4—2
*
ティアラをつれて、二、三度、劇場や料理店へ行った。
そのあと、ワレスはじょじょにティアラをさけるようにした。会っても、物悲しげなそぶりで心が晴れないようすを作る。
「わたくしと会うのは気詰まりかしら? ワレス。あなたはいつも、わたしを見て、悲しそうな顔をするのね」
そう言うティアラの顔も悲しげだ。
「あなたと会えるのは嬉しい」
「では、なぜ?」
「…………」
だまっていると、ティアラは涙ぐんだ。
「ねえ、はっきり言って。わたしと会うのは迷惑? それとも、思ったより楽しい女じゃないと気づいたの?」
「あなたは素敵な人だ。私には、もったいないくらい」
「では、どうして?」
ワレスは唇をかみしめた。
「あなたは……しょせん、私と住む世界の違う人なんだ」
「身分なら、わたし、そんなこと、ちっとも気にしないわ。わたし、あなたといるだけで、こんなに幸せになれるの」
ワレスは苦い笑みを作ってみせる。
「そういうあなただから、好きなんだ」
「ワレス」
「あなたは縫いあがったばかりの真っ白な衣のようなもの。まだ誰の手も通さず、無垢で、美しい。私はあなたを赤にも青にも染められない。あなたの夫ができるように、華麗な色で染めあげることも。真珠の飾り
ティアラは戸惑う。
ワレスが何を言いたいのかわからないのだ。
「そんな言いかたはよして」
ワレスは自嘲した。
「私はあなたに、今夜のお芝居の席も買ってあげることができない」
ティアラは打ちのめされたようだった。
「ワレス……」
それで初めて、ティアラは知ったのだ。ワレスが金に困っていることに。これまであたりまえのように、自然にすべての支払いをワレスがしていたので。
ワレスが親の遺産で暮らす富豪とでも、ティアラは思っていたに違いない。いや、それ以前に、生まれたときから裕福な貴族の一員として、困窮などとはまったく無縁な世界で育った彼女だ。金のことなど、まるきり念頭になかったのだろう。
「ごめんなさい」
両手に顔をうずめて、ティアラは泣きだした。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったの? わたし、あなたを困らせるつもりはなかったわ」
「私たちは別れるのが一番いい。私はあなたに指輪ひとつ、流行の服一枚、買ってあげられない。あなたに貴婦人なら当然の恩恵を、なにひとつ与えられない。それが身分違い。住む世界が違うということだ」
「いいえ! あなたと別れたら死んでしまう。わたし、死んでしまうわ。あなたなしでなんて生きられない!」
ティアラはすばやく自分の指から宝石の指輪をぬいた。
「これを受けとって。ワレス。ねえ、これからも会ってくれるでしょう? わたし、あなたがいてくれたら、ほかには何もいらない」
「私も……あなたに会えなくなるのは苦しい」
「愛しているわ。ワレス」
「愛している。ティアラ」
女の熱意に負けた形で、ワレスは最初の戦利品を、ティアラから受けとった。三文芝居の安っぽいセリフみたいなことを言って。
それからは、ティアラはワレスの思いどおりに、宝石や持参金を渡してくれた。つきあっていた、ひとつき足らずのあいだに、ティアラがワレスに費やした金額はどれほどのものだったろう?
ワレスはティアラの金で美味しいものを食べ、ティアラの金で着飾り、ティアラの金で芝居を見て、カードで遊び、馬車に乗り、ダンスホールや闘牛場に出入りした。
皇都をわがもの顔で歩き、ときには花宿で遊女すら買った。
ただ少し意外だったのは、ティアラが貴族の女にしては、ひどく家庭的だったことだ。
「どう? この服。あなたに似合えばいいけど」
あるとき、ティアラが持ってきたのは、祭用の民族衣装だ。今では宮中の正装のときくらいしか着ない古い形式の服。鳥の翼のような長い両袖と、幾何学的な刺繍が特徴の。
ティアラがひろげてみせた衣装には、白絹に青い糸で
ワレスは最初、ヴィクトリア家のかかえた大勢のお針子が、その刺繍をしたのだと思った。
「いいね。もう祭の時期か」
そう言って、なにげなく手にとる。
近くで見たワレスは、ふと気づいた。その服は裁縫の腕を買われて雇われた、お針子たちが作ったにしては、どことなく
ぬいめを何度もさわっていると、
「やっぱり、わかる? 自分では、うまく作れたと思うのだけど」
ティアラが、はにかむ。
「え?」
「そう。わたしが作ったの」
「これを、あなたが……」
ワレスは刺繍の一つ一つまでティアラがぬったという民族衣装を、ぼんやり、ながめた。
大昔には、裁縫が貴婦人のたしなみだった時代もあった。でも、それは、はるか昔のこと。今どき、貴族の女で、趣味でもなく、そんなことをする者はいない。服がほしければ、お針子がしてくれる。糸をつむぐのも。はたを織るのも。刺繍をして、飾りをして。ボタンひとつ、ぬいつけるのだって、貴婦人の手をわずらわせる必要なんてない。
祭の衣装は、何度も貴婦人たちから貰った。でも、手作りの服を贈られたのは初めてだ。
(いや……初めてではない。初めてでは)
まだ母が生きていたころは、いつも、母が作ってくれた。安売りの布を大量に買って、家族でおそろいの服を着た。父、母、ワレス、弟たち、妹。みんなで同じ服を着て、見物に行った祭のパレード……。
「……こんなことをする者は、ほかにいくらでもいるでしょう? あなたの城では」
「あなたが着るんですもの。自分で作りたかったの」
ワレスは初めて、ティアラが怖いような気がした。
ティアラにひきずられる。
この女は、おれを弱くする。
十年、ジゴロをしてきて、そんな気になったのは、それが最初で最後だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます