どうでもいいことは忘れるって言うけど、どうでも良くないことも忘れちゃうよな。あれはかなり困る
木曜日の放課後、部活を終えた俺は、珍しく紅葉からどうせなら一緒に帰りましょうかと誘われた。
だが、俺はそれを断った。
いや、本当なら一緒に帰りたかったし、勇気を振り絞ってくれたのがよく分かったからこそその気持ちに応えてあげたかったのだが、それが出来ない理由があったのだ。
『今日の放課後、恋稲荷神社に一人で来てください』と、朝イチでイナリから言われているのだ。
『一人で』という制限がある以上は、紅葉を連れていくわけにも行かないからな。
彼女の寂しそうな表情は見ていて心が締め付けられるようだったが、ここは堪えるしかない。
そう思って別れを告げた。
そしてちょうど今、神社に着いたところなのだが……。
イナリが見当たらない。
まだそこまで暗くはないし、人影が見えればすぐに分かると思うのだが……。
そう思って眉をひそめた直後――――――。
視界が真っ暗になった。
「だーれだ♪」
そして耳元で囁かれる。
その妙な背徳感とこそばゆさに、背中に電気が走ったような感覚を覚える。
「って、イナリだろ?」
「あれれ?バレちゃいましたか、てへっ」
視界が元に戻ると、案の定背後からイナリが現れた。今日はいつもの一風変わって、巫女装束を着ている。
「バレバレだろ。声を変えてたみたいだが、軸っていうか芯が変わってないからな。これだけ聞いてたら誰でもわかるだろ」
シチュエーション的にもお前しかありえないしな、と付け足す。
「そうですか?結構練習したんですけどね、病神の声マネ」
「お前、そいつのこと嫌いなんじゃなかったのか?嫌いな奴のマネして何が楽しいんだよ」
俺が呆れたように言うと、彼女は怪しげな表情でふふふと笑った。
「逆ですよ、逆。奴の声をマスターすれば、それを使って貶めることが出来ますからね」
「お前、合コンのこと根に持ちすぎだろ」
「そ、そういうわけじゃないですから!もう……男は諦めましたから……ぐすっ……」
「この短期間の間に一体何があったんだよ……」
確か、前に彼女と顔を合わせたのはテスト三日前からテスト期間中にかけてだったか。
勉強中の俺を邪魔するために生まれたのかと言わんばかりに余計なことばかりをする彼女に「頼むから出て言ってくれ!」と怒鳴ったんだったな。
何も言わずに立ち去る彼女を見て、少し言い過ぎたかと思ったんだがな。
菓子を勝手に取ってきてボリボリ音を立てながら食べ始めた時には、もう心が折れかけた。
駄女神のメンタルが超合金並で辛い……。
それが1週間毎日だったんだから、その状況でもめげずに80点台をキープできた俺をもっと褒めてもらいたいくらいだ。
あと、食べた分の菓子代返せ。
全部俺の小遣いから払ってるんだからな。
俺がそんなことを考えているのを知ってか知らずしてか、いつの間にやらいつもの笑顔に戻っているイナリ。
こいつ、多分調子に乗って失敗しても、忘れてまた調子に乗るタイプだな。
「では、そろそろ本題に入りましょうか」
「それは俺の台詞だろ。余計な茶番を入れたのはお前なんだし」
「ささ、気にせずにこちらへどうぞ〜♪」
「聞けよ……」
あくまで都合の悪いことは無視。
その意思を貫くイナリ様は、俺に向かって手招きしている。
彼女の性格上、こうなればもう聞く耳も持たないだろうし、素直について行くか。
諦観のため息をついた俺は、彼女の案内に従って神社の建物の中へと進んだ。
「ていうか、こんなところに俺みたいな一般人が入ってもいいのか?」
用意された座布団に座った俺は、その部屋を見渡して呟くように言った。
なにせ、ここは神様のために用意されたであろう部屋だ。普段、参拝した時に見える部屋のさらに奥にあるその部屋には、金色に輝く仏像だったりお供え物だったりが大量に置かれている。
「いいんですよ〜♪だって、私の部屋ですし。自分の部屋に人を招いちゃいけないなんて決まり、どこにもありませんからね〜」
言われてみればそうだよな。
いくら神様らしくないと言っても、自分の部屋だからと言ってだらしなく寝転んでいるようなのでも、神様は神様だ。
自分が祀られているのだから……というのは理にかなっていると思う。
まあ、他の人にこれを説明したら、きっと次の日から避けられるんだろうけど。
「ほらほら、唯斗も正座なんて疲れるでしょう?足を伸ばしてもいいんですよ?」
「そうか?じゃあ遠慮なく」
部屋主の許可も得たことだし、もう少しで痺れそうな両足を解く。その開放感に思わず「ふぅ〜」という声を漏らしてしまう。
正座をした後って、足を伸ばせることの幸福感をしみじみと感じるよな。
俺は、正座式よりも断然掘りごたつ式派だな。
「というか、そろそろ要件を教えてくれないか?わざわざ呼び出したってことは、ここでしか言えないことなんだろ?」
俺が切り出すとイナリは「そうですね」と言って、だらしなかった体を起こして座布団の上に座った。
これは余程大事な話だと見た。
自然と背筋が伸びる。
「実は……」
「じ、実は?」
「………………」
や、やけに溜めるな……。
周りからは何の音も聞こえてこないし、ここまで静かだと、自分の心臓の音が聞こえてきそうだ。
「…………Zzz」
「寝るなよ!?」
「んぁ?あ、おはようございます」
「おはようございます、じゃねぇよ!用件を言えって!」
「用件?あれ、なんでしたっけ?」
こいつダメだ……。寝たら忘れるとはよく言うが、よくその短時間睡眠で忘れられたな。
「まあ、忘れたってことはそこまで大事じゃないってことですよ!」
そう言ってはっはっは!と笑うイナリ。
親指まで立てて、こいつは一体どこまで能天気なんだ。ここまで来ると能天気というより馬鹿なんじゃないかと思われても仕方ないぞ。
「唯斗、そんな顔しちゃダメですよ?気にするなどんまいです!」
「絶対お前が言っちゃダメだろ……」
本当に、この駄女神が妥女神になる人いつになるんだろうか。
こんなことなら約束なんて破って紅葉と一緒に帰ればよかった。
そうは思っても後の祭り。仕方が無いのでイナリの部屋で一休みさせてもらうことにした。
「泊まっていきます?お風呂ないですけど」なんて言われたが、丁重にお断りさせていただいた。
いくら神様でもフォルムが女の子な訳だし、そこに泊まるのはいかがなものかと思う。
イナリもイナリでそういう所にデリカシーがないんだよな。自分の身の安全ってのを気にしないタイプなのか?
つい最近紅葉を泊めた俺が言えることでもない気がするけど。
まあ、こいつなら俺が襲っても指1本で消せるだろうから問題ないのかもしれないが。
「てか、お前、お風呂もないのにどこで体洗ってるんだよ」
単純な疑問だった。
イナリからは悪臭がする訳でもないし、ここだけの話、むしろいい匂いがする。
紅葉のものとも、雅のものとも違うし、神様特有の匂いなんだろうか。
ずっと近くにいたら安心して眠ってしまうような甘い香りなのだ。
「唯斗、今私のこと考えてましたね?やっぱりいかがわしいことするつもりなんですか?」
「んなわけあるか!俺は紅葉一筋だって!」
慌てて取り繕ったが、そう言えばイナリは心を読む力があるんだったな……。
こいつの前で変なことを考えるのはやめておこう。
それをネタにからかってくるだろうし、それにいちいち反応するのも面倒だ。
俺は心の中で『紅葉大好き』を連呼する。
これで俺の心の中は紅葉で満たされたはずだ。
イナリが「く、紅葉大好きに押しつぶされそうです……うわぁぁ!」とか言って倒れているのを見る限り、上手くいっているらしい。
ていうか、心の中を見るとそれに押しつぶされそうになるんだな。便利に見えて意外と大変そうだ。
「ふぅ、もう少しで唯斗の中の紅葉に消されるところでしたよ」
「そのまま消えてしまえばよかったのにな」
「あ、あれ?唯斗?なんだか紅葉みたいなこと言うんですね?」
「そうか?本心を言っただけなんだが……」
「本心を出しすぎるのも罪なんですね……。勉強になりました!」
ビシッと敬礼するイナリ。どこまでもポジティブな奴だ。
「よし、そろそろ帰るか」
「もう帰るんですか?今夜はオールしましょうよ、オール!」
「泊まらないって言っただろ?俺は明日も学校があるんだ」
「私だって明日はカフェのバイトがあるんです!」
「じゃあ尚更寝ろ!お客さんに迷惑かけたらどうするんだよ」
「その点は安心してください!既にかけまくりです!」
「胸を張るな!」
こいつ、迷惑も声もかけないとか宣言してたくせに、結局かけてるんじゃないか。
「ていうか、バイト代なんてどこに使うんだよ」
「それは合コンの参加費だったり、新作ゲームを買ったり……」
「お賽銭でやりくりしろよ!」
「お賽銭は神主さんが持ってっちゃうんですよぉぉ!」
「そんなの神様なんだからなんとでも…………ん?」
ふと、俺は足音が聞こえてくることに気がついた。
それはだんだんと近付いてきていて―――――――勢いよく障子を開いた。
「稲荷様!わたくしめを呼ばれましたか!」
飛び込んできたのは袴を着たおじいさん。
頭はツルツルだし、見た目は70代くらいに見えるが、体つきはまだまだがっしりしていて、足腰も強そうだ。
「神主、呼んでませんよ!というか、部屋に入る時はノックくらいしてください!」
「し、失礼しました!ところで、そちらの方は……?」
神主と言われたおじいさんは俺の方に目線を向けながら言う。
ていうか、この神社の神主なんて初めて見たかもしれない。居たんだな……って、そりゃ居るか。神社だもんな。
「彼は唯斗、私が今、主に担当している恋の浮浪者です」
浮浪者といういわれ方もあまり納得がいかないが、間違いでは無いと思うし、何も言わないでおいた。
イナリは次に、俺の方を向きながら神主さんの方を示しながら言う。
「彼はこの神社の神主です。そして同時に私の神付きでもあります。神付きというのは、神様をサポートする役割を担った神様見習いというところですかね」
「ほう、そんな人がいたんだな」
「ええ、身の回りの世話から仕事の処理まで、幅広くやってくれています」
「それ、ただの雑用じゃねぇか」
「神様の世界は厳しいんですよ♪」
笑顔でピースするイナリ。
いつか神主さんにパワハラで訴えられないか心配だ。まあ、今のところは大丈夫そうだけど。
いつか飼い犬に手を噛まれるじゃなくて、神付きに噛みつかれるなんてことの無いようにして欲しい。
なかなか上手いことをいえたんじゃないかと内心喜びながら、俺は2人に別れを告げて帰路に着いた。
あと数分歩けば自宅という場所で俺はふと足を止める。どこからか男女の話し声が聞こえたからだ。
その声はどうやら俺が歩いている広めの道ではなく、その脇に伸びる細い裏道から聞こえてくるようで……。
俺はそっと覗き込んでみた。
「……っ!?」
思わず声が出そうになって、慌てて口元を押さえる。
「じゃあ、また明日の午後6時にここで」
高身長で金髪のチャラそうな男に、片手をポッケに突っ込みながら壁ドンのような体勢で見下ろされている黒髪の女の子。
「ええ、忘れないようにしておくわね」
そう言って軽く微笑む彼女に、俺は見覚えがあった。いや、見覚えなんてもんじゃない。
脇道故に光が届きにくく、見えづらさはあったが、あれは明らかに鶫 紅葉だった。
男の方は分からないが、あの様子を見るとナンパって感じでも無さそうだった。
明日また会う約束をしているのだ。それは絶対にない。
だが、あの親しげな笑顔は。本心を隠すための冷徹なマスクを取り払ってしまった後のそれは。
どう見ても恋人の距離だった。
それを意識した瞬間、俺の頭の中にひとつの結論が浮かんだ。
『紅葉は俺を好きでは無くなったのではないか』
俺が彼女と帰ることを拒んだせいで、俺に対しての恋心が冷めてしまったのではないか。
そんな簡単に……と思うかもしれないが、恋というのは理由もなく始まり、些細な理由で終わることもあるものだ。
俺の一方的な理由で彼女の勇気を無下にしたことが引き金となり、恋が冷めた。
その反動で別の男の元へと走った。
そういうふうにも考えられる。
信じたくはないが、あの笑顔はそういうことなのだ。
男が紅葉から離れるのが目に写り、俺は反射的に走り出した。
今、彼女たちと鉢合わせるのはまずい。
本能的にそう察したからだと思う。
そのまま家まで走ると、俺はベッドに飛び込んだ。
今日はもう、他に何かをする気にもなれそうにないし、食事も喉を通りそうになかった。
俺はうつ伏せで枕に顔を埋めたまま、朝まで眠った。
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