特に何も秀でたことがない日ってのも、たまにはあっていいと思うんだ
とある日のこと。
俺は日曜日だと言うのに、学校に来てせっせと仕事をしていた。
理由は簡単。
最近、部活が休みになったり、大きな仕事が入ったりしたために、後回しにしていた依頼を今になって急かされてしまったからである。
ひとつひとつは小さくて簡単なものばかりだが、それでも数が多ければかなりの負荷になる。
『数打ちゃ当たる』とはよく言ったものだ。
『量より質』なんて考え方はもう古いのかもしれないな。某有名格闘ゲームでも、相手が上位層のプレイヤー出ない限り、弱パンチを連発した方が勝ちやすいっていう噂もあるくらいだしな。
時代は量か……。
「唯斗くん、手が止まってるわよ」
紅葉の声で我に返る。
「ああ、すまん」
俺はまたタイピングの作業を始める。
今こなしているのはブラッシュ部からのもので……この部の語源はブラシ、つまり何かを磨くことに命をかけている部活なのだが、この学校に磨くものが無くなってしまったらしく、他校に汚れたボールなどを送って貰えるように頼んで欲しい、というのが依頼内容だ。
だが、このパソコンの画面に表示された他校への依頼文は、何度見てもおかしい。
この学校が変なやつばかりだと思われそうで怖いが、とにかく与えられた依頼はこなすだけだ。
ブラッシュ部の彼らのおかげで、この学校は清潔を保てているわけだし、感謝の意も込めて送信ボタンを押した。
「ひとつ片付いたようね、お疲れ様」
どこまで観察されていたのかはわからないが、労いの言葉をかけてくれる紅葉にほっこりしながら、伸びをする。
疲れた時にする伸びって、異常なまでに気持ちいいんだよな。なんでなんだろうか。
「私の分は終わったから、あなたの分も少し手伝うわよ」
「あ、ああ、ありがとう」
「いえいえ」
俺の机の上からいくらかの依頼書を取り、戻っていく彼女の背中を眺めながら思った。
今日はやけに本心で話しているな、と。
2つ目の声が聞こえてこないのだから、全部が本心ということになると思うのだが、イナリの力が切れたということも考えられる。
本人に聞こうにも、あの神様はいつも気まぐれで現れやがるからな……。
名前を呼んだら出てきたりしないかな。
さすがにそれは無いか。
くしゃみをしたら出てくる魔王でもないんだし、呼んだだけで出てくるなら苦労しない。
そもそも紅葉の前で呼び出すのは良くないだろう。
天井やら壁から現れられたら、紅葉がひっくり返りかねない。俺も初見の時はよく落ち着いていられたなと思うくらいだったし。
まあ、帰ってからでも呼んでみれば―――――
「どーもー!イナリいなり寿司店でーす!ご注文の品をお届けに参りました!」
呼んでないのにきたぁぁぁぁぁ!?
勢いよく扉を開いて飛び込んできたのは、寿司屋の服装をしたイナリだった。
「な、何でお前が……」
「いなり寿司をご注文のお客様は……って、唯斗じゃないですか!どうしてここに?」
「どうしてもなにも俺の学校だからな、ここ。もっと言うと俺の部の部室だ」
「おお、それはそれは!住所を聞いた時に気付くべきでしたね〜」
「住所を……ってことは、本当に注文されたのか?」
「ええ、いなり寿司の5個入りを」
イナリはいなり寿司の入った木箱を差し出す。
それにしても、いつの間に転職したんだ。
というか、店の名前的にこいつが店長かよ。
「それ、私が注文したの。はい、お代はこれで足りるかしら」
「はい!丁度ですね!ありがとうございましたー!」
紅葉、お前かい!というツッコミを心の中でしつつ、イナリに視線を送る。
イナリは察したのか、心を読んだのか、俺の横を通り過ぎる時に小声で「心の声が聞こえないのは、紅葉が成長したからですよ」と囁いた。
「またのご注文をお待ちしておりまーす!」
そう言い残して、彼女は去っていった。
紅葉が成長したから……か。
つまり、少しずつ進展はしてるってことだよな?
「さっきの人、確かカフェで働いていた人よね」
「あ、ああ。転職したみたいだな」
「前の職場よりも活き活きしていた気がするわ。そういうの天職って言うらしいわね」
「お、おう……」
「……」
……ん?これはどう反応すればいいんだ?
もしかして、ダジャレを言ったのか?
転職と天職って……分かりやすいけど反応に困る!
特にそういう流れもなかったし、いきなりぶっ込んで……いや、偶然かもしれないよな。
偶然ダジャレみたいになることってよくあるわけだし。紅葉に限ってこんなスベるギャグを言うわけが……。
「……唯斗くんはいなり寿司1個で我慢してね」(なんで反応してくれないのよぉぉぉ!渾身のダジャレっ!)
普通に言ってました。
壊滅的なのを言ってました。
しかも仕返しが可愛らしい。
1個はくれるんだな。
「じゃあ、この1個を味わって食べるか」
そう言って手に取ったいなり寿司を口に運ぶ。
「美味いな!」
イナリが作ったとは思えないほど美味しい。
甘みはしっかりとしているのに甘すぎる訳ではなく、ご飯の歯ごたえもしっかりしている。
これはお世辞なしに絶品だ。
「ご馳走様でした」
手を合わせて軽く頭を下げる。
紅葉はちょうど3つ目に手を伸ばしたところだった。なかなかに食べるの早いな。
「……」
「……」
しばし沈黙が流れる。
彼女の視線はいなり寿司と俺の顔を行ったり来たりさせて……。
そして、いなり寿司の入った箱を俺の方へとスライドさせた。
「も、物足りなそうな顔をしているから……仕方ないからもうひとつ食べてもいいわよ!」(本当は初めから3つあげるつもりだったんだけど……美味しくて止まらなくなっちゃった)
あれ?今、心の声が聞こえたよな?
「お、おお!ありがとう!」
やっと2つ目の声が聞こえて来たことへの安心感もあって、俺のテンションは一気に上がった。
メトロノームなら針が振り切れるレベルだ。
「そ、そんなに感謝されても……逆に困るわよ……」(ゆ、唯斗くんってそんなにいなり寿司が好きだったの!?これはいい情報をゲットね!)
「ああ、ありがとう!いただきます!」
何か勘違いされてしまっているが、それはそれでいいだろう。
紅葉もご機嫌な様子で最後の一口を放り込んだ。
俺もその甘みを口いっぱいに感じる。
そして、ゴクリというふたつの音が部室の壁に溶けていき――――――。
「「ごちそうさまでした!」」
ふたつの声が重なった。
その日の帰り道で知ったのだが、あのいなり寿司の代金は去年分の部費から出ていたんだとか。
ちゃんと存在してたんだな、部費。
ちなみにいなり寿司の値段を聞いて、某有名家具販売店のCMが浮かんだことは内緒だ。
お値段以上……ってな。
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