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 ティアラをつれて、二、三度、劇場や料理店へ行った。

 そのあと、ワレスはじょじょにティアラをさけるようにした。会っても、物悲しげなそぶりで心が晴れないようすを作る。


「わたくしと会うのは気詰まりかしら? ワレス。あなたはいつも、わたしを見て、悲しそうな顔をするのね」


 そう言うティアラの顔も悲しげだ。


「あなたと会えるのは嬉しい」

「では、なぜ?」

「…………」


 だまっていると、ティアラは涙ぐんだ。


「ねえ、はっきり言って。わたしと会うのは迷惑? それとも、思ったより楽しい女じゃないと気づいたの?」

「あなたは素敵な人だ。私には、もったいないくらい」

「では、どうして?」


 ワレスは唇をかみしめた。


「あなたは……しょせん、私と住む世界の違う人なんだ」

「身分なら、わたし、そんなこと、ちっとも気にしないわ。わたし、あなたといるだけで、こんなに幸せになれるの」


 ワレスは苦い笑みを作ってみせる。


「そういうあなただから、好きなんだ」

「ワレス」

「あなたは縫いあがったばかりの真っ白な衣のようなもの。まだ誰の手も通さず、無垢で、美しい。私はあなたを赤にも青にも染められない。あなたの夫ができるように、華麗な色で染めあげることも。真珠の飾り刺繍ししゅうをすることも。金糸のふさをつけることも。私にできるのは、真っ白な衣に泥水をかぶせて汚すことだけだ」


 ティアラは戸惑う。

 ワレスが何を言いたいのかわからないのだ。


「そんな言いかたはよして」


 ワレスは自嘲した。

「私はあなたに、今夜のお芝居の席も買ってあげることができない」


 ティアラは打ちのめされたようだった。

「ワレス……」


 それで初めて、ティアラは知ったのだ。ワレスが金に困っていることに。これまであたりまえのように、自然にすべての支払いをワレスがしていたので。


 ワレスが親の遺産で暮らす富豪とでも、ティアラは思っていたに違いない。いや、それ以前に、生まれたときから裕福な貴族の一員として、困窮などとはまったく無縁な世界で育った彼女だ。金のことなど、まるきり念頭になかったのだろう。


「ごめんなさい」


 両手に顔をうずめて、ティアラは泣きだした。


「どうしてもっと早く言ってくれなかったの? わたし、あなたを困らせるつもりはなかったわ」


「私たちは別れるのが一番いい。私はあなたに指輪ひとつ、流行の服一枚、買ってあげられない。あなたに貴婦人なら当然の恩恵を、なにひとつ与えられない。それが身分違い。住む世界が違うということだ」


「いいえ! あなたと別れたら死んでしまう。わたし、死んでしまうわ。あなたなしでなんて生きられない!」


 ティアラはすばやく自分の指から宝石の指輪をぬいた。


「これを受けとって。ワレス。ねえ、これからも会ってくれるでしょう? わたし、あなたがいてくれたら、ほかには何もいらない」

「私も……あなたに会えなくなるのは苦しい」

「愛しているわ。ワレス」

「愛している。ティアラ」


 女の熱意に負けた形で、ワレスは最初の戦利品を、ティアラから受けとった。三文芝居の安っぽいセリフみたいなことを言って。


 それからは、ティアラはワレスの思いどおりに、宝石や持参金を渡してくれた。つきあっていた、ひとつき足らずのあいだに、ティアラがワレスに費やした金額はどれほどのものだったろう?


 ワレスはティアラの金で美味しいものを食べ、ティアラの金で着飾り、ティアラの金で芝居を見て、カードで遊び、馬車に乗り、ダンスホールや闘牛場に出入りした。

 皇都をわがもの顔で歩き、ときには花宿で遊女すら買った。


 ただ少し意外だったのは、ティアラが貴族の女にしては、ひどく家庭的だったことだ。


「どう? この服。あなたに似合えばいいけど」


 あるとき、ティアラが持ってきたのは、祭用の民族衣装だ。今では宮中の正装のときくらいしか着ない古い形式の服。鳥の翼のような長い両袖と、幾何学的な刺繍が特徴の。


 ティアラがひろげてみせた衣装には、白絹に青い糸で精緻せいちな刺繍がほどこされている。


 ワレスは最初、ヴィクトリア家のかかえた大勢のお針子が、その刺繍をしたのだと思った。


「いいね。もう祭の時期か」


 そう言って、なにげなく手にとる。

 近くで見たワレスは、ふと気づいた。その服は裁縫の腕を買われて雇われた、お針子たちが作ったにしては、どことなく稚拙ちせつな感じがする。

 ぬいめを何度もさわっていると、


「やっぱり、わかる? 自分では、うまく作れたと思うのだけど」

 ティアラが、はにかむ。


「え?」

「そう。わたしが作ったの」

「これを、あなたが……」


 ワレスは刺繍の一つ一つまでティアラがぬったという民族衣装を、ぼんやり、ながめた。


 大昔には、裁縫が貴婦人のたしなみだった時代もあった。でも、それは、はるか昔のこと。今どき、貴族の女で、趣味でもなく、そんなことをする者はいない。服がほしければ、お針子がしてくれる。糸をつむぐのも。はたを織るのも。刺繍をして、飾りをして。ボタンひとつ、ぬいつけるのだって、貴婦人の手をわずらわせる必要なんてない。


 祭の衣装は、何度も貴婦人たちから貰った。でも、手作りの服を贈られたのは初めてだ。


(いや……初めてではない。初めてでは)


 まだ母が生きていたころは、いつも、母が作ってくれた。安売りの布を大量に買って、家族でおそろいの服を着た。父、母、ワレス、弟たち、妹。みんなで同じ服を着て、見物に行った祭のパレード……。


「……こんなことをする者は、ほかにいくらでもいるでしょう? あなたの城では」

「あなたが着るんですもの。自分で作りたかったの」


 ワレスは初めて、ティアラが怖いような気がした。

 ティアラにひきずられる。

 この女は、おれを弱くする。

 十年、ジゴロをしてきて、そんな気になったのは、それが最初で最後だった。

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