五章
5—1
*
ティアラの祖母はもともと侍女だったらしい。彼女の夫は周囲の反対をおしきって、身分違いのこの女を正式な妻として迎えた。
ティアラは祖母になついていたので、刺繍やさまざまなことを教わったのだという。
「ギルバートがわたしを軽視するのは、そのせいもあると思うの。一族のなかには、まだ祖母のことをとやかく言う人がいるの。でも、わたしは作法にばっかりウルサイお母さまより、おばあさまのほうが好きだったわ。楽しい話や、いろいろなことを知っていて。わたし、ジャムの作りかたを教えてもらったわ。今度、野イチゴのジャムを作ってくるわね」
寝物語によくそんな話をした。
そのころには、ワレスはティアラの屋敷の彼女の寝室にまで出入りするようになっていた。
ティアラたち夫婦のあいだがどうなっていたかは知らない。が、おそらく、ギルバート小伯爵は見て見ぬふりしていたに違いない。
ワレスたちは帝立劇場やら、名門貴族の舞踏会へ、ひんぱんに足を運んだから。夫の小伯爵の耳に二人のことが届いていないわけがない。さわぐと、ますます夫の
ティアラはそれでも、夫には気づかれていないと思っていたようだが。
「また別の人のことを考えてるのね」
耳もとで女の声がして、ワレスは気づいた。
白銀の髪にふちどられたリリアのおもてが、かたわらにある。
このごろ、リリアに会っているせいか、いやにティアラのことを思いだす。
ワレスが気まずい思いで黙っていると、リリアは笑った。
「いいのよ。わたしにも思いだす人くらいいるわ」
「
「いやな人。その人のことを愛してるの?」
「まさか」
リリアは衣服を直しながら、もう一度、笑った。
「わたしにはわかるわ」
「何が?」
リリアは何かつぶやいたようだ。
「また明日」
「ああ」
なんだか変な感じだ。
リリアの淡い色の瞳が、やけに見透かすように、ワレスを見る。
翌日。
昼ごろに起きて、ワレスが食堂に行くと、さきにハシェドが来ていた。小声でたずねてくる。
「まだ、例の女と会っていますか?」
食事は野菜のぶつ切りの煮物と、塩づけにしたステーキ。パンはかたく、バターさえない。
二十日に一度、国内から送られてくる物資と、中庭の畑で作られた野菜が材料だ。
おおざっぱな味付けは、皇都の高級料理店の
あの、かすかに苦かった薔薇のジャム……。
「隊長?」
「ああ」
ワレスは気をとりなおして、塩からい肉をパンにはさみ、口に運んだ。ここでは食べないと、やっていけないのだ。
「聞かなくても、見てるんだろう?」
「見てますよ。隊長が行って、帰っていかれるのは」
妙にふくみのある、ハシェドの言いかただ。
「おれのあとから女が帰っていくだろう?」
「いいえ」
「そんなはずはない。用がすめば、あんなところにいつまでもいる必要はない。ましてや女が一人で、危険すぎる」
「きっと、おれがよそみしてるあいだに帰ってるんだと思います。こっちはそこだけ見てるわけにはいかないし。それに、おれに姿を見られるのがイヤなんだろうと思って、近ごろはわざと見ないようにしてますし」
ハシェドは生煮えの野菜に、ちょっと悪態をついてから続ける。
「思ったんですが。文書室に身投げの井戸に関する文書も残ってるんじゃないですか。もし気になるなら、調べてみてはいかがです?」
ワレスは気になったわけではない。
ただ、文書室そのものに興味があった。砦で起こった怪異や魔物についての文献が、数多く残されているのだとか。兵士には平等に解放されている。調べておけば、魔物にぶつかったとき、有利になる情報が得られるかもしれない。
「文書室か。一度は行ってみてもいいな」
「同行してもいいですか?」
「ああ」
「よかった。じつは前々から興味があったんですが。私はユイラ語はあまり……」
文書に使われているのは、古語まじりの堅苦しい言葉だ。町の私塾で少し手習いをおぼえたていどでは、読解は難しい。きちんと学校を出た者でなければ。
「では、食後に行くか」
「はい」
文書室は内塔ではなく、本丸の三階部分にある。
ボイクド砦の歴史は古く、建設されたのは、およそ五百年前。数百年前から森焼きによって清められた土地に築かれた。それ以前の砦から、十コールも東に築城され、以来、ボイクドの森の前線の砦だ。
文書室にはその間、五百年ぶんの文書が眠っている。一歩入ると、すでにカビくさいような匂いがしていた。
「すごい数の文書ですね」と、ハシェドは驚嘆の声をあげる。
「いちおう年代別になってるみたいですが。このなかから目的の文書を探すとなると、大変ですよ」
やたらに広いなかに、天井いっぱいの高さの書棚が、ズラリとならんでいる。昼でも薄暗く、ここだけ砦とは別世界みたいだ。
「司書はいないのか?」
ワレスが言うと、
「ここにおります」
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