脇道に男女がいるとなんだか怪しく見えるけれど、それだけで判断するのは良くないことだと思うんだ

「はぁー、どうしたもんかな……」

 金曜日の朝、俺は今日もいつも通り机に向かっているのだが、その表情はいつもと違っていた。

 文字通り頭を抱え、ため息ばかりついているその姿は、客観的に見れば明らかに『何かやらかした人』だろう。

 だが、俺がこうしている理由はそうでは無い。

 昨日、神社からの帰り道で見かけた紅葉、それと金髪の男。あの時に見た光景がずっと頭から離れないでいるのだ。

 何なんだ、あの体勢は。

 まるでこいつは俺のもんだと言わんばかりの壁ドン。ドンとしたのかは分からないが、奴が紅葉に男らしさをアピールしていたのは明らかだった。

 つまり、あの金髪男は紅葉を狙っている。

 だが、それを良しとするわけには行かない。

 例え紅葉があっちの男になびいたとしても、俺は彼女のことが好きなのだから。

 ここで『そうですか、なら諦めます』といって引き下がるほどヤワな恋愛はしていない。

 恋愛において障害は付き物だ。それは避けては通れないものであって、逃げるわけにも行かない。

 そこでその障害を乗り越えようと努力するのが『本気』、諦めてしまうのが『遊び』。

 俺の恋愛は何年も前から前者だ。そしてこれからもずっと。後者になることなんてありえない。

 そう言いきれる自信が俺にはある。

 あんなチャラそうな奴に紅葉を渡すわけには行かないだろ。

 俺の心は対抗心に燃えていた。

「どうしたの?いつにも増してやる気がある目だけど」

「おお、雅。俺、今日の放課後に金髪男と戦ってくるぞ」

「た、戦う!?そ、それってどういう……」

「よし、そうと決まれば準備体操しとかないとだな」

 心の準備をするには体を動かすといいと言われている。心と体は繋がっているからな。

「ちょ、ゲッチー!?」

 俺は椅子から立ち上がると、ラジオ体操を始めた。

 クラスメイトの様々な視線が飛んでくるが、そんなことを気にしてはいられない。

「ねぇってば!」

 いざとなったら紅葉を連れて逃げることだって視野に入れておく必要があるしな。

 念には念を、いい言葉だ。

「ゲッチー!聞いてよぉ!」

「ん?なんだ?」

 雅が俺の肩を掴んで無理やり振り向かせる。

 あれ、こいつって意外と力強い……?

 掴まれた肩の感触から察する。

 俺より握力強いかもしれん……。

 もうすぐ体力測定だよな。それまでに少しはトレーニングしておくか。

「ゲッチー、私も一緒に行く!」

 ほう、雅も来てくれるのか。

 だが、ここは俺ひとりの力で何とかしたいところだ。雅には悪いが断らさせてもらうか。

「悪いが――――」

「ダメって言ってもついて行くから!」

「だ、だよな……」

 彼女のモットーは『何事にも全力』。前にそう言っているのを聞いたことがある。

 だが、全力になりすぎるといつもブレーキを踏むことを忘れてしまうのだ。

 それが新庄 雅の良いところであり、悪いところでもある。

 そんな彼女はこうなると俺には手をつけられない。

 サチさんに助けを求めたいところだが、こんな時に限って居ないのはどういうことだ。

 これは、諦めるしかなさそうだな。

 いざと言う時の戦力が増えたと思うことにしよう。

 何やらすごく心配そうな表情をしている雅にやたらと心配されながら、1限目の始まりを告げるチャイムが鳴るのを待った。




 勢いで『一緒に行く!』なんて言っちゃったけど、だ、大丈夫かな……。

 ゲッチー、金髪男と戦うって言ってたけど、それってつまり殴り合いってことじゃ……。

 そんなのだめ!もしゲッチーに何かあったら、私もう生きていけない。

 だからいざと言う時は私が何とかしなくちゃ……っていう気持ちで放課後に部活を終えたゲッチーと無理矢理合流したんだけど……。

 今歩いてるのは確かゲッチーの帰り道だよね。

 前に通ったことあるから覚えてる。

 ゲッチーは一体どこで金髪男と戦うんだろ……。

 やたらと一歩一歩が重く感じる。

「ね、ねえ、ゲッチー?」

「なんだ?」

「あ、危ないことしないよね?」

 何度抑えようとしても体の内側から溢れ出てくる不安感から、私はそう質問していた。

「場合によってはするかもな。大丈夫、死んだりはしないだろうから」

「そ、それって大丈夫なのかな……?」

「なんだ、心配なのか?それなら着いてこなくても……」

「い、いや!その方が心配だよ!」

「そ、そうか?よく分からんな」

 ゲッチーは眉をひそめながら首を傾げる。

 どうやら納得はしてくれなかったらしい。

「よし、ここだ」

 ゲッチーがそう言って立ち止まったのは脇道に入る場所の手前。時計を見ながら「18時ちょうどだな」と言っていることから、時間が決まっていたらしいことが分かる。

 ゲッチーが脇道を覗き込むのを見て、私も同じようにする。無意識に密着しちゃったけど、そこはなるべく意識しないようにして……。

 じゃないと心臓の音が伝わっちゃいそうだし。

 でも、暗くてよく見えないな……。

 私はよーく目を凝らしてみる。

 光の差し込まない脇道は暗くて、まるでここだけが夜のようだった。

 それでも少しの間目を凝らしていると、目が慣れてきたようで、だんだんと人影が見えてきた。

「あれ?鶫さん?」

 そこに居たのは鶫さんだった。

 見間違いではないはず。目をこすってみても同じにしか見えないから。

 なんでこんな所に彼女がいるんだろうか。

 その立ち方や目線をの動かし方から、誰かを待っているように思える。

 彼女の待ち人はゲッチーでは無いはず。だってそれなら学校から一緒に来ればいいだけだから。

 そうなると、彼女が待っているのは一体……?

「紅葉ちゃん、お待たせ」

 どうやらその答えがやってきたようだ。

 高身長ですらりとした体型。整った顔立ち、そして金髪。

 これがゲッチーが言っていた金髪男なのか。

 想像とかなり違っていたことに一瞬戸惑ったが、それで声を出してしまっては覗いている意味が無い。ゲッチーにも迷惑をかけることになるだろうし落ち着けと、俺は自分自身に言い聞かせるように頭の中で唱えて深呼吸をした。

 で、でも、ゲッチーは今からあの高身長の金髪の人と戦うんだよね。

 ゲッチーには悪いけど、絶対に不利だと思う。

 きっと鶫さんのことが絡んでいるからムキになっているんだろうけど、この際諦めて、あわよくば私のことを好きになって欲しい。

 こう思ってしまうのはきっと私の性格が悪いからなんだろうけど、仕方がないことだから。

 恋は盲目、自分に都合よく目をつぶるものなの。

 だけど、私は片目しかつぶれないんだろうな。

 心のどこかでそう思っている。

 だって、諦めることを押し付けるのは、今のゲッチーにとって嫌な選択をさせることになるのだから。

 ゲッチーが嫌がることはしたくない。

 だから、私はただ彼のすることを眺めていることしか出来ない。

 心の瞳を閉じて、じっと堪えることしか許されないのだから。

 今の私には、今にも飛び出して言ってしまいそうな彼を、私から離れて鶫さんの元へと行ってしまいそうな彼の背中を、見守っていることしか出来ない。

 なんだか、とても虚しいな。

 心の中で呟いた。

 叶えるために恋をしているのに、どこか違う方向に走っているような気がする。

 私は一体、何がしたいの?

 自分に問いかけてみる。

 私は自分の恋を成就させたいの?

 それとも好きな人の恋を応援したいの?

 好きな人が幸せになるならそれ以上に望むことは無い。幸せにするのが自分ならもっと嬉しい。

 だけど、目の前で悩んでいる彼は、果たして素直にその幸せを受けいれてくれるの?

 分からない、と心の中の自分が言う。

 わからないことからの不安感が私の体を硬直させる。

「大丈夫か、雅」

 振り返りながら彼が言う。

 その一言だけでも私は我に返ることが出来た。

 止まっていた血液が、指先まで巡り始めた気がした。

 彼は鶫さんに一途だ。

 それでも、私のことだって気にかけてくれている。

 何も、眼中に無い訳では無いのだ。

 そう思えた途端、自然とため息が出た。

 失望のじゃない、希望のだ。

 肩の力を抜き、私は彼に笑いかける。

「私は大丈夫―――――だから、ね?」

 そして両手でそっと彼の背中を押す。

 驚いたように振り返りながら、暗い脇道へと踏み込んでいく彼の背中を見つめながら、私はふふっと笑う。

 わざわざ鶫さんに有利になるように動いた自分を嘲笑うように。そして、どこからともなく溢れてくる達成感に浸されるように。

 まだ、巻き返すチャンスはいくらでもある。

 恋愛は勝った方が正義、負ければ邪魔者。

 だけれど、ズルをして勝っても意味が無いから。

「ちゃんと鶫さんよりも私って、言ってもらって勝つんだから……」

 私はそっと脇道に背を向ける。

 ここから先は私の踏み込んでいいものじゃないから。彼と鶫さんのお話だから。

 私はまた明日、普通の顔で彼に接すればいいだけ。

「また明日ね、ゲッチー」

 そう小さく呟いて、その場を後にした。



 いきなり背中押すなんて、あいつらしくないな。

 でも、正直助かった。

 俺には踏み込む勇気がなかったから。

 おかげで第一歩は――――――って思ったんだけど……。

「なんだ、お前」

 高身長金髪男に見下ろされるの、怖ぇぇ!!!

 ていうか、近くで見ると結構美形だな。男!というよりも中性的な感じで……って、俺はなんで解説してるんだよ!

「あ、えっと……」

「何をしに来たのよ。まさか、ストーカー?」(ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆいとくん!?な、なんでこんな所にぃぃぃ!?)

 冷静を装っているようだが、心の声がダダ漏れだ。

 ただ、俺も同じくらい焦っている。

「ストーカーって訳では……いや、追いかけてきたんだからそうなるのか……?」

「言質が取れたわね、警察に行きましょうか」(追いかけてきた……?どうして?)

 そう言って俺の手を掴む紅葉。

 今の彼女になら本気で警察に突き出されそうだ。

 俺は慌てて声を上げる。

「ま、待ってくれ!」

「何よ、今更謝ったって……」

「警察には突き出してくれても構わない。でも、これだけは聞かせて欲しいんだ」

「何をかしら?」

 紅葉は俺の腕から手を離して、ため息をつく。

 俺はどうしても知りたかったことを聞き出すために、質問を投げかけた。

「お前はその金髪男のことが本気で好きなのか?」

「……は?」

 紅葉が何を言っているんだという目で俺を見る。

 あれ?俺、変な事言ったか?

「男なんて、あなた以外にはどこにもいないわよ?」

 いや、紅葉の方が変なことを言っている。

「いるだろ?そこの金髪の」

 俺が紅葉の背後にいる高身長金髪男を指差すと、紅葉は「ああー!」と納得したように頷いた。

 そして彼に対して手をこまねく。

彩乃あやの、招待を教えてあげて」

「わかった!」

 元気な返事をする彩乃と呼ばれた男―――――ってあれ?さっき聞いたのと声が違うんだが……。

 さっきまではイケボに分類されるものだったはずなのに、今聞こえたのはまるで幼い女の子のような声だ。

 俺が頭にハテナを抱えていると、彩乃が俺に向かって頭を下げた。それと同時に付けていたウィッグを取り外す。

「私、由々木ゆゆぎ 彩乃あやのって言います!紅葉お姉ちゃんの従姉妹です!あ、女の子です!」

 俺は顔を上げた彼女を眺める。

 ウィッグの中に隠されていた黒髪のツインテールが露になり、女の子感が格段に増した。

 それに綺麗な瞳だ。とても嘘をついているとは思えない。

 だが……。

「い、従姉妹って……歳上なのか?」

「いえ!お姉ちゃんよりも3つ下の中学二年生です!」

「それにしては背が高すぎやしないか?」

 1番の違和感はそこだった。

 俺よりも5cmほど高いその身長は、偏見かもしれないが、中学二年生女子のものとは思えない。

「あ、それについては……」

 彩乃がよいしょという掛け声をすると、彼女の足元でカランカランという軽い音が鳴った。

 見てみると超厚底のハイヒールが転がっていた。

 そこは20センチくらいだろうか。

 彩乃を見てみると、彼女の身長もちょうどそれと同じくらい縮んでいた。

「本当の身長はこれくらいです!」

 そう言って微笑む彼女の姿は明らかに女の子。

 もう、疑う余地はなかった。

 無理矢理確かめるわけにも行かないしな。

 そんなことをしたら本当に警察に連れていかれてしまう。

「でも、なんでそんな格好してたんだ?」

「彼女、男装が趣味なのよ」

 紅葉が口を開く。

「男装はしたい。でも、身長が低くいと似合わないし、ツインテールも必要ない。だからそれを隠すような姿をしていたのよ」

「そ、そういうことか……」

 まさか、そのために20センチものハイヒールを履いたのか。絶対慣れるまで大変だったろうに。

「もしかしてだけど、唯斗くん。私のことを心配してくれたりなんて……」

 紅葉が伺うような視線を向けながら聞いてくる。

 ここで嘘をつくのは何か違う気がして、俺は正直に答えることにした。

「ああ、すっごい心配した。そりゃそうだろ、好きな人が奪われるなんて思ったんだから」

 俺が照れながら言うと、紅葉はふふふと笑う。

「あなたって意外と心配性なのね。安心しなさい、私は誰のものにもなる気は無いわ」(婚姻届、私の名前の隣は唯斗くん専用だよっ♪)

 その言葉を聞いて、俺は一気に力が抜けた。

 肩の力を抜いたとはいえ、金髪男の姿の彩乃に見下ろされた瞬間からは、また元に戻ってたからな。

 気を抜いたら腰が抜けそうだ。

「そうだな……はは。それは安心だ」

 俺は心の底から安堵の溜息をつく。

「唯斗さん、大丈夫ですか?」

 彩乃が心配そうな目で聞いてくる。

 やっぱりハイヒールを履いてないと小さいんだな。

「ああ、大丈夫だ。俺は今、すごく幸せだよ」

「そ、そうなんですか……?」

 紅葉の本心を知らないであろう彼女には理解できないと思うが、それならそれでも良かった。

 二人の間だけの秘密みたいな感じで、心地いいしな。

 そんな俺の横を、紅葉は通り過ぎて路地に出る。

 そして振り返りながら言う。

「さ、帰るわよ」

 太陽の光に照らされたその時の彼女の満面の笑みは、きっとこの先ずっと忘れることは出来ないだろう。

 俺はそれに応えるように力強く頷いた。





 その日の夜、紅葉から連絡先を聞いたという彩乃からRINEで電話がかかってきた。

『今日はなんだかご迷惑をかけてしまったみたいで……すみません!』

『いや、気にしないでいいぞ。それよりも、紅葉に従姉妹がいたなんて知らなかったな』

『最近まで遠くにいましたから。話を聞くこともなかったんじゃないですか?お姉ちゃんからは唯斗さんの話らたくさん聞きましたけど……』

『俺の話!?どんな話だ!?』

『ひ、必死ですね……ふふ。まあ、唯斗さんは仕事が出来ないから私がしなくちゃいけなくなる……みたいな愚痴っぽいのばっかりですけどね』

『な、なんだ……』

『そんな話ばかり聞いていたので、ダメな人なのかなと思っていましたが、実際に会ってみて分かりました』

『何がだ?』

『唯斗さんはダメな人じゃないってことです!お姉ちゃんをよろしくお願いしますね!』

『ああ、言われなくてもそうするさ』

『ふふ、頼もしいです!では、そろそろおやすみなさいですね』

『ああ、おやすみ』

 ツーツー

 スマホを耳から離し、俺はひとりで微笑む。

 あんなに奥手な紅葉の従姉妹が、ここまで素直だとは信じられないな。

 とてもいい子そうで何よりだ。

「よし、風呂入るか」

 誰に言うでもなくそう呟いて、俺は椅子から立ち上がった。

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