家が一番

駆け寄り、ぎゅっと、彼に抱きついて、大きく深呼吸。

落ち着く、彼の香りが私の心を満たしていく。


「お帰り」


彼が私の頭をなでなでしてくれる。

人に頭を触れられるのは大嫌いだけど、彼だけは別。

私の、家族以外で気を許せるたった一人のヒト。


「ただいま、迎えに来てくれたんだね、嬉しい」


私が言うと、彼はふふっと笑って、背中に手を回して抱き返してくれる。


「そんなに、喜んでもらえるなら毎日迎えに来ようかな」


「本当に!?」


私が驚きに顔を上げて彼の顔を見上げると、彼がちょっとだけ悲しそうな顔をして冗談、という。


……大丈夫、知ってた。


「それじゃ、帰ろうか?」


彼が私の体を離そうとしてきたので私は静かに手の力を強める。


「ん? まだ帰りたくないの?」


私は小さくこくんとうなずく。


「じゃあ、あと30秒だけだよ」


いーち、にーい、さーん……


周りの迷惑にならないように、と言ってもこの時間、ここの駅前にいるのは私たちぐらいのものなんだけど、一応小声で私たちは数える。

子供っぽいことはわかってるけど、これが私のバランスの取り方。


「30。じゃあ、行こうか」


数え終わって彼が言う。

私も子供じゃないので、約束はしっかり守る。

二人手を繋いで、駅から自宅へと歩き出す。

道中のおしゃべりは他愛もない話。

メッセージのスタンプの話とか、彼がやってるゲームの話とか、夕御飯の話とか。

仕事の愚痴は極力言わない。

持ち込んでもしょうがないって、この5年で学んだ。


「ただいまー」


二人で歩けば5分なんてあっという間ですぐに我が家へとだとりつく。

賃貸のアパート。

家賃は内緒だけど、高くも低くもない普通くらい。

だって、そんなに高い家賃払えない。


「ハヤシライスだから、あっためればできるからね」

玄関で靴を脱いで、私たちはわが家へと上がる。私はあまりの苦しさにスーツを先に脱ぎに行く。彼は洗面所へと直行。

ジャケットとパンツをハンガーにかけ、シャツを脱ぎ、ブラジャーを外す。

外着なんて息苦しいったらありゃしない。ルームウェアに着替える。動きやすいブラトップのワンピース。これでずっと楽になる。

体が軽くなった私は洗面所に行って、外の悪い空気を洗い流し家一色に染まる。

心の緊張まですーっと溶けていく。


私が手洗いうがいを済ませて食卓に行くと、すでに夕ご飯であるハヤシライスとサラダが机の上に並んでいた。


「おお、美味しそう。デミグラスソースのいい匂い」


私のお腹がぐーっとなって、空腹を訴えてくる。

そういえば、午後はチョコ以外飲み物しか取ってなかった。私らしくもない。

だからちょっとユキちゃんに強く出ちゃったんだなと反省。


「でしょ、僕の自信作だよ」


冷蔵庫を空けながら彼が言う。


「何飲む?」


「うーん、ワインかな」


「りょーかい」


取り出されるのは日本のボトル、ワインとブドウジュース。ブトウがお揃い。

彼はお酒が飲めないんだけど、お揃いがいいという私のわがままで、いつもお酒はノンアルとセットで買ってある。


ワイングラスは私が取り出す。

彼がホームセンターと100均から買ってきた素材をDIYして作ったお手製の棚。グラスが逆さまにかかるオシャレなやつ。


お互いにボトルから飲み物を注ぎ合い、私たちは乾杯した。


グラスがぶつかり合う音が耳に心地いい。


私がグラスを唇に触れさせ、ゆっくりと中の液体を飲み干すと彼はにこりと笑った。


「今日もお仕事お疲れ様」


ねぎらいの一言。


「うん、ユウ今日も家事お疲れ様」


私も彼に同じ言葉を返す。


一緒に住みはじめて5年。

いろいろあっていつの間にか定まった今の形。

でも、いつ壊れるかもしれない、儚い形。


彼は、主夫だ。





けれど、私達は結婚していない。

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