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 タイマツをかかげた身投げの井戸が、屋上からは闇のなかに、ぽつりと浮かんで見える。


(願をかけてるようではないが)


 やはり女は誰かを待っているように見える。まっすぐに塔を見あげ、まるで、見おろすワレスを見返しているようだ。


 気のせいだろうか?

 いや、気のせいではない。

 女はたしかに、ワレスを見ている。


(あの女。おれを待ってるのか?)


 いくら、もとジゴロのワレスでも、これは意外な気がした。

 昨日、初めて見た女だ。それはまちがいない。ここ、ひとつき、女との接触は、いっさいなかったのだから。

 向こうがワレスに見ほれて願かけに来た——と言うには、出会いの順番が逆だ。


「ワレス隊長。交代にあがりました」


 声をかけられて、ワレスは背後をふりかえった。ハシェドが階段に通じる扉のところに立っている。

 ワレスは思ってもみないほどの長時間、女を見つめていたらしい。


「異常はありませんでしたか?」というハシェドに、落ちつかないのをごまかして、とりすまして答える。


「いや。ない」

 言いながら、ふたたび庭を見る。女の姿はすでになかった。


「どうかしましたか? 隊長」


 日ごろ、すきのないワレスが躊躇ちゅうちょを見せたせいか。ハシェドはいぶかしそうだ。


「いや。例の女がいただけだ」

「ああ。昨夜のですか」


 ハシェドは下をのぞいて残念そうにした。


「帰ったみたいですね。昨夜も見たときには、もういませんでした。美人なんですか?」

「ああ。長いプラチナブロンドの女だ」


 ぴゅうと、ハシェドが口笛をふく。


「残念。見たかったな」

「明日、また来るかもしれない」

「どうでしょう。二晩でも、たいした度胸なのに」


 ワレスはハシェドを残して階下におりた。


 たしかに、たいした度胸だ。兵士でさえ、夜は一人で外を出たがらない。臆病おくびょうなのではない。それが身を守る最善の方法だからだ。


 ワレスの前に小分隊長をしていた男は、屋上の見まわりちゅうに死亡している。原因は不明。こんなことはめずらしくない。

 ワレスはこの男の補充として入隊したから、いきなり小分隊長なのだ。


 砦のつとめは見返りはいい。でも、長続きする者は少ない。よほどの変わり者でなければ。


 ワレスは笑った。


(おれは、変わり者だな)


 女たちに甘い言葉をささやいていた、きらびやかな生活より、殺伐とした今の暮らしのほうが清々しい。

 誇りを売らなくてもいい。

 力だけが真実の世界だから。


 手柄をあげて砦を去るときには、森林警備隊に志願してもいいと思う。あそこなら、ここよりはずっと安全だ。砦帰りと言えばがきくという。


 考えごとをしていたせいか、いつのまにか、ワレスは五階の自分の部屋の前を通りすぎていた。それどころか、一階におりている。闇のなかに、ずらりとならぶ冷たい武器。


 ワレスは戸惑った。

 戸惑いつつ、その足はさらに進む。

 内塔の出口で歩哨ほしょうに誰何された。

「誰だ」


 するりと、言葉のほうがさきに出た。


「ギデオン小隊、第三分隊のワレスだ。水を飲むにいく」

「よし。行け」


 ワレスは砦の支給のよろいをつけている。疑われることはない。


 ワレスは自分でもわからないまま、内塔を出た。内塔と外塔をつなぐ廊下と、本丸の城壁にかこまれた中庭へ行く。

 井戸から少し離れた林のなかに、女は待っていた。


「来てくれたのね」


 美しい女だ。

 近くで見ると、長い髪が夜気を吸って、さざなみのようにきらめいている。


「おれが必ず来ると確信してたような口ぶりだな」

「わかってたわ。ここへ来て。すわって」


 女は自分のとなりを示す。


「おまえが誰だかわからない」

「わたしは、リリア」


 女は悪びれない。

 つられて、ワレスはリリアのとなりにすわった。

 ここからなら木陰になって、城からは見えないだろう。


「なぜ、おれを待っていた?」

「あなたがいつも、この時間に塔の上にいるから」

「それは嘘だな。おれは昨日、初めて、おまえを見た。もっと前に見かけていれば、気づかないはずはない」

「ほんとは昨夜、あなたを見たから。もう一度、来てみたくなったの」


「昨夜はなんで来た?」

「恋がしたくて。願かけに」

「なるほど」


 それなら納得できる。


 ワレスはリリアの肩をひきよせ、くちづけた。手にふれる肌は霧にぬれて冷たい。が、口中はあたたかい。


「……ずるい人ね。あなたの名前は?」

「知る必要はないだろう?」


 夜露にぬれた草むらに、リリアを押したおす。

 熱っぽく、リリアはワレスを見つめている。


 似てる。この女。おれが殺しかけた、あの女に。


 やめておけばいいのに。

 似てると思った瞬間、ワレスはなぜか、なつかしさを感じた。


 あれは、まだ、ひとつき前のこと……。

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