ココアを飲んで、

気持ちを落ち着けた私は、自販機にてココアを買ってデスクへと戻る。


「あっ、先輩、大丈夫でしたかー? いちゃもんつけられる系呼び出しじゃなかったですか?」


パソコンに向かっていた後輩ちゃん、ユキちゃんが帰ってきた私の姿を見つけて言う。

ほんとPC見てたのによく気づくよね、気配読む達人かしら。

心配してくる彼女を安心させるために私は明るい声を出す。


「大丈夫、大丈夫。そこまで面倒なやつじゃなかった、ほら、これ」


私は彼女に『頑張る女子社員を応援します!』のチラシを差し出す。

ちなみにくしゃくしゃのチラシは捨てて先程見たポスターの下にあった配布用のものをかっさらってきた。


「ふーん、なんていうかー、なコンテストですね」


ユキちゃんはチラシを一瞥すると、PCに視線を戻した。

私はそんなユキちゃんの様子を見て、ほお、と思う。彼女はこういうのに否定的なのだろうか。


「どうしてそう思うの?」


私が聞くとユキちゃんは再びPCからこちらに顔を戻して唸った。


「うーんとですね。これって、頑張る女子社員のコンテストとか、男社会だっていう前提があってのものですよね? 頑張る社員コンテストならまだしも、女子に限定しているのは差別的意識を感じます」


「あー、そういうね」


なるほど、と思いながら私はチラシを改めてみる。確かに肉体作業などの一部を除いて仕事において男と女で能力に差が出るなんてほとんどない。ひとつの仕事をしたとき、それを主導した人間の性別によって評価が変わるのはナンセンスだ。


そういう点から言って、ユキちゃんの指摘は正しいのかもしれない。


「それに上司のコメントが気に食いません」


「確かにね」


私は苦笑しながら自分のデスクに戻る。

おそらく、部長の案件の間にメールが増えていることだろう。

ココアを飲みながらそれを対応するのだ。


送受信のボタンを押し、メールを更新する。

ぼんぼんと現れてくるメールに、私は目を走らせる。

これは、優先だから、さくっと返信。

これは保留。

あれ、このメールの質問の回答ってこの間のメールで……ああ、やっぱり送ってる。まあ、角をたてないように返信しておかないとなぁ。


会社の規模が大きくなって立場が上がるにつれ、1日のメール送受信数ははね上がっている。

そのうち、メール業務だけで私は溺れてしまうんじゃないだろうか。

実験から離れなきゃいけなくなるんじゃないだろうか。

そう思うとちょっと恐い。


缶のココアを開け、あまったるいその液を口の中に含む。

そんなにすぐには効果なんて出ないはずなのに脳に糖分が行き渡っているような、そんな感覚がして気分がいい。


「ふーっ」


小さく息を吐き出す。

私は溜め息だって、明らかに聞かせるためのイライラしてるものじゃなきゃ、みんなしていいと思ってるし、このくらい許されるよね。


「先輩、大丈夫ですか!」


まあ、心配が飛んでくるのもご愛嬌だ。

ぐっと椅子の背もたれを倒して、私の顔を伺うユキちゃん。

駄目だなぁ、私。部下に心配かけるとか。

まあ、私も逆の立場なら聞いちゃうけどね。


「大丈夫だよ、あまりにココアが甘くて脳に染みちゃってさ」


私が笑うと、ユキちゃんはあーっとつぶやいて、


「先輩、いつだって糖分欠如ぎみですもんね。というか、いつもあれだけ食べてて太らないのが謎です」


そして最後不服そうに言ってくる。


そう、私は胃下垂の影響かなにか知らないけどどれだけ食べても太らない。

そして、食べても食べてもカロリーが足りなくていつも食べてる。


「食べようと思って買ったけど明らかに糖分過多になっちゃうと気付いたんでこれ先輩に押し付けます」


そう言って、ユキちゃんがぽんっと私に放り投げてきたのは、私の好きなカカオ70%のビターチョコレート。

ユキちゃんは甘党でミルクチョコレートしか食べない。私がちょっと弱ってるときを見計らって投げてくるアイテム。


「ありがと」


私は素直にお礼を言う。

ほんと、空気読んだり相手のこと気遣ったりすることにおいては彼女はピカイチだ。できた後輩でつらい、その部分だけは。


「ゆーきーはーらあ! また、実験のエクセルデータ間違ってる!! おかげで作業室入ってすぐ戻りだよ」


そういって部屋に怒りの形相をした一人の男子社員が入ってくる。


ユキちゃんはうちのグループの雰囲気において最もいい影響を与えている。でも、仕事に関してはちょっと残念な部分もあるのでした。

ユキちゃんこと、雪原さんは入ってきた男子社員の鬼のような顔を見て、すでに泣きそうである。

私は今度は溜め息を小さくついて、彼をなだめにかかった。


「まあまあ、坂下くん、とりあえずお茶のもう。リラックス」


ユキちゃんがすかさず、自分のデスクを抜け、お茶をいれに向かっていた。

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