噂は聞き流すのが一番だと言うけれど、聞き流せない噂もいくらかはある

 月曜日の朝というものはなぜこうもかったるいのだろう。

 おそらく日本の高校生の過半数はそんなことを思った経験があるはずだ。

 もちろん俺もその過半数のうちのひとりであり、そして今もそんなことを思いながら教室の机に突っ伏しているのだが――――――――。

「ねえ、ゲッチー?ちょっといいかな?」

 俺の願いとは裏腹に、やはり彼女は声をかけてきた。

「……なんだ?」

 要件は大体予想がついているが、自分から言い出すわけにも行かず、あえて会話に遠回りをさせる。

「あのね……噂で聞いたんだけどね……」

 やっぱり。

 俺は心の中で呟いた。

 この台詞を聞くのは今日で6回目だ。

 これまでの5回はクラスメイトの男子からだった。

 やっぱり女子だけじゃなくて男子もこういう話題は好きなんだろうな。

 俺はそう思いながら口を開く。

「昨日のことだろ?」

 雅は無言で頷く。

 その表情は今までのクラスメイト達の興味津々なものとは大きく違い、どこか不安そうに見えた。

 なぜそんな表情をするのかは分からないが、彼女が勘違いをしているのは確かだ。

 その誤解を解く必要があるだろう。

 誤解されたままっていうのも支障が出るかもしれないしな。

「昨日、黒髪の可愛い女の子とデートしてたって聞いたんだけど――――――」

 予想通りの言葉を遮るように、俺は弁解の声を上げた。

「それ、妹だ」

「……え?」

 雅は目を丸くする。

 まあ、そうだよな。

 周りから見たら美少女とフツメンの俺がデートしてたようにしか見えないよな、あの買い物デートは。

「俺が母さんと父さんと離れて暮らしてるのは知ってるだろ?妹は母さんと一緒に暮らしてるんだ。昨日は久しぶりにあったってのもあって一緒に買い物をな……」

 紅葉に対する審査やガチ告白のことはあえて伏せておく。雅に言う意味も特にないからな。

「そ、そうなんだ!私、彼女でもできたのかと思って祝福を……なんてね、ふふ」

 安堵の笑みというか、緊張が解けたような表情をする雅に疑問を抱きながらも、俺は他の人には聞けなかった質問を彼女にする。

「ところでその噂、誰から聞いたんだ?」

「え?あ、それは……その……」

 分かりやすく目を泳がせる雅。

 おかげで大体の目星はついた。

 あとは一言あいつだと言ってくれればいいんだが……。

「嘘を流されてるんだ、俺を助けると思って教えてくれないか?」

 と、俺はポケットから某コンビニのアイスクリーム割引券を取り出して彼女にチラつかせる。

「佐々木さんだよっ――――――――って、言っちゃったぁぁぁ!言うなって言われてたのに……ゲッチー、ハメたな!」

「アイスごときで釣られるお前が悪い。まあ、教えてくれてありがとな」

 俺はついでに肉まんの割引券も重ねて、不満そうな顔をする彼女の額に押し付けた。

「賄賂は受け取らない主義なんだけど……」

 そう言いながらちゃっかり財布に割引券を入れた彼女を背に、俺は教室を出た。


「おい、佐々木」

 俺は彼女のいるはずの教室に踏み込んだ。

 突然の訪問者に数名はこちらを振り返ったが、皆すぐに元の会話へと戻っていった。

 俺はそんな教室の中心で話をしていた女子生徒の肩を叩いた。

「ん?あ、久しぶりですね、景地くん」

「久しぶりですねじゃねぇよ。噂の元凶はやっぱりお前だったんだな」

「あはは、バレちゃいましたか〜」

 そう言いながらも能天気そうな笑顔を浮かべる佐々木。まるでバレることまでを計算していたかのように思わされてしまう。

「しかし、噂好きとしてはそこは広める以外の選択肢はなかったわけで……」

 佐々木 雀は『噂のスズメ』という二つ名を付けられるほどの噂好きだ。

 広報部副部長である彼女にとって、情報を広げるということは仕事でもあるわけで……。

 この学校の噂の発信源は9割8分は彼女だと言ってもいいだろう。

 俺もショッピングモールにいる所を運悪く彼女に見つかってしまったというのが運の尽きだったな。

 かつてはその広報力とネタ力によって、学園のアイドルの危機を救ったこともある彼女だが、対象が自分となるとやっぱり気分は良くないな。

「とりあえず、お前からもあの噂は嘘だと言ってくれ。あれは単なる妹との買い物だ」

「信じられませんね……。あんなに可愛い子が景地くんの妹だなんて……」

「そこはかとなく俺のことをバカにしてるだろ?」

「そんなことないですよ〜?ただ、遺伝子の不思議を感じただけで……」

「よし、万事部は今後一切、広報部からの依頼は受けないことに決定する」

「ご、ごごごごめんなさい!この通りですから!どうかそれだけは……」

 瞬時に土下座をする佐々木。

 俺達の万事部はかなりの頻度で広報部をサポートしている。

 特に文化祭や体育祭などのイベント事の時なんかは、人手の足りない彼女らの仕事を半分ほど代わりにやっている。

 そんなこともあって広報部からの信頼は厚く、必要不可欠と言っても過言ではない俺たちに大口を叩けばどうなるのかを、彼女はよく理解してくれているらしい。

 まあ、これくらいで手伝わないなんてことはありえないが、こいつは放っておくと暴走してしまうからな。

 ある程度のところで謝罪という名のブレーキをかけさせた方がいいのだ。

「とりあえずはよろしく頼むぞ。妹との恋愛疑惑なんざ、広められてたまるかよ」

 俺は彼女に背を向けたまま軽く手を振って、自分の教室へと戻った。

 とりあえずはこれで一安心なはずだ。

 あんな噂が流れたままじゃ、紅葉と顔なんて合わせられないからな。

 一応、俺からも妹だったということを言っておくか。

 念には念をって言うしな。

 そうこうしているうちに、1時限目の予鈴が鳴った。

 教材を用意するのを忘れていることに気付いた俺は、慌ててロッカーから教材を取り出して席に戻った。既に担当の教師は教卓の前に立っている。

 佐々木のせいで忘れ物になる所だった。

 俺は忙しない朝に軽く、ため息をついた。



 そして放課後、俺は急いで部室に向かった。

 紅葉はもう教室にはいなかった。

 つまり、先に部室に向かったということだ。

 朝の予定通り、彼女に昨日のことを説明するためにかなり早く走ったつもりだったのだが、部室には紅葉以外にもうひとり、先客がいた。

「あはは、景地くん……ごめんね?」

 佐々木だ。彼女は何故か俺に対して頭を下げている。今朝のことならもう十分謝ってもらったつもりなんだが……。

 そんな俺の考えは紅葉の一言によって吹き飛んだ。

「ねえ、唯斗くん。あなたは佐々木さんのことが好きなのかしら?」(ち、違うよね?嘘なんだよね?お願いだから嘘だと言って……)

 心の声も合わせれば二言だが、細かいことは気にしないでおこう。

 ともかく、俺は「え……?」という声を漏らすと同時に佐々木の方を見た。

 彼女はどこか申し訳なさそうな、そしてどこか恥ずかしそうな曖昧な表情をしていた。

「えっと……佐々木?どういうことが説明を頼む」

「え、あ、うん……。えっとね――――――」

 彼女の話をまとめると、俺に噂を嘘だったと言ってこいと言われた直後に行動したが、以外にも噂の粘着度が高く、弁解するのに手間取ったと。

 その過程でとあるギャルが「雀ちん、そんなにその人のこと必死に話して……好きなの〜?」なんて発言をしたことが始まりらしい。

 そこから佐々木といういい意味でも悪い意味でも有名人な存在がネタであるということもあり、彼女が俺のことを好きだいう疑惑の噂が一気に広まってしまったと……。

 話を聞く限り、今回は佐々木に非があるわけでもなさそうだ。

「佐々木、気にするな。また弁解すればいいだろ」

「う、うん……ごめんね……?」

 佐々木はやたらと紅葉の方に目線をやっている気がするが、二人きりの時に何かあったのだろうか。

 もしかして……紅葉が俺のことを好きだと伝えたとかか?

 一瞬はそうも思ったが、やっぱり無いなと首を横に振る。

 紅葉は超奥手だ。

 面と向かって好きだと伝えた俺にすらその本心を口にしていないと言うのに、噂好きな佐々木に相談なんてしないだろう。

 だとすれば、その意味深な視線はなんなのだろうか。

「私、もう一度皆に言ってくる!あれは間違った噂なんだって!」

「おう、頼む!」

 走り去っていく佐々木を見送り、俺は紅葉の方に視線を向ける。

 二人きりの空間が、いつもよりも静かに感じた。

 紅葉は、話を聞いていたからか大体の話は理解してくれたようだ。先程までの不安そうな表情は消え去っていた。

「さあ、仕事よ、仕事」

 そう言って手をパチパチと叩く紅葉。

 それに背中を押されるような気持ちで俺は椅子に座った。

 いつも通りの鶫 紅葉に安心している自分がいることに気付いた俺は、密かに安堵の笑みを浮かべていた。

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