体育って才能みたいなところあるのに、それで成績がつくなんて信じられないよな
「どうしてこんなことしなくちゃいけないのよ……」
「まあ、文句言うなって。一応決まってたことなんだし」
文句を言いながら体操座りをしている紅葉を宥めるも、俺も同じ意見だった。
授業が終わり、皆部活をしているであろうこの時間に、俺と紅葉だけがプールサイドに座っていた。
格好はもちろんスクール水着。
そうでないと濡れたプールサイドに座るなんてできないからな。
ちなみに、紅葉は黄色い帽子とゴーグルを紐のところに挟んでいる。
俺たちはただぼーっとしているわけじゃない。
依頼を処理しに来た訳でもない。
補習を受けに来たのだ。
「よーし!2人とも揃ってるな?では、始めようか!」
唐突に入ってきたゴリゴリな体型のいかつい顔の巨体。今時珍しいくらいに熱血な体育教師の
先生も水着を着ているが、上半身にTシャツを来ている。この教師、上裸の状態を女子に見せるのは、女子側が気まずいだろうと配慮するほど、見た目によらず気配り上手なのだ。
ただ、仕上がった肉体美がシャツに浮き出てしまっていて、着ている意味があるのかどうかは分からない。
噂によると、エンジントラブルで動けなくなった車を担いで10㎞先のガソリンスタンドまで走ったことがあるらしい。
そんな人がなぜ体育教師をやっているのか、去年からずっと不思議に思っている。
「2人は男女それぞれで25メートルクロールが1番遅かった。間違いないな?」
「は、はい……」
「……」
あまりはっきり言われると辛いな。
紅葉も無言ではあるが、ちゃんと頷いた。
「俺がそんな2人を、真ん中くらいの速さになれるようにしてやる!」
先生がドーンと胸を張る。
今にもシャツがはち切れそうだ。
「は、はぁ……」
「……」
反応に困るな。
俺も紅葉もやる気はほぼ皆無なわけだし、紅葉にとってはテストでは絶対にかからない補習に水泳でかかったことが何よりも屈辱らしい。
確かに俺も同じだ。
運動が苦手な人からすれば、体育で成績がつくなんて言うのは信じられないことだ。
それで赤点なんてとったものなら、俺は悔やんでも悔やみきれないだろう。
「よーし!じゃあ2人とも、プールに入れ!あ、シャワーは浴びたか?」
「浴びました」
「……」
「よし、なら入ってこい!」
先生は先にプールに入り、俺たちに手招きをしている。
冷たいプールに入るの、嫌なんだよな……。
俺は足の先からゆっくりと水温に慣らしていく。
肩まで浸かったところで思わず「ふぅ……」と息を漏らす。
振り返ると、紅葉が恐る恐る水面に足を伸ばしていた。
「ひうっ!?」
足が水に触れる度にそんな声を出して足を引っ込めている。
彼女の真っ白な肌は刺激に敏感だと聞いたことがある。日焼けなんてするとすぐに真っ赤になってしまうくらいに。
だから、この冷たい水の刺激に驚いているんだろう。
「あぅぅ……」
「大丈夫か?」
俺は手を差し伸べてやる。
「ありがと……」
彼女は申し訳なさそうに、でもどこか嬉しそうにその手を掴み、俺に体重を預けながら、肩まで浸かった。
しばらくの間俺にしがみつくように肩を震わせていたが、慣れてくると俺から少し離れた。
「ありがとう」(唯斗くんは頼りになるなぁ〜)
「いや、いいんだ。出来ればもっと頼ってくれ」
普段部活の作業では8割程彼女に頼ることになっているし、他の部分で彼女をサポートしてあげたいという気持ちがある。
ただ、それよりも大きな理由がある。
頼っている時の紅葉が異常にかわいいんだ。
小さな体でめいいっぱいに頑張ろうとしているんだけれども上手くいかない。だから俺を頼ってくる。
それでもどこかあどけなさが残っていて……。
彼女は本当に天使だと思う。
『呼びましたか?』
『呼んでねえよ。てか、お前は天使じゃなくて神様だろ』
突然脳内に現れたイナリを引っ込めさせて。
「青春だな!はっはっは!」
豪快に笑う先生の元へと2人で泳いで行った。
「えっと……景地は25メートルを泳ぐのに5分かかったんだな。鶫の方は……泳ぎきれなかったのか。よし!大丈夫だ!やる気さえあればなんとかなる!」
なっ!と俺達を見る先生。
空気の違いがすごい……。
「水泳……嫌い……」
紅葉はまだ文句を言っているし、これは長い戦いになりそうだ。
「そうだ!もっと力強く腕をかけ!その調子だ!」
「鶫!もっと太ももの付け根から動かすんだ!水を跳ねさせるな!」
先生の集中補習は本当に厳しくて、30分で俺たちはクタクタになった。
「お前たち、もう疲れたのか?」
「す、すみません……」
「まあ、部活でもないしな!少し休憩を挟むとするか!15分間休んでいいぞ!」
先生はそう言うと、近くのベンチに座り、何故か置いてあるダンベルを持ち上げて筋トレを始めた。
さすがはあの体を手に入れただけはある。
あの人の頭の中では休憩=筋トレなんだろう。
もちろん俺たちはそんなことをするはずもなく、別のベンチに並んで腰かけた。
「どうだ?上手くなってる感はあるか?」
「いいえ。体力と寿命を浪費しているとしか思えないわね」(唯斗くんと近くにいられることだけが唯一の救いだもの)
「俺も同じだ」
1つ目の声にも2つ目の声にも、両方に向けた返事をしながら今にもつりそうなふくらはぎを撫でる。
「そう言えば、私達っていつもビリとビリから2番目だったわよね」
「そうだな、マラソン大会も、山登りも、鬼ごっこも、この水泳も」
「そのせいでこうやってあなたと一緒にいる時間が増えてしまっているのだけれど……」(運命共同体っていうのかしら?きっと離れちゃいけないのよ!)
「そうだな、俺がもっとしっかりしていれば……」
「……そうね。あなたがもっとしっかりしていれば、私は……私達は……」
何かを言いかけて、紅葉は口をつぐんだ。
「どうしたんだ?何か言いたかったんじゃないのか?」
「いいえ、今はやめておくわ。きっともっと伝えるべき瞬間があるもの、ふふっ」
そう、幸せそうな笑顔で振り返る紅葉。
でも、心の声で全部バレバレなんだよな。
(唯斗くんがしっかりしていたら、私は唯斗くんを好きにならなかったかもしれないもの。だから、今のままのあなたでいて……)と。
本当に、顔が赤くなるのを隠すので精一杯だ。
「よし!補習はこれで終わりだ!2人ともお疲れだったな!はっはっは!」
豪快に笑いながら教員用更衣室へと消えていく先生の背中を見送って、俺はその場に座り込んだ。
もう太ももから下の感覚がない。
紅葉も同じようで、少し離れたところで仰向けに倒れている。
女の子なんだし、その格好はまずいと思うのだが、俺しかいないので良しとしよう。
美少女の仰向け姿が見れて眼福だし。
それにしてもその格好だと胸の大きさがよくわかって、なんだか見てはいけないものを見ている気持ちになるな。
「……唯斗くん、見てたでしょ?」
「み、見てないぞ?」
とっさに嘘が口から出る。
けれど、彼女にはバレバレだったらしい。
体を起こしながらジト目で俺を見つつ、それでも口元は緩んでいるのが分かった。
「別に見ててもいいわよ、私でよければ」(むしろ見て!もっと見て!そして抱きしめて欲しいっ!)
補習の疲れからか、毒舌も力を失っている。心の声はいつも通りだけど。
さすがに抱きしめはしないが、お望みとあらば……と、俺は彼女をまじまじと見つめた。
水泳帽を外したばかりの髪の毛はいつものストレートなものと違い、少しだけウェーブを描いている。
その髪からは水滴が自分の胸の鼓動に合わせるように、一定のリズムで滴り落ちている。
俺のものとは違って小柄な彼女の体は、肩幅も小さくて、だけれど胸はすごく主張していて……。
腰はキュッとしているのにお尻はしっかりとしていて……。見れば見るほど、魅力的な体型だと改めて思わされる。
「は、はい!終了よ!も、もういいでしょ?」
さすがに恥ずかしくなってきたのか、紅葉が顔を赤くして立ち上がった。
「わ、私は先に着替えてくるから……。唯斗くんも早く着替えて頂戴ね。女の子を待たせるようなことは無いように、ね?」
紅葉はそう言うと、サッとシャワーを浴びてから更衣室へと入っていった。
と思ったらすぐに出てきて別の扉へ。
男子更衣室と間違えて入ったらしい。
真っ赤な顔をしているのが少し離れたここからでもよく分かった。
余程、観察されたことが恥ずかしかったらしい。
一見完璧人間な彼女のそういう少し抜けた部分。それが俺にとってどうしようもなく愛おしい。
「鶫のことがよほど好きみたいだな、景地」
「おわっ!?せ、先生!?」
突然後ろから声をかけられて飛び上がるように立ち上がる。振り返ると、五里田先生が妙に笑顔で立っていた。
「その慌てっぷり、図星みたいだな!はっはっは!まあ、屋上で告白するくらいだ!本気じゃなきゃあんなことは出来ん!」
「まだそんなことを……。やっとほとぼりが冷めたと思ったところだったんですけど……」
「先生はこう見えて噂好きだからな!佐々木とお前との噂もしっかり頭に残ってるぞ!」
「そっちは完全に忘れてください、佐々木のためにも」
「そ、そんな本気の顔をされたら……うむ、忘れることにしよう」
「……そんなちょっかいを出すために話しかけてきたんですか?」
先程から感じる、どことなく『いつもと違う』という感覚。確信も何も無かったが、俺はそう聞いてみた。
「さすがは万の依頼を解決したと言われている万事部だな!はっはっは!」
「万の依頼って……千もいってませんよ」
「まあ、細かいことはいいでは無いか!……そんなことより、万事部は私的な悩みも解決してくれるのか?」
先生の声が少し小さくなる。
暗黙の了解で秘密にしろということだろうと俺は察する。
「ええ、もちろん。部費が増えるのなら」
「景地、意外と卑しいんだな」
「いえいえ、頭脳派だと言ってください」
冗談めかした口調で言うと、先生の表情も少し明るくなった。
「そんな頭脳派なお前に頼むのもなんだと思うが……聞いてくれ」
一呼吸置いて、先生は頭を下げた。
「俺の告白を手伝ってくれ!」
「まあ、そういう訳で……。今は五里田先生の依頼を最優先にしようと思うんだが……」
帰り道を歩きながら、先程の状況を紅葉に説明する。暗黙の了解っぽいので秘密にしろ感はあったが、はっきり言われた訳でもないし、そもそも万事部の依頼なら紅葉に相談しないわけには行かないからな。秒で口を割った。
空はもう暗くなりかけていた。
「いいんじゃないかしら」
紅葉は立ち止まる。
どうやら彼女の家の前に着いたらしい。
「恋の手伝いをしてくれ、だなんて頼めるのは本気だという証拠よ。それを断る理由なんてないでしょ?」
「紅葉……」
紅葉がいつもより一段と大人っぽく見えた気がした。だがそれも束の間。
(大人同士の恋愛場面を見れば、私と唯斗くんの恋も自然と前進!行けるわ!この作戦なら行ける!)
そんな心の声さえ聞こえてこなければ完璧だったというのに……。
「そうだな。じゃあ、それで決まりだな」
まあ、そんなところも含めて俺の好きな鶫 紅葉だ。自分の恋に精一杯になるのもいいが、時には誰かの恋をで助けすることだって必要だろう。
「じゃあ、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
俺は手を振って、自宅への帰路に着いた。
明日からは少し大変な放課後になりそうだ。
そんな半分不安、半分ワクワクという心情で。
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