1—3
タイマツをかかげた身投げの井戸が、屋上からは闇のなかに、ぽつりと浮かんで見える。
(願をかけてるようではないが)
やはり女は誰かを待っているように見える。まっすぐに塔を見あげ、まるで、見おろすワレスを見返しているようだ。
気のせいだろうか?
いや、気のせいではない。
女はたしかに、ワレスを見ている。
(あの女。おれを待ってるのか?)
いくら、もとジゴロのワレスでも、これは意外な気がした。
昨日、初めて見た女だ。それはまちがいない。ここ、ひとつき、女との接触は、いっさいなかったのだから。
向こうがワレスに見ほれて願かけに来た——と言うには、出会いの順番が逆だ。
「ワレス隊長。交代にあがりました」
声をかけられて、ワレスは背後をふりかえった。ハシェドが階段に通じる扉のところに立っている。
ワレスは思ってもみないほどの長時間、女を見つめていたらしい。
「異常はありませんでしたか?」というハシェドに、落ちつかないのをごまかして、とりすまして答える。
「いや。ない」
言いながら、ふたたび庭を見る。女の姿はすでになかった。
「どうかしましたか? 隊長」
日ごろ、すきのないワレスが
「いや。例の女がいただけだ」
「ああ。昨夜のですか」
ハシェドは下をのぞいて残念そうにした。
「帰ったみたいですね。昨夜も見たときには、もういませんでした。美人なんですか?」
「ああ。長いプラチナブロンドの女だ」
ぴゅうと、ハシェドが口笛をふく。
「残念。見たかったな」
「明日、また来るかもしれない」
「どうでしょう。二晩でも、たいした度胸なのに」
ワレスはハシェドを残して階下におりた。
たしかに、たいした度胸だ。兵士でさえ、夜は一人で外を出たがらない。
ワレスの前に小分隊長をしていた男は、屋上の見まわりちゅうに死亡している。原因は不明。こんなことはめずらしくない。
ワレスはこの男の補充として入隊したから、いきなり小分隊長なのだ。
砦のつとめは見返りはいい。でも、長続きする者は少ない。よほどの変わり者でなければ。
ワレスは笑った。
(おれは、変わり者だな)
女たちに甘い言葉をささやいていた、きらびやかな生活より、殺伐とした今の暮らしのほうが清々しい。
誇りを売らなくてもいい。
力だけが真実の世界だから。
手柄をあげて砦を去るときには、森林警備隊に志願してもいいと思う。あそこなら、ここよりはずっと安全だ。砦帰りと言えばはばがきくという。
考えごとをしていたせいか、いつのまにか、ワレスは五階の自分の部屋の前を通りすぎていた。それどころか、一階におりている。闇のなかに、ずらりとならぶ冷たい武器。
ワレスは戸惑った。
戸惑いつつ、その足はさらに進む。
内塔の出口で
「誰だ」
するりと、言葉のほうがさきに出た。
「ギデオン小隊、第三分隊のワレスだ。水を飲むにいく」
「よし。行け」
ワレスは砦の支給の
ワレスは自分でもわからないまま、内塔を出た。内塔と外塔をつなぐ廊下と、本丸の城壁にかこまれた中庭へ行く。
井戸から少し離れた林のなかに、女は待っていた。
「来てくれたのね」
美しい女だ。
近くで見ると、長い髪が夜気を吸って、さざなみのようにきらめいている。
「おれが必ず来ると確信してたような口ぶりだな」
「わかってたわ。ここへ来て。すわって」
女は自分のとなりを示す。
「おまえが誰だかわからない」
「わたしは、リリア」
女は悪びれない。
つられて、ワレスはリリアのとなりにすわった。
ここからなら木陰になって、城からは見えないだろう。
「なぜ、おれを待っていた?」
「あなたがいつも、この時間に塔の上にいるから」
「それは嘘だな。おれは昨日、初めて、おまえを見た。もっと前に見かけていれば、気づかないはずはない」
「ほんとは昨夜、あなたを見たから。もう一度、来てみたくなったの」
「昨夜はなんで来た?」
「恋がしたくて。願かけに」
「なるほど」
それなら納得できる。
ワレスはリリアの肩をひきよせ、くちづけた。手にふれる肌は霧にぬれて冷たい。が、口中はあたたかい。
「……ずるい人ね。あなたの名前は?」
「知る必要はないだろう?」
夜露にぬれた草むらに、リリアを押したおす。
熱っぽく、リリアはワレスを見つめている。
似てる。この女。おれが殺しかけた、あの女に。
やめておけばいいのに。
似てると思った瞬間、ワレスはなぜか、なつかしさを感じた。
あれは、まだ、ひとつき前のこと……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます