた。



 ——わたしと逃げて。



 そう言ったとき、ティアラは心のなかで、こう言っていた。

 もう一度、わたしといっしょにやりなおしましょう……。


 ティアラの手はあたたかかった。おれを救いだそうとしていた。だから、おれはティアラが怖かった。彼女の手をとってしまいそうで。


(おれは……)


 おれは、誰の救いもいらない——!


 ワレスはむりやり過去の夢をふりはらった。

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